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2009-10-27 (Tue)
自分の「精神的な死」を受け入れた私だが、
母親が願書を取り寄せ、
私の意思などと無関係に入学させられた短大で
私は耐えられなくなっていった。

高校生の時は、家では自分の意思を殺して生きていたものの
その反動で、学校では自分の個性丸出しでいられた。

家で押し殺している本当の自分の姿を
受け入れてくれる友人がいたのだ。


しかし、私の意思の全くない興味のない短大で
ここでも「精神的な死」を強いられなければならないのだ。


つまり、私はどこへ行っても「死」なのだ。

生きている意味も価値も全く感じられなくなった。



私は一世一代の勇気と、
万が一の時は自らの肉体の死を選ぶことを決心し、
母親に短大を辞めたいこと、
そして、音楽の道に進みたいことを話した。


以外にも、母親は認めてくれた。



それは、母親が想像できる未来だったから、のようだ。

音大進学→教師、を勝手に想像したらしい。

教師になるなら、いい、と。



高校生の時、私は社会福祉士を夢見ていた。

養護施設や福祉施設で働くこと、
社会的弱者の味方になる人間になりたいと
某福祉大の進学を希望していた。

しかし、母親は許さなかった。

何故、許さないか、と聞いた時、

「社会福祉士って一体、なんなの?」
「福祉では食べてはいけない」
「あなたがやらなくても他の人がやればいい仕事」

という言い分だった。


つまり、自分には理解できない仕事だから許さない、

ということだった。



担任は

「某福祉大に行きたいなら成績は充分だから推薦書を書く」

と、言ってもらったのだが、親は許さなかったのだ。





まあ、結果的に音大進学という
自分としても予想外の道に進むことになったのだが、

それは、一度は「精神的な死」を受容したはずの自分が
「精神の再生」を呼び覚ますことになった。


私は中学1年までしかピアノを習っていなかったので
技術的には周りから比べればかなり劣っていたし、
自信もなかったのだが、

音感だけは死んでいなかった。

聴音やソルフェージュ関係はほぼ100%満点だった。


持って生まれた「絶対音感」が生き残っていたおかげで
私は何とか音大でやってこれた。


音楽とは、自己表現だ。

音楽とは自己主張しなければ何も伝わらない。

「精神的な死」を遂げていたはずの私の心が
音楽でどんどん生き返っていくのだ。



私は、まだ、死にたくない。


まだまだ、自分を生きたい。



学校ではクラッシック漬け、
学外ではふたつのロックバンドを掛け持ちし、
まさに、音楽によって生かされている生活を続けた。


そして、私は、卒業時、母親の意思に反して

教員試験をわざと勉強せずに不合格になり、
某音楽教室の講師採用試験に重点を置いて勉強し、合格した。



音楽教室講師の仕事は、やりがいがあった。

大好きな音楽で生きている

そして、関わる子供たちは私に素晴らしいものを与えてくれた。

自分の大好きな仕事を持って自立した私は
これまでの人生で一番、自由だった。





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