-------- (--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
| スポンサー広告 |
2010-12-21 (Tue)
実母は、米を炊くのも食事を作るのも、
4人家族には多すぎる量を作り、
結局、腐らせて捨てる、を繰り返していた。

この前、これくらいで多かったから今度は少なめに・・・
などと学習しない。

米も何日も炊飯器に保温状態にし、結局悪くなって捨てる。



私は幼心に、なんてもったいないんだろう、と思っていた。



幼い頃からドキュメント番組が好きだった私は
戦時下の国の子供達が飢えで死んでいくことや、
同じ日本にいながらも貧しい暮らしをしている人々に
心を痛めていた。

別に、いい子ぶっているつもりではない。

我が家だって普通のサラリーマン家庭で
決していい暮らしをしていたわけではない。

欲しいものがあっても買ってもらえないことが明らかだったので
何かをねだった事は一度もない。

学校で必要なものですら、買って欲しいとは言い出せず、
手元にあるもので何とか代用できないか、
などと、あれこれ考えた事も何度もある。

それなのに、母は何度も大量の米を腐らせては捨てる。

一粒のお米には8人の神様が宿っている、と聞いた。

お米を作る農家の方は、自分の努力だけではどうにもならない
天候や災害の心配をし、大変な思いでお米を作る。

それなのに、その日も米を捨てる母の姿を見た。




「世界中にはご飯も食べられなくて死んじゃう子が
 たくさんいるんだよ。
 それに一粒のお米には8人の神様が宿っているんだって。
 もったいないよ、お米」


思わず、言った。





「じゃあ、あんたが食べなさいよ!」

と、その日、私はさっき母が捨てようとした
変な臭いのするご飯を出された。

でも、食べた。

だって、変な臭いのするご飯すら食べられないまま
死んでしまう子供が世の中にはたくさんいるんだから。

変な臭いのするご飯でも食べられる事は幸せなんだ、
と思って食べた。

一粒に8人だから、私のお茶碗にたくさんの神様が
捨てられないでここにいるんだ、と思って食べた。



「アンタがそういうこと言うから、楽しい食事が台無しだよね」


一生、私は変な臭いのするご飯でもいい。

そう思った。




しかし、針のむしろのような食卓に耐えかねて、
食べ物を捨てる母を見ても、何も言えなくなった。

言えなかったけど、でも、心の中ではいつも思っていた。



お米の神様ごめんなさい。

そして、世界中の飢えで死んでいく子たち、ごめんなさい。


小さな私は、心の中で何度も何度も謝った。














最近テレビで毎日のように見る戦場カメラマンの方。

独特の喋り方で人気だが、あの方の活動は素晴らしいと思う。

必ず自分が戦地で撮って来た写真を使ってもらう事を条件に
番組に出演しているらしい。

お笑い番組やバラエティ番組は幅広い年齢層の人が見る。

普段はそういうことに関心がない人たちに
戦地の写真を見せて訴える事で知ってもらう、
まず知ること、それが平和な先進国に生きる私たちに出来る
はじめの一歩なのだ、という、彼の業績は大きい。



のび太に我が家のクリスマスの計画を立ててもらった。

入試の問題でこんなのがある。

「野外炊飯の計画を立てて下さい。
 予算○円、必要な食材、○○、○○・・・
 係り分担をして当日までの予定を表にまとめ、
 お手紙を作成してください」

リーダーシップを取れる、計画立案しまとめられる、
そんな生徒を求めているらしい。

で、そんな意味も含めて、家でのクリスマスの計画を
お願いしてみた。

のび太は毎年、クリスマスに我が家で食卓に上がるものを
思い出しつつ、あれこれ計画を練る。

3000円以内でね!というチープな(笑)クリスマス。




やっぱ、クリスマスはピザだよね~、
予約した方がいいかな?
あとチキンとか~、あと何がいいかな~・・・

面倒だけど楽しそうなのび太。


計画を何とか立てて、自分が書いたメニューを眺めて、
のび太がひと言、言った。







「でもさ、アフガニスタンとか北朝鮮の人とか、
 クリスマスだからってご馳走食べられないよね」





胸の奥がグッと苦しくなった。

幼かった私の気持ちと重なった。




今までは、テレビの中の出来事を自分にかかわる事、
と言う風に、感じていなかったのび太。

それが最近、様々なニュースやドキュメントを
自分というフィルターを通して
見つめる事が出来るようになってきた。

受験勉強の作文によるところも大きいだろうが、
それだけではない、心の成長を感じる。



「そうだね。生きるだけで精一杯でクリスマスなんて
 考えられない人たちは世界中にたくさんいるよね」


「ボク、クリスマス楽しんでいいのかな?」


「もちろん楽しくクリスマス過ごしていいんだよ。
 だけど、心のどこかでそういう人たちがいることを忘れないで
 クリスマスを楽しく過ごせる事に感謝すればいいんだよ。
 クリスマスに家族揃って食事が出来る事、
 ピザを作ってくれる人、食材の恵みに感謝して頂くんだよ」



念のため言っておくが、我が家は無宗教だ。

クリスマスも祝うし、初詣にも行く。

「神様お願い~!」と言っても特定の神様ではないし(笑)




だけど、何も知らないで、
クリスマスが、普段の食事が、家族で笑っている事が、
「当たり前」と思って生きている事が
とても愚かで恥ずかしい事なのだと近頃、改めて思う。


まず、「知ること」、
そして今の自分を取り巻く全てに感謝すること、

「生きていく」ということは、そういうことなんだ、と
つくづく思うのだ。






「アフガニスタンの子は勉強したくても
 出来ないかもしれないよね。
 ボクは、その分も頑張る」


と、言っていたのび太。



先日もサンマを食べながら、

「サンマって美味しいよね。サンマ、ありがとう~
 ボクのためにこんなに美味しくなってくれて
 ありがとう~~~!」

なんて言ったり、

最近、育ち盛りののび太は
ご飯をおやつ代わりに食べるのだが(爆)
おやつにご飯を食べながら、

「農家の皆さん、美味しいお米をありがと~!」(笑)

と、ちょっとふざけながらつぶやいている。





真実を「知ること」で痛みもあるが、
心の奥底の自分の想いを知ることにも繋がる。

のび太の「想い」に、幼い日の私の「想い」が
重なり見え隠れした気がした。










スポンサーサイト
| 母のつぶやき | コメント(8) |







管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。