-------- (--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
| スポンサー広告 |
2011-03-23 (Wed)
前の記事「あの日のこと」の続きです。
始めにそちらをお読みください。








暗闇の中を、旦那が帰ってきた。

「今、実家に寄ってきた。
 あそこに反射式のストーブがあるし、
 お父さんお母さんも『家に来い』って言ってくれてるし
 とにかく今夜は実家へ行こう」

実家とは、私の実家である。

寒くても暖が取れなくてもこの家にいる事は可能なのだが
とにかくものが散乱していてガラスや壊れたものの破片が
あちこちに飛び散っていて
暗闇でそれらを避ける事は不可能だ。


旦那の指示に従い、厚手のコートやジャンパーを持ち、
懐中電灯や庭に置いてある感応式のライトなどを持ち、
愛犬ロック共々、実家へ避難した。




実家も我が家と状況は対して変わらない。

キッチンには割れ物が飛び散っている。

でもリビングは今は使っていない反射式の石油ストーブを
物置から出してきて火をともしており、
灯りにもなるし何よりいくらか温かい。



朝に炊いてあったご飯とたまたま家にあった味噌汁などで
食事を取った。

私は何も食べられなかった。

喉を通らなかった。



停電なので全く情報が入らない。

一体、世の中、どうなっているのだろう。

この地震は震度やマグニチュードはいくつだったのか?

他の場所はどうなっているのか?




のび太が実家にあったラジオ(イヤホンのみで聞ける)で

「沿岸はあちこちで津波の被害だって!」と、
仕入れた情報を教えてくれる。

「R市は町のほとんどが津波で壊滅的な被害って・・・」

「K市はいたるところで火災も起きているって・・・」


新しい情報を聞くたびに胸が締め付けられる。




あ、そういえば、のび太は停電や暗闇でパニックを起こすんだった。

と気が付いたのはしばらく経ってから。

のび太は冷静に淡々と過ごしていた。



電気がなかった間の事は私はほとんど覚えていない。

実家から自宅に通って、日の出ているうちに
壊れ物や散乱したものを片付けてはいたが。




あの日から3日、電気のない真っ暗闇の夜を過ごした。

思い返せば、のび太は懐中電灯とろうそくの明かりの元、
全てのものが散乱したのび太の部屋から私が探して持ってきた、
数学の参考書と、P中学の課題を黙々とこなしていた。

それはいつもののび太の姿だった。

3日目くらいに私はやっといろんなことに気がつき、

「のび太、こんな時でもえらいね。
 数学やら宿題やらやれる精神力はすごいよ」

と、のび太に言った。


のび太は、

「これやってれば、落ち着いていられるから。
 お母さんがこれ、持ってきてくれたからだよ」

と、言った。


「津波でね、教科書も流されて家も流されて、
 家族も流された人だっているんだよ。
 ボクは家族が揃っているし、いつもどおりじゃないけど
 ご飯も食べられるし、数学も出来るし、
 だからこれ以上、何か欲しいとか言わない」


ASタイプであるのび太がどうしてこんなに落ち着いていたのか、
不思議である。

停電でパニクっていたのび太が、
真っ暗闇が怖いからと、LEDの常夜灯をあれこれ探し回ったこともあるのに。



つまり、のび太は周りがどんな状況であろうと、
いつも自分がやっている数学やらができる状況であれば
それはある意味「日常」なのかもしれない。

のび太より、私のほうがAS全開でパニクっていた。


余震のたびに身震いし、恐怖感でいっぱいになる。

それは未だに変わらない。



しかし、一見、落ち着いて冷静に過ごしていたのび太だが、
ついに、パニックを起こした。






「んあ~~~~~~~!!!!!
 もう耐えられない!!!!!
 お風呂入りたい!!!!!
 頭、洗いたい~~~~~!!!!!」



電気は3日で復旧したものの水道はなかなか復旧しなかった。

実家の近くの小学校の給水場に水をもらいに行く。

貴重な水。



のび太は小さい頃からお風呂が大好き。

どんな事があってもお風呂は欠かさず、毎日頭も洗う。

そんなのび太が3,4日我慢していただけでも
すごい事だと思っていた。

お湯でタオルを固く絞って体を拭いたとしても
こちらの寒さだと爽快感なんてものは感じられない。

のび太には限界だったようだ。

もう、耐えられなくて体や頭を掻き毟りだした。



「よし!じゃあ、お湯を沸かして
 お母さんが頭だけでも洗ってやろう」


洗面所で沸かしたお湯でのび太の頭を洗う。

久しぶりだな~のび太の頭を洗ってあげるのも。




さっぱりして落ち着いたのび太が、ボソッとつぶやいた。


「ボク、頭洗うなんて、贅沢だよね。
 避難所にいる人は頭洗うどころか、飲み水もないのに
 おにぎりひとつを3人で分けるのが1日一食って言うのに
 ボク、頭なんて洗っちゃって・・・」


のび太は地震の日以来、たまたま買い置きしていたものを
口にしようとするたびに、

「カップラーメンなんてこんなにあったかいものを
 食べられるなんて、沿岸の人たちにも食べさせたい」

とか、

「ご飯おかわりなんてしたら申し訳ない。
 食べられない人がいっぱいいるのに」

と言ったような事を口にしていた。



「そうだよね。だけど、今、ここにあるものなんだから、
 食べられる事に感謝して『いただきます』って
 食べればいいんだよ。

 食べられない人がいる、その人たちも
 食べられるようになりますように、って
 願いながらいただけばいいんだよ。

 食べられない人がいる、だから私も食べない、
 っていうのは、ちょっと違うと思うよ。

 これを今、食べられない人に届けられる状況だったら
 届けてあげたいけど無理でしょ」

と言い聞かせてきた。



でも、今回は人の生死に関わるほどではないのに
パニクってわがまま言ってしまった、

という、のび太なりの罪悪感があったらしい。



「食べ物と一緒で、今ここにあるものを最大限活用して
 生活していいんだよ。
 この水もお湯も、沿岸にのび太もお母さんも届けたいけど
 出来ないよね。

 だから、ありがたく感謝して頭を洗っていいんじゃないの」





のび太が、パニクッたのはあとにも先にも
この一度だけ。


ASタイプののび太はパニックを耐えていたのか?

いや、違うと思う。



ラジオで「情報」として被害状況はわかってはいたが
3日経ち、やっと電気が復旧し、テレビが見られ、
「映像」としてはじめて事実を目の当たりにしたとき、
私たちは本当に打ちのめされた。

沿岸の壊滅的な被害を受けたところすべてが
思い出の土地なのだ。

小さい頃から行ってた海水浴場、
この辺の小学校は必ず行くキャンプ場、
一般市民も買い物が出来て必ず何かタダでくれる
魚市場の人たちの明るさ、
水族館なんて数え切れないほど行った、
旦那と結婚前、何度もドライブした45号線、
釣りが趣味の旦那と仲間たちと
何度もロッドを振った河口の穏やかな景色、
ロックも連れてお弁当を持って
遊びに行った海浜公園、
どこまでも大きくて深い青い景色に魅了されて、
のび太は「ボク大きくなったら海の近くに住みたい」
と、つぶやいた事もあった美しい海の景色、


それらが全部、無くなった。



もちろん、地元の方々の悲しみに比べれば
足元にも及ばない私たちの痛みだが、

おそらくのび太は生まれてきて最大のショックだっただろう。



今まであったものが一瞬で消える

景色だけではなく、大切な人までも




そんな地元の方々のいたみを想像した時、
のび太の中の様々なこだわりは
小さくしぼんでしまったのかもしれない、と思う。









スポンサーサイト
| 発達障害児・被災地に生きる |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。