「奇跡①~③」までの連載ですので
順番にお読みください。
実はのび太には学校に旦那が、
部活をしないで帰宅するように…と連絡し、
旦那、のび太、両親で私の病状説明を
医師から聞いたらしい。
この疾患での死亡率50%
生存者でも麻痺や障害が残る確率30%
手術せず麻痺も障害もなく
退院出来る確率10%未満
のび太は医師の説明を聞き、
部屋を出て病院の廊下のソファに座り、
「僕はお母さんにまだ何もしてあげてない。
このままお母さんが死ぬなんてあり得ない。
僕は1%でもお母さんが元気になる方に懸ける」
と、号泣したらしい。
私はのび太にはこういうことは
全部話して欲しいと思ってる。
だから、一緒に医師の説明を聞かせてくれた旦那に感謝してる。
でも、あののび太に、急に状況や環境が変わることが苦手なのび太に、
本当にツライ思いをさせてしまった…
と、あとからその話を聞いて泣いた。
今は容体は安定しているが
10日間はまた同じ状態になる可能性が高い、
だからとにかく安静に…
それからほぼ10日間、寝たきり。
読書、メール、テレビ、強い光が禁止。
だから、薄暗い部屋明かりだった。
意識はあって、でも、おそらくほとんど薬で眠らされた状態だったのか、
あまり、記憶にない。
両親、義母、義弟、旦那、のび太…
誰か来るとちょっと話してたのは覚えている。
そんな状態なのに、
ミーハー仲間で繋がってるTwitterやlineの友人達が
たぶん、音沙汰ないことで心配してるだろうと、
旦那にlineに状況を代筆してもらったのが、
入院から二日後の夜…
だから、結構、いろいろ考える力はあったんだな。
今年のクリスマスは仙台の光のページェントを見に行きたい!!
と、のび太の希望が叶わなかった。
ごめんね、のび太、来年は行こうね~
と、約束したクリスマス。
プレゼントも選べなくて旦那と相談して、
陸上部でのランニング用シューズを買ってね、
と、赤のし袋に5000円入れて(笑)プレゼントした。
そして、クリスマスの日、寝たままだけど、
短時間ならテレビOKが出た♪
それから何度かの検査を経て、
心電図外す、
ベッドの上なら自由可、
尿管外して車イスでトイレ、
シャワーOK、
車イスでのラウンジ移動OK、
大部屋移動OK、
点滴なし、
と、少しずつ回復していった。
続く