2011-02-02 (Wed)
思えば、のび太が発達障害であると診断されたのは
4歳の頃。

会話、どころか、「うん」「ううん」といった、
意思表示すらも出来なかった。



とにかく、コミュニケーションが取りたかった。

障害がある、とか、そんなことよりも、
今、のび太が何故パニクっているのか、
今、のび太が何を思っているのか、
それを知りたいだけだった。



診断された事でホッとした。

どうすればいいのか、どんな風に接すればいいのか、
そのヒントを得たからだ。



しかし、診断された事で、
きっと、この子は多くの子供が歩む道とは
違う道を行き、違う目的に向かっていくのだろう、
と思った。

それは、想像も出来ない先が真っ暗闇の
深い道をさ迷うことを想像した。


だからと言って、落ち込む事はなかった。

落ち込む暇がなかった、と言った方が正しい。



幼稚園では加配の先生をつけられた。

のび太くんにばかり手がかかる、
他のお子さんの保育が手薄になる、
こういう子は昔は「あの家にたたりが出た」と言われたんですよ、
などと、園長にグチグチ言われた。

そうか、のび太は他人様に迷惑をかける子なのか、

そうか、昔だったら家丸ごと「たたられる」ほどの
厄介者扱いだというのか、

・・・・・愕然とした。





それでも、人に恵まれたのび太は
たくさんの人たちの愛情に囲まれて成長した。



入学式は前日にのび太のためだけに
予行練習をしていただいた。

入学後は予想通りトラブルとパニックの連続。

学校でのクールダウンの場所も与えていただいた。


しかし、世の中というものは甘くはない。

理屈では理解しているつもりでいて、
でも、実際に接する時は何の配慮もできない教師は
まだまだいるのだ。

とんでもない教師に苦しめられても
絶対に学校を休まなかったのび太。


信頼していた友達が実は嫌がらせの元であった事実に
親子で愕然とした事も。





そして心が狭く、卑屈に育った私は、
あの時の園長に、あの時のび太を散々苦しめた教師に、
今ののび太の姿を絶対に見せたくなんかない、
と思うのだ。



あの人たちには、
のび太の痛みも、のび太の血だらけになった心の傷も

そして、あの人たちとは対極の光さす場所にいる、
素晴らしき理解者たちののび太への温かいまなざしも、

絶対に絶対に、理解できるはずなどないのだから。











そして、深く苦しい真っ暗闇の夜は明けた。

当たり前のことを正しく教えてくださる
先生との出会いがあった。

そして、のび太に勇気と自信を与えてくださった。




のび太は、生まれて初めて自分自身で決断して、
目標に向かって走った。

そして、努力は報われた。


会話が出来なかったのび太が
毎日、作文で気持ちを綴った。

意思表示ができなかったのび太が
自分の強い意志で歩む道を決めてゆく。




のび太はいつも「みんなと同じ」にこだわった。

のび太の望む「みんなと同じ」に出来るように、
小さな小石を積み上げてきた。

崩れては、また、一つ目から、そっと小石を置く。



4歳だったのび太の行く道があの頃は見えなかった。

でも、12歳ののび太は、自ら、行く道を選び、
そこに光を照らす。

もちろん、まだまだ茨の道は続くだろうけど、
それは4歳ののび太を案じた真っ暗闇の道とは違う。




4歳ののび太を抱えたあの頃の私に、

「大丈夫だよ」と、声をかけてあげたい。









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