2011-03-22 (Tue)
みなさん、ご心配おかけしました。

たくさんのメール、コメント、メッセージ、
ありがとうございました。

とても心強かったです。感謝します。




のび太地方ののび太地区はあの日から3日後に
電気が繋がり、
6日後に水道が復旧しました。

しかし、店には何もありません。

我が家にはたまたま米だけはたくさんあったので
ご飯をとにかく主に食べている状態です。

1週間前よりはいくらか物資も流通してきたようですが
普通の生活が出来るような状態ではありません。

ガソリンも売っていないため通勤などに支障を来たしている方も
多くいらっしゃいます。

病院も救急以外対応できないところが多いです。


学校も卒業式など式典の多い季節ですが
それすら出来ないところがたくさんあります。
(のび太小学校は先日、
 卒業式をしていただく事が出来ました。
 それについては、後ほど記事にします)

テレビも災害関係の報道以外の内容の時でさえ、
テロップで災害情報が流れています。

ライフライン関係、病院、役所関係、
学校の連絡網が通じないため、
学校の連絡などもテロップで流れます。

当分、精神的にも肉体的にも大変な状況は続くと思います。



でも、前に進まなくちゃいけないのでしょう。




沿岸の惨状を目にするたびに辛いです。

でも沿岸の方々の辛さを簡単に口には出来ません。

それはどんなに語ってもどれだけの言葉を集めても
偽善にしかならないだろうし、
私が語ることではないでしょう。


だから、安易な言葉で慰めたりしないで下さい。


頑張ってください、なんて簡単に言わないで下さい。


私たちは、そして、津波の被害にあわれた方々、
放射能の影響を受けている方々は
充分に頑張っています。

これ以上は頑張れません。




とにかく、この体験を記録しなければ、と思います。

気持ちの整理がつかなくて精神的にグチャグチャなので
まとまりのある文章は書けませんが。











その時、私は自宅から車で40分の
妹の家にいた。

携帯の緊急地震速報が響くのと同時に
轟音と共に家中のあらゆるものが倒れてきた。

妹が「早く!お姉ちゃん外に出て!!!」
と叫びながら愛犬を抱えて外に出た。

それに続いて裸足で外に出た。

立っていられない。

これから蕾をつけるはずの木々の根元が
ボコボコに波打っている。




「どうしよう!!!」

頭をよぎったのは、のび太とひとり(1匹)留守番させてきた
愛犬のロック。



大きすぎる揺れが止まらない。

いつまでもいつまでも大きく揺れ続ける地面。


とにかく帰らなきゃ。


「お姉ちゃん!橋が落ちてるかもしれない!
 いっぱい橋を通らないと帰れないのに!
 橋が・・・!」

と、言われたけど、とにかく帰らなくちゃ。




ハンドルを持つ手の震えが止まらない。

FMでは地震のことを伝えているが頭には入らない。

大津波警報が沿岸に出ていることはわかった。

そして停電しているので信号が消えている可能性があるから
運転には気をつけろ、とアナウンサーが言っている。



本当だ。

信号が機能していない!

おそるおそる交差点を曲がる。


どんどん交通量が増えていく。

交差点も渋滞。

でも、ちゃんと譲り合って往来する車に
私は安心した。


道路のあちこちにひびが入っていて、
ボコボコと波打っているので、
慎重に車を走らせる。


どこの交差点も渋滞で信号がついていない。

でも、事故はない。

こんな時でも譲り合う思いやる気持ちを忘れない。




とにかくスゴイ車の量だ。

家にもたどり着けない。いつ着くのか。

旦那に電話しても繋がらない。



いつもよりかなり時間がかかったと思う。

とにかく家に着いた。

玄関の前の鉢は壊れて土と植物が散乱。

玄関を開けると足の踏み場もないほどに
玄関のクローゼットのものが散乱していた。

ストッパーがかからなかったようだ。


ロックがゲージの中で震えていた。

奇跡的にロックの上の壁にあった時計がゲージを避けて
落ちて壊れていた。

針は2時46分。


リビングにもあらゆるものが散乱していて、
キッチンを見ると冷蔵庫のドアが開いていて
冷凍室にビールが転がっていた。

食器棚は横開きのガラス戸なのにその戸が落ちて割れ、
食器類は3分の2くらいは落ちてくだけていた。


これだけのものが散乱して落ちて割れる音が響き、
余震も続く中、ロックはひとり、
長時間いたのかと思うと泣けた。



和室の押入れの中のものがふすまをなぎ倒して
全てのものがなだれ落ちている。

洗面所はタオルなどを収納するロッカーが
お風呂の扉をなぎ倒していた。

階段を上がるとギシギシ聞いたことの無い歪む音がする。

壁にはあちこちにひびが入っている。



部屋のクローゼットのものが扉を押し倒して
中味が全部飛び出している。

本棚いっぱいの本は全て散乱。CDやらビデオも。

この部屋は足の踏み場がない。

のび太の小さい頃の写真が一枚目に入ったので
それを拾って埃を払った。

私たちの寝室のタンスは倒れないようにしてあったのだが
斜めに動いて観音扉が開いて
中に入れていたピアノ型のアクセサリーケースが
飛び出して壊れていた。

これは私が退職する時、あるクラスから戴いた物だった。


のび太の部屋の本棚の本や机の上のものが
全て落ちている。

その中から、P中学からの宿題のドリルと、
中学数学と社会の参考書とノートと
ドラえもんのコミック1冊を探して抱えた。

のび太はこれがあれば落ち着くだろう。





のび太は学校だ。

あの時間はまだ授業中。

非常時の時は下校させませんので迎えに来てください、
と、いうことになっているのび太小学校。


ロックを車に乗せてのび太小学校へ。

迎えに来た親達がごった返している。


学校のロータリーもひびだらけ。


「子供たちは校庭に避難しています!!!」

副校長先生が叫ぶ。



校庭の隅のほうで子供たちが不安そうに
クラスごとに並んでいる。



走り寄ろうとすると校長先生が両手を広げて止めた。


「待ってください!まず、私の話を聞いてから
 あちらに行ってください」と叫ぶ。


「子供たちは全員、怪我もなく無事です。
 学校はホールの照明が落ちました。
 他にも教室内も騒然としていますが
 とにかく子供たちは大丈夫です。
 担任の先生にチェックしてもらってから
 お子さんを連れて帰ってください。」



ここで初めて気がついた。

眼鏡をかけていなかった。

遠くにいる子供たちの顔が全く見えなかった。
(私は運転時などのみ眼鏡をかける)

この全く見えない状態で運転してきていたのだ。


きょろきょろしつつ近づくと、のび太が、
C先生に「ボクのお母さんが来た」と言う風に
言っているような姿が見えた。


C先生に「ありがとうございました」と言って、
のび太を引き取った。



のび太が私に言った第一声は

「お母さん、生きてた~
 遅いから死んじゃったんじゃないかと思った」

と、目を潤ませて言った。



家が近いのに迎えに来るのに1時間半近くかかっていたらしい。



校庭にもひびが入っている。



夕方、薄暗い中、余震と呼ぶには激しすぎる揺れが
何度も何度も続く。

家はガラスなどが散乱していて危険だ。

電気もつかないから片付けるなんて無理。

旦那の携帯も繋がらない。

どっちの実家にかけても繋がらない電話。

とにかく車にいるしかない。

どんどん暗くなるのにどこにも灯りがともらない。

真っ暗闇の世界で何度も激しい余震におびえていた。






~~~続きます~~~







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