2011-02-07 (Mon)
のび太と一緒に行動していると、
私の知りあいなどと会ったりすると、
のび太はちゃんと挨拶する。

入学説明会に行った時なども、
同級生の親子と顔をあわせると、
ちゃんと相手の親に挨拶するのび太。

しかし、相手のお子さんは、と言えば、
結構、しら~っとして目も合わせない子や、
全く挨拶する気などない素振りの子などが多い。


もし、のび太がこういうときに挨拶しなかったら

「ほら、のび太、ちゃんと挨拶しなさい」

って言うんだけど、多数派の親は我が子が私にシカトしていても
注意ひとつもしないのだよね。


そういうものなの?







まあ、のび太は
「知っている人、親の知り合いに会ったら挨拶をする事」
という「きまり」を律儀に守っているだけなのだけど。


よく、AS系の人間は「きまり」を守る事にこだわる、
と言われる。

しかし、それらの行動は多数派の「心から湧き出る行動」とは違い、
「○○の時は△△しなければいけない」という意識で行動するので
心がこもった行動とは違う、と言われているらしい。


ふ~ん、そうなのか。

まあ、そう言われれば、そうかも。

私はのび太くらいの年頃は知っている人とすれ違いそうになると
挨拶をしたくないので、クルッと方向転換までして
来た道を引き返して顔を合わせない様にしていた。

しかし、年を取ると、人間としての経験値アップで
だんだんそういうことも大丈夫になってくるものだ。

愛犬の散歩などで見知らぬ人とすれ違っても
一応、挨拶できるようにはなってきている。

だからといって、それが「心からの行動か」と問われると
「う~ん、『挨拶はするのが人としてのマナーだから』 
 しているにすぎないかな~」

ってところが、正直なところである。




だけど、ここで疑問に思うのが、
じゃあ、多数派の人間はみんな「心をこめて挨拶しているのか?」
ということ。

「心からの挨拶」とか「心のこもった行動」って、
誰がどう判断しているのか、と思う。


というか、多数派は「心から湧き上がる気持ち」がなければ
挨拶をしないのだろうか?


「のび太のお母さんに挨拶しようと心から思わないから
 シカトだな」

ってことなのか?


「うちの子、心から挨拶したいという気持ちになってないから
 挨拶は無理にさせようとは思わないから注意しないの」

ってことなのか?



ああ!
私がASで「知り合いには挨拶するもの」っていう
「きまり」をのび太に守らせようとしているから
挨拶しないのび太にも挨拶させようとしているんだろうか?





「自分は○点(スゴイ高得点)で合格したんだ!」
って、自慢しているのはいいけど、
お勉強ばっかりスゴ~クお出来になっても
挨拶ひとつ出来ないのはいかがなものなの?

難関受験を突破したのはいいけど、
我が子に挨拶くらい教えたらどうなの?

と思ってしまうワタシ。




私は勉強云々より、もっともっと、
人として大切なことを教えていきたいんだけどな。



それがたとえ「きまりだからやっている」事だとしても
やらないより、教えないより、
できる方がいいと思うし、教えた方がいい、
というか、親が教えていかなければいけないだろう、と思うのだ。



こんな時、ASである自分も、ちょっといいな、

いや、ASであることを誇りに思ったりするのである。






スポンサーサイト
| 我が家の自閉症との関わり方 | コメント(14) |







管理者にだけ表示を許可する