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2011-03-29 (Tue)
毎朝、愛犬ロックと散歩する道。

この前まではなかった大きな亀裂が
幾重にも入っている道を歩く。

歩道もうねってデコボコに隆起している。

つまづきながら、歩く。


近くの公民館は外壁がほとんど落ちてしまって
むき出しの鉄骨が痛々しい。

石碑は土台から落ちて砕けている。


うちのすぐ前の国道には「通行止め」の看板がある。

この先の道路ががけ崩れで通り抜け出来ないらしく
迂回路を示す看板もある。

でも、通行止めの向こうものび太小学校の学区。

この先を行っても友達には会えない。




全国チェーンの大きいデパートの看板が傾いた。

外壁も崩れて自転車置き場の屋根を貫いて
落下したままの状態になっている。

2階の損傷が激しく1階のみの営業。


このデパートにのび太の制服を注文していたので
受け取りに行ったら「職員通用口」に回された。

長い時間待って、若い店員さんが
とても大事そうに宝物でも運ぶかのように
のび太の制服が入った箱を抱えてきてくれた。


「スミマセン。暖房もなく寒いところで長い時間、
 お待たせしました」

と、また大事そうに箱を開けて確認してくださった。

寒さに凍える手で領収書を書いてくださり、

「お家は大丈夫でしたか?」と気遣う言葉をかけてくれる。

「お品は大丈夫です。大事に保管しておきましたので。
 でも、何か不備がありましたら遠慮なくお申し付け下さい」

と言って下さる。




その脇のミスドもガラスが全部割れて
ブルーシートに覆われている。



ユニク○も本屋も営業できないまま。

その店の前をガソリンスタンドの給油を待つ
車の列が、どこまでもどこまでも連なっている。


自宅も外壁にも亀裂が入っている。

中の壁などはひびだらけ。
壁の奥のものが飛び出してきている。

階段のきしみは怖い。

余震があるとギシギシいう柱。



食器棚の食器は半分以上のものを失った。

急須がないのでティーポットで淹れている(笑)

カレー皿も全滅。小皿も全くなくなった。



押入れやクローゼットをなぎ倒して出てきた荷物は
何とか元の位置に収めたけど、
大きな余震でもあったら同じ事の繰り返しだろう。








この街は内陸なので津波の被害は皆無だが
地震での被害はかなり大きいらしい。



未だにかなり大きい余震が頻繁に起きる。

私はいわゆる「地震酔い」という症状で体調不良だ。

常に揺れている感覚。

吐き気、頭痛、めまい、そして強い不安感が
いつもいつも心の中にある。

ちょっとしたことですぐ泣いてしまう。

音楽を聴いても本を読んでも、震災関係のニュースなんか
号泣せずには見ていられない。


そして、ちょっとした優しい言葉とかに
簡単に泣いてしまうのだ。




まだ、電気も水道も不通で町中の店が閉まっていた時、
店頭でのみ、少量、販売してくれる店が
チラホラ出てきた。

私とのび太はロックのフードを求めて
ホームセンターの列に並んだ。

店の中は危険なので、外で店員さんが注文を聞いて、
店内から持ってきてくれてそれを外で会計するのだ。

と言っても、店員さんたちだって被災者だ。

自宅はきっとうちのように壊れたものが散乱しているだろう。

ガソリンがないのに何とか出勤して
私たちのためにお店を開けてくださっていることに
のび太と感動しながら並んでいた。

みんな懐中電灯、電池など求めて並んでも
既にそれらは売り切れていた。

寒かった。
吹雪の中、1時間くらい並んだだろうか。

やっと、順番になった。


「寒い中、大変お待たせいたしました。」

と、深々と頭を下げた。


「いえいえ、大丈夫です。かえってすみません」

と腰の低い客の私たちは頭を下げた。


そして、ロックのアレルギー用のフードを手に入れ、
会計を済ませると、

「寒い中、大変お待たせいたしました。
 どうかお気をつけてお帰りください」

と、客の帰り道まで案じてくださる店員さんに
私は泣いた。




この街はスゴイ、と。

なんて優しすぎるんだ。









電気、水道が復旧して実家から家に戻った。

しかし、電気水道はあるが、食料が何もない。

ガソリンもないので簡単に買い物にも行けない。

近所に小さい店がある。

普段は子供たちがお菓子を買うくらい、
タバコやビールが売ってるくらいの小さな店。

そこに
「豚肉細切れ、ブタばら肉、鶏ササミ入荷」
の張り紙が出た。

普段は肉なんか売っていないのに。


肉!!!

もう、何日も肉を食べてないのでこれはありがたい。

のび太は「肉~~~肉食べないと力が入らない~」
なんておどけていたが。


入ってみると丁寧に包装されたお肉が
100グラムに分けられて売っていた。

でも、あと、二つしかなかった。


「えっと、じゃあ、ひとつで良いです。
 豚肉細切れの方、下さい」

というと、

「え?ふたつあるんだからふたつとも買ってくださいよ」

と言われた。


「え~でも、お肉って今、どこにも出てないから
 貴重だし、次の方のためにひとつ残しますよ」

と、いうと、

「そうなんだよね~
 みんなそう言って、『ひとつでいい』って言うし、
 一種類ずつ3袋買って良いよ、って言っても、
 『他の人も欲しいだろうから』って
 みんな遠慮がちに買っていくんだよね。

 でもね、もう、ふたつしかないし、
 もう店も閉めるからふたつ買ってってくれた方が
 ありがたいので、ふたつ、買って下さい」

と、言われて2袋のお肉を手にした。


みんな、誰が買いにくるかもわからない、
次に買いに来る人のために、
たった100グラムずつのお肉を少しずつ買っていく。





そんな街が、この街だ。



津波の被害にあった街などは年配の方々が多く住む、
昔からの代々の土地を守って
つつましく真面目にそこに生きてきた方々が多い。


自分の痛みを大声で叫ぶ事なんてしない、

誰かの痛みを思いやってばかりいる
優しい人々の住む街だ。






のび太は今、6年間使ってきた
ランドセルを磨いている。

津波でランドセルをなくした小学生に
使ってもらうためだ。

「ああ、こんな事になるんだったら
 もっと大事に傷つけないように使うんだったな」

なんて今更ながら後悔している(笑)



全校児童の3割しか安否確認できていないという
小学校もある。

波に消えた尊い命も悔しいが、
残された子供たちの心の傷を思うと苦しくて仕方がない。



大人でさえ辛くて辛くてたまらない出来事に
立ち向かっていく小さな心を思うと
本当に神様と言うものを恨んでしまいたくなる。


だけど、困難と言うものは
乗り越えられる人にしか与えられない試練らしい。

だとしたら、小さな子供たちの歩く未来に
優しいこの土地の思いやりがきっと
子供たちを笑顔にしてくれるんだろうと思う。







瓦礫の山、亀裂の入った道、崩れ落ちそうな建物

その中でも、誰かをいたわる「思い」は
絶対にゆるがない。







 
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