いつも一生懸命ですよ。
授業も掃除も係りの仕事も
全てにおいて常に100%で向き合っています。」

C先生「クラスの子たちが
『のび太くんは多分、今、授業でやってることなんて
簡単すぎるんだよ。
のび太くんってスゴイ難しい漢字とか算数とか
知ってるんだよ~』って言ってましたよ。」

興味の偏りが激しいので興味のあることは
かなり奥深いことまで知っています。
でも興味の無いことに関しては
信じられないくらい無知ですから・・・(汗)」
C先生「いいんですよ、それで。
それに何よりものび太くんは気持ちが真っ直ぐで
純粋で本当に心がキラッキラしてます!
それを他の子たちもどこかで感じていて
『のび太くんみたいな子をいじめたりしちゃいけない』
って思わせる雰囲気があるんです。
それなのにいじめが続いてしまって、
だから子供達が無言のうちに
ああいう学級会を私にさせてくれたのかもしれない
とも思っています。」

学年の半分の子達は幼稚園からのび太と一緒に
成長してきた子たちです。
幼稚園の頃はほとんど会話も出来なくて
お友達に助けられてお世話をしてもらって
ここまできたんです。
だから、のび太にいじめをする子の中に
幼稚園から一緒だった子はほとんどいません。
逆に幼稚園から一緒のMくんやYくんやTくんは
いじめられている時もいじめの中から引き離してくれたり
先生に『可哀想だから助けてあげて』って
言ってくれたり・・・。
きっと小さいうちからのび太に感じている何かが
あるのかもしれません。」
C先生「ああ・・・いいお友達ですね。
でも、やっぱりのび太くんの
人として素晴らしいところを感じているからこそ
周りも手を差し伸べるんですよ。
周りの子はきっと、
のび太くんのような純粋さがまぶしすぎたり
羨ましかったりするんでしょうね。
それがいい形で表現できれば
Mくん、Yくん、Tくんのようになるのだろうけど
負の力がかかると気持ちの弱い子は
逆に攻撃してしまったりするのが悲しいですが。」
そうなのだと思う。
「いじめ」というのはある種の心の病に冒された者の
悲しい自己主張法なのだ。
自分の心が病に苦しんでいるから
健全すぎる心がまぶしすぎるのかもしれない。
そして異常な「いじめ」という醜い行動に出てしまう。
だから人の心の裏を感じたりする術を持たない
素直すぎる子たちに矛先が向く。
悲しいかな、人間なんてその程度の弱い生き物だ。
だからこそ、その「心の病」のウイルス駆除をしてくれる
健全な大人がいなければいけないのだ。
そうでなければ
いじめられる健全な心の持ち主はもちろんのこと、
「心の病」ウイルスに感染して
いじめなんてしてしまっている弱い人間達も
共倒れになるしかない。
それは本当に本当に悲しいこと。
4年生ののび太のクラスは
本来「ウイルス駆除」をしてくれるはずの担任まで
「心の病」ウイルスに感染していたせいで
子供のウイルス駆除を怠ってしまった。
そしてクラス中にウイルスを撒き散らしたまま5年生になり
ウイルスに蔓延した子供達のヘルプの声を
いち早く察知したC先生が
新学期早々、ウイルス駆除をしてくれた。
それは本当は簡単なことなのだ。
被害者は去年の4年★組の子供達全員だ。
ウイルス駆除をしてもらった子供たちは
本来の明るく優しく生き生きした心を取り戻した。
そして、4年生の時にのび太に自分がしてきた愚かさに
後悔し、反省し、そして、とても傷ついている。
大丈夫。
のび太はみんなのことを許している。
その証拠にのび太は今まで、
「いじめはつらい。嫌だ。悲しい」
とは言っていたけど
自分をいじめた人のことを悪く言ったりは一度もしていない。
そればかりか、
「いじめられたことは嫌だったけど
本当に悪い人は誰もいないんだ」
と言っていた。
私は・・・・・
心の中で恨み言ばっかり並べ立てていたけど、
のび太の一言で、恨み言は全て、捨てた。
・・・捨てよう・・・
・・・・・いつか・・・捨てたい・・・(汗)
・・・いつか、私ものび太のように
すべてを許せる真っ白い心を
持ちたいと願っています・・・
人として、私はのび太の足元にも及ばないんだなぁ・・・(恥)
コメントありがとうございます。
私もC先生とお会いしたとたん、
涙が出てきてしまいました。
初対面だと言うのに(汗)
私も正直言って子供の頃、先生運がなかった・・・
というか・・・
だから「先生」というだけで身構えてしまう癖もあって。
だからC先生との出会いは私にとっても
嬉しい出会いです。ほんとに。
私も腹黒さで言ったらかなりのどす黒さです(笑)
きっとのび太は忘れても私はのび太をいじめたやつら、
「一生恨んでやるぅ~!」って言うやつですからね(汗)
でも、「許す心」ってのび太に教えてもらいました。
生まれて初めてです。
秘密さんの周りの陰口叩く心の病ウイルス感染者たちのことなんか
無視していきましょう!
そして秘密さんのお子さんも
絶対にいつかいい出会いが待っているはず。
陰ながら応援しています。
お互いに健やかにこの一年過ごせるように
頑張りましょうね。
それは担任がいないちょっとした隙間時間によってたかって始まった....ようです。
その十数人はやはり、今まで同じクラスになっていなかった子たちだそうで。
結局保育園から友達の女の子が隣クラスの担任を呼んで来てくれて、なんとか収まったのですが。
次の時間や次の日に担任が「指導をする時間」を作ってくださり、「息子のことを知らなかった子たち」に説明したそうです。
私からは今までと違うパターンのヤツや、訳の分からないヤツについて、マイナスの心を持っている子どもが「いじめ」をするということを担任にも知らせました。
(だいたいにおいて、家庭環境に不満がある子なんですけどね)
我が家にも家庭訪問で担任がいらっしゃいましたが、その時に「私も息子さんに癒されるんですよ~」なんておっしゃっていました。
前の担任にも言われたのですが、何のことだかわかりませんでした。
しかし、今回まっぷーさんの文章を読んで、「ふーん、そういうことなのか!」と。
親が気付かない「心の美しさ」なんかを学校でも発揮しているのでしょうね、きっと。
クラスで飼い始めたカメにピース(平和)と名付けた息子に平和がおとずれるように願うまるむしです。
のび太くん大人だなあ・・
娘はやっぱり未だに何かの拍子にいじめられた時の話をします。
許しているのか・・?う~ん?傷なのは確かです。
私は年月がたったのでまあ冷静になれますが、
いつかいじめをした子達に反省しているのか、
もし自分だったらどうか聞いてみたいです。
うちの子の場合低学年だし、みんな忘れていたりして・・(汗)
ただね、気になったのは主犯格は先生に注意されたから
その後、娘には何もしなくなったけど、(他の子にはしてる(汗))
ドサクサの便乗型の子はその後も娘に言葉の暴力があったらしいです。
娘は相手にしていなくて、「先生にも言わなくていいよ」と言うので私も
特に騒ぎませんでした。
主犯の子はとりあえず罪悪感は無いとしても、自分がやった!と言う自覚がある。
で、便乗型の子はみんながやってたから・・で、罪悪感も自覚も無いんですよね。
私は、結構このタイプが一番怖くて厄介かも・・と感じました。
恨みを捨てようとするまっぷーさん偉いですよ~
私は、何というか・・許していいの?捨てていいの?という感情が有りますね。
娘が許そうと関係ない!一生恨まれる事をしたんだよ!ってな感じです。
勝手に相手に十字架を背負わせてます・・(汗)
向こうは気づいてないだろうけど(笑)
負のパワーでドロドロな私・・(笑)
担任の先生は自然体で思いやりのある方ですね。
去年の悲しい事件を帳消しにして今年は
まさににこにこののび太くんでいられそうですね。
良かった~
トラブルは有ってもこの先生ならお任せできますね。
コメントありがとうございます。
やはり担任がいない時・・・なんですよね。
いじめる子たちはいじめを受ける側が
想像もしないほど知能犯です。
悪い意味で「大人」です。
それを子供だけで対処し解決するのは
はっきり言って不可能です。
だからこそ学校では常識的な判断を持つべき
教師が必要なんですよね。
教師って勉強だけ教えるものではなく
「正しく生きる道」を導くもののはず。
でもきちんと対処してくださってよかったですね。
こういう当たり前の対処をその都度してくださることが
陰湿ないじめを長引かせない手段だと思います。
でもやっぱり小さいころから知ってもらっている、
っていうのは本当に強みなんですね。
意識しなくても心や記憶のどこかで
相手の本質を理解してくれているんでしょう。
だから手を差し伸べてくれるのは
小さいころから一緒に育っている子たちなのかもしれませんね~
のび太も先生に散々誉めていただいたけど、
家では「~~やって!」と頼むと、
あからさまに嫌そうに「は~いは~い・・・」なんて
反抗期突入的な態度ののび太なのに
学校ではやっぱり背伸びして
全力で頑張っているんだろうな~
なんてことも思うとちょっと胸が痛んだりもして・・・
カメの名前の「ピース」っていいですね。
そんな名前をつけるところに
息子さんの穏やかな気持ちが表れているような気がします。
コメントありがとうございます。
>娘はやっぱり未だに何かの拍子にいじめられた時の話をします。
私は本当は折に触れて嫌なことを口にして
気持ちを発散した方がいいんだと思います。
逆にのび太みたいに「誰も悪くない」なんて
口も気持ちも閉ざすことの方が
(自分の中ではいろいろ思うところもあるだろうけど)
長い目で見るとちょっと心配なところも正直ありますよ。
時々、嫌なことを思い出して口に出してみて
「ああ、あの時、~だった。でも今は~だ。」
って気持ちを時々、整理していった方が精神的に
安定する、と、私の主治医は仰っていました。
それが出来なくて精神が破綻する人が多いのだそうで・・・
低学年は確かに覚えていないのかな~?
「いじめ」とか「悪いことをした」という概念は
得がたいかもしれませんね。
でも、これが成長と共に「悪」と感じてやめるか、
「悪」と理解してきてもなお続けるか、
それはやはり正しい大人の存在が影響するんだろうな、
と思いますね。
私は恨みを捨てられるでしょうか?(笑)
私は幼い頃から恨み、憎しみばっかりの塊で
生きてきましたから今更それを捨てろ!と言われて
本当に出来るとは思えないんです(笑)
だって「いじめた奴らはいつかのび太に与えた苦しみの倍以上の
苦しみを味わえばいいのだ!」
なんて思ったりするワタシ。
情けないよね、人間として。
のび太の純粋な気持ちに触れるたびに
ドロンドロンな自分の気持ちが
恥ずかしくなります。
C先生も素敵な方で人間として尊敬できる方だと
改めて感じました。
そういうハートの素敵な人たちに囲まれて
いつか私も浄化されたいです・・・
今日の午後から二男、三男の家庭訪問があります。昨年と同じ先生なのに朝から緊張している母です。
確かに学年やクラスによって、雰囲気って違いますよね。長男、三男の学年に比べて二男の学年は確かに殺伐としたものを感じますし。いじめる理由がその子の家庭の事情とか環境とかあるかもしれませんが、傷をつくって号泣しながら帰ってきた幼い息子の姿を思い出すたび私はまだ許せないでいます(汗)
C先生の言葉一つ一つを読んで、こちらまで胸がスッとしました。そうだ、わかってほしいんだ。苦しんでいる子に寄り添ってほしいんだ。それだけで親も子も随分救われるんだ・・・と。
きっと子ども達も胸がスッとする思いなんでしょうね。
もちろん私がC先生にお会いすることはできませんが、お話だけでこちらまで癒されますから。
さあ、私も家庭訪問がんばりまーす!
コメントありがとうございます。
家庭訪問も兄弟で連続だと気疲れしますよね。
私なんかのび太ひとりでも
前の日から落ち着かないし気も休まりませんから。
いじめって本当に一言では言い表せない
いろんな背景があって
難しいですよね。
加害者側にどんな気の毒な背景があろうと
被害者である我が子が傷つくいわれは無いのです。
ですから私たちは傷ついている我が子を
とにかく守ることだけを考えればいいのだと思います。
でも、見えてしまういじめる側の心の闇は
やっぱり学校であるなら教師が何とか
しなければいけないことなのだと思います。
それは加害者側がすることではないし・・・。
やはりどこまでいっても担任の影響って大きいです。
そう。
そして、自閉症の子を育てる時に大事な
「子供の気持ちに寄り添って」ということは
自閉の子だけではなく全ての人に言える事ですよね。
傷ついて苦しんでいる子供の気持ちを
理解して欲しい、
その子供を毎日心配して見守って、
学校に訴えても理解してもらえなかった親の気持ちを
解って欲しい・・・
人間って、それだけで気持ちは癒されるんだな、と
つくづく思いました。
いろんなことを息子に教えてもらう毎日は
とても感謝に値する日々だと実感しています。
それに元気になってよかったです。
娘も去年の今頃とは別人のように元気です。
うちは来週が家庭訪問なんですが、ゆっくり話す時間はなさそうなので、日を改めて…と思っています。
いじめる側の子の心の病。
そうですよね、それは確かなことだし、それも大人の責任だと思います。
C先生のようにSOSを感知し、受け止めてくれる大人に出会えない子はどうなるんだろう。
>「いじめられたことは嫌だったけど
本当に悪い人は誰もいないんだ」
のび太くんはホントに素敵なお子さんですね。
恥ずかしいけど、私は娘をいじめた子達や去年の担任をまだ許す気にはなれません。
のび太くんの言葉が胸に痛いけど、でも、やっぱり、今はまだ許せないんです。
自己嫌悪です。
コメントありがとうございます。
お返事がとても遅くなってしまいました。
本当にごめんなさい。
娘さんも元気になられてよかったです。
子供が元気であることが親にとっては
何より嬉しいですものね。
子供のいじめ・・・というか、
いじめを対処してあげられない大人が
一番、いじめを大きくしている原因なのだと思います。
私も幼い時の恨みや憎しみの塊で
それを引きずって生きているもので(恥)
のび太のような「許し」の感情は
正直言って無理~なんて思います。
だけど、許すことが出来るって
きっと相手にも自分にも最高の優しさなのかもしれないな~
と、思ったりして・・・
見習いたいけど、修行の足りない私は
未だに気持ちがさ迷っています(笑)