2009-10-28 (Wed)
私は、もう、母親とは縁を切ろうと思った。

電話をナンバーディスプレイに変えて、
実家からの電話には極力、出ないようにした。


そんなことはお構いなしだった。

急に尋ねてきては、私の子育て、生活に関して
あれこれ難癖をつけた。




インフルエンザで40度の熱を出し寝ているのび太を
ムリヤリ揺すり起こして、

「せっかく、おばあちゃんが来たんだから起きて~」




家の前の砂利道で転んで額に傷を作った時も

「ママがちゃんと見てないからこんなことになったのよ。
 ママに傷つけられたのと同じよ」


「おばあちゃんちの子になったらいいのに。
 こんな生活してたらダメな子になる」




また、多動で落ち着いているはずのないのび太を
ムリヤリ自分の傍らに座らせようとして

「ねえ、おばあちゃんとゆっくりお話しよう。
 おばあちゃんがお話聞かせてあげるからね~」

と、夢みたいなことを言うが、
のび太はお構いなしに走り回ると

「ちょっと、どうしてのび太は落ち着きないの?
 やっぱり3ヶ月で保育園に預けて働いたりしたから
 気持ちが落ち着かない子になっちゃんたんだね。
 取り返しの付かないことを私の大事な孫に
 してくれたよね、あなたは・・・」






まあ、ここに記したことはまだ笑い話程度だ。



母親は私が幼かった時の様に、
いや、それ以上に、のび太に自分の気持ちや
自分の勝手な理想を押し付けて
思い通りの孫に育て上げようと接した。

それは、私にフラッシュバックを起こさせた。


私が幼かった時、「精神的な死」を覚悟したあの頃、

そこまで覚悟させた母親の勝手な思い込みの刷り込みが
今度はのび太に矛先が向けられた。


ダメ!のび太にだけは絶対にそんなことはさせない!
という気持ちと、

自分の幼い頃の「精神的な死」に至るまでのフラッシュバックとで
私は狂いかけていた。




その頃、のび太の発達の疑問を調べるうちに
「発達障害」「アスペルガー症候群」というものに
自分のルーツが見えてきたのだ。








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