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2009-10-08 (Thu)
昨日、のび太地方ニュースで特別支援教育に関して
特集レポートをしていた。

特別支援学校だけではなく地域の小中学校の
普通クラスでの発達障害の生徒を受け入れが
のび太県では今年度から本格的に始まった・・・

と言うことで、通常クラスの教師達の
特別支援教育研修が行われている・・・

といったもの。





のび太県では明らかに特別支援教育は遅れている。

制度の遅れは、理解の遅れでもあるのだ。

どんなに制度や周りの理解が遅れていても
この子たちの時間はどんどん過ぎてゆく。

成長は待っていてはくれない。



のび太が入学する時、療育の先生に、

「でも、皆さんは特別支援教育が始まりつつあって
 多少、理解が進んできていて幸せですよ。

 これが5年前、10年前の子供たちは
 本当に入学しても先生方の理解がなくて
 皆さん、苦しんだものです」

と、言われた事がある。


今からしたら10年15年前、ということか。

だとしたら、私たちが小学生だった頃も
発達障害の生徒はいたはずだから、
過去の苦しみ、辛さの犠牲と傷みの上に
やっと、「理解しよう」という動きになってきた、ということなのだ。




このレポートニュースでは、


特別支援教育は特別な教育ではなく、
全ての生徒の心に寄り添う教育である



という感じでまとめていました。





そして、そのニュースの中で特別支援学校の先生が
おっしゃっていた言葉に
涙が出そうになったので、ここに記しておきます。



「長年、特別支援教育に携わってきて思うのは
 一体、障害ってなんだろう、ということです。
 
 例えば、ADHDの子でじっとしていられない子がいて、
 『あの子は我慢が出来なくてダメな子だ』って
 言われて傷つくお子さんがたくさんいます。

 だけど、いろんな意味で一番、我慢しているのは
 そういう障害で我慢できないのに
 いろいろ言われている子なんじゃないかな、
 って思うんです








要するに、「障害があるから」ではなく、

「この子が何に困っているか」という
気持ちの寄り添いなのだ。


それって、特別なことではなく、
単に「相手を思いやる気持ち」に尽きると思う。




こんな風に思ってくださる先生が増えればいいなぁ。







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