お兄ちゃんがのび太と同級生で幼稚園も同じだったので
お母さんも知っているし、
のび太が幼稚園の頃からAくんの話も聞いていた。
Aくんは一目で障害がある、とわかる。
生まれつき、目や頭蓋骨に奇形があり、
そのため赤ちゃんの頃から、
形成外科や眼科、脳外科などの手術を繰り返した。
今は手術の甲斐もあってそれほど障害は目立たないが、
眼鏡をしていて独特の顔つきではある。
知的にも微妙なところだったらしいが、
まず普通クラスで頑張ってみる、ということで
特別支援クラスには在籍していないらしい。
Aくんと同じクラスのお子さんのいるお母さんの話。
「夏休み前のクラス懇談会で、先生が、
『一人一人の個性を大事に育てていきたいです。
私たちのクラスには皆さんもお解かりだと思いますが
A君がいます。
彼は子供達にいろんなことを教えてくれます。
みんな違う個性でも大丈夫なんだ、っていうことを・・・』
って言ったんだよね。
『違う個性でも大丈夫』って?『大丈夫』ってどういうこと?」
よく、特別支援クラスに在籍している子が親学級で、
「○くんは時々、△教室でお勉強します。
でもみんなと同じクラスのお友達です。
時々、○くんはクラスの大きい声がうるさく感じて
泣いちゃったり、教室を飛び出しちゃったりするけど、
みんなで優しくしてあげてくださいね」
なんて感じで言われてしまう。
特別支援クラスに通う子には優しくしよう。
「優しくしてあげる」
という、上から目線の意識を知らず知らずのうちに
子供達に植え付ける教師達。
「○くんがクラスにいることで、
子供達は優しい気持ちを表すことを
学んでいます」
・・・っポイことは、よく、言われがち・・・
まあ、本当なんだろうけど、それを自慢げに話す
教師の気持ちに嫌悪感を覚えてしまうのは
ひがみ根性の持ち主の私だからでしょうか?
Aくんの担任の言葉の
「違う個性でも大丈夫」というセリフ。
「大丈夫」の言葉の中に、
Aくんだけこの中で突出した見かけだけどこのクラスに居られる、
って言うことは、
障害があっても受け入れてあげている、
本来は違うんだけど大丈夫、と思うんだよ、
とでも言いた気に聞こえるのは、私の気持ちが歪んでいるからでしょうか?
障害のある子が多数派の子の
「道徳教材」だったり
「優しさの度合いをはかるモノ」として見られているようで、
教師として、というより、
人としてどうなんだろう?
障害のある子をそういう目線でしかとらえられないって
人間としての品格がなさ過ぎる。
何だか腹立たしい気持ちになったり、悲しくなったり・・・
いろいろ考えさせられた出来事でした。
まっぷーさんはいつも
私が心の中で「もやもやっ」として言葉にならない気持ちを
上手に文章で表現していらっしゃいます。尊敬。
うちの子も、前の学校で 終業式のとき
全校児童の前で、実名を出されて
「○○君は いつもまわりの友達に助けられて とっても幸せですね。感謝しましょう。みんなありがとう。先生もとてもうれしいです」というようなことを校長に言われたことがありました。
ほんとのことですけど・・・・
私だって感謝してますけど・・・・
どーーーにも腑に落ちないというか、悲しくてみじめな気持になったのです。
自分が被害妄想かと思ったりもしたけど
やっぱり 今思い出しても悲しい。
それに、以前本で読んだのだけど
「障害を持っている○○さんだって 頑張ってやっているのに、君は努力もしないで恥ずかしくないのか」というような激励の仕方をする先生がいて、それは障害を持って頑張っているその子にとっても 言われている健常の子にとってもつらい言葉なんだとありました。
ほんとだよね。
教える側の人の 人としての気持ちの在り方が問われると思う。
「優越感に浸ってるの?」と思うことがありました。
「私はこんなに心が広く、優しい人間なんです」
「周りの子供達もこんなに優しく出来るように指導できました」
と言ってるように聞こえて、何だかモヤモヤして気持ち悪かったんです。
前コメントの校長先生の話、腹が立つ!
そんなこと言う人が校長なんて、子供達が心配です。
感謝なんて言われてするものではないし、
障害があろうとなかろうと、困っている人がいたら助けるのは当たり前、お互い様だと思うんです。
その都度、心からの「ありがとう」と「どういたしまして」を言えればいいじゃないですか。
障害のある人ばかりが助けられているような、
障害のない人が「助けてあげている」というような、
そんな考え方、言い方はおかしいんじゃないでしょうか。
コメントありがとうございます。
お久しぶりです。お元気でしたか?
校長先生の言葉、何でしょう?
何か大きな勘違いをされているとしか思えない。
もちろん感謝していますよね。
それを上から「感謝しろ、ありがとうって思え」
って押し付けられているようで、
また、その押し付けを「善意」「優しさ」と
自負しているかのような言い方が信じられない。
こうなってくると、アヤシイ新興宗教みたいで
なんだか薄ら寒いですね。
そうそう!
「障害のある○さんがこんなに頑張っているんだから
私たちも頑張りましょう!」って
よく言われがちだけど、
そこに何の疑問を持たない多数派の意識に
興ざめしてしまいます。
障害のあるものは確かに頑張っています。
だけど「頑張ること」を当たり前のように要求され
多数派の気持ちを動かす小道具のように
安易に使われることに常々ムカついていました。
正直、この記事をアップするのも
躊躇していたのですが
思い切ってよかったと思いました。
mariさんも息子さんもいろんな思いをされてきたのですね。
何だか切ないです。
コメントありがとうございます。
本当にこういうことを偉そうに言う教師って
やっぱり優越感なんでしょうか。
その優越感って自分の指導してきたことへと、
もうひとつ、障害のあるものを上から見ている優越感と
ふたつあるような気がしてなりません。
>障害のある人ばかりが助けられているような、
障害のない人が「助けてあげている」というような、
そんな考え方、言い方はおかしいんじゃないでしょうか。
本当にそう思います。
そういう考えはやっぱり、
「私たちは障害がなくてよかった。
だから障害のあるあなた達を助けてあげます。
私って優しいでしょ?」
って、言葉の裏にあるように思わされます。
「感謝しましょう」なんて言われるなんて、
まったく持って障害のある子を
逆の意味で侮辱しています。
傷つけています。
そういうことも感じられない人たちが
教壇に立っているんですよね。
恐ろしいです。
母になってから、今まで担任してきた子ども達のこと、その保護者の皆さんのことを思い返すと穴があったら入りたいと思うようなことをたくさんしてきたように思うのです。そして、何度が担任したことのある自閉症の子ども達・・・自分なりには一生懸命ではあったけど、その子や保護者の望むことの半分も理解しないで担任していたかもしれません。そして、その頃の私は、皆さんが書かれているような上から目線で接していたかもしれません。恐ろしいことです。
母になり、息子と一生懸命歩んできたこの1年半で私はたくさんのことを考え、今までとはずいぶん違う自分になったような気がします。あと半年したら、教職に復帰する予定ですが、その時には今までとは違う心構えで子ども達や保護者の皆さんに接したいと思っています。どれだけのことが出来るか全く分かりませんが、こういう思いは息子からのかけがえのない贈り物です。逆を言えば、息子がいなかったら、母としてある程度以前よりは変わったと思いますが、今ほどの思いはないと思うのです。
教師として首を傾げたくなる方はたくさんいらっしゃいます。教師をしていること自体が論外というようなひどい教師も最近ではたびたびニュースに出てきます。でも、私は、教師としてひとつ思うのです。教師もたくさんの経験を重ねて成長していくのです。だから、教師にも少し時間をいただきたいのです。そして、ぜひ、子育ての中で感じたこと、得たこと、疑問に思ったこと、等々、話していただけたらと思うのです。もちろん、我が子に障害がある親の気持ちがそれで完璧に理解は出来ないでしょう。でも、心ある教師ならば、少しでもそういう思いに近づく、寄り添うきっかけにし、努力すると思うのです。
この意見自体も、上から目線かもしれません。けれど、そのことに気付くきっかけを与えられるのは、障害を持った子どもを日々育てている親しかありえません。どうか、教師にそのチャンスを与えてください。
コメントありがとうございます。
私も秘密さんと同じように感じていました。
障害のある子を使って
クラスをまとめよう、というか
やっぱりある意味「教材」的な扱いをされているようで
とても気になっていました。
娘さん、せっかくのやる気を
クラスの他の子の優しさを表現させるために
押さえ込まれたような感じさえしますね。
確かにクラスの、先生の指導の美談に
されている、と感じても仕方がないですよね。
本当の優しさや思いやりって
先生に言われてやるものじゃないし
本当の優しさって目立たないように
気配りしてくれるものだと、私も思います。
それに私たちが学校にお願いしている「配慮」って
クラス全体に優しくして欲しい、
特別に思いやって欲しいわけじゃないはず。
先生方も障害のある子の自尊心や意識も
理解して欲しいですよね。
コメントありがとうございます。
まず、始めにこの記事の補足をさせてください。
私は決して「学校の先生全て」のことを
非難しているわけではない、ということを。
幸せなことに、のび太は今まで
とても素晴らしい先生方に担任していただき、
そのおかげで今の成長できたのび太があるのだと
思っています。
もちろん、なかなかこちらの気持ちが伝わらず、
ヤキモキした担任もいましたが、
それでものび太のために最善の配慮をしていただいたことは
真実です。
しかし、その反面、というか、
のび太がいい先生とばかり出会っているせいなのか、
記事にした先生の話を聞くたびに
愕然とすることも確かです。
教師ばかりではなく誰しも間違ったこと、
人を傷つけてしまうことってあります。
問題はその後のフォローだと思います。
教師だって傷つけたら謝って欲しい。
のび太の1年の時の担任は何度も記事にしましたが
新任2年目の若い先生でしたがとても尊敬に値する、
素晴らしい方でした。
ただ一度だけ、「のび太の独り言に対してお友達が、
『キモイ』とか『バカ』とか言われるので
のび太が泣いて帰りました」と
連絡帳に書いた時、先生は帰りの会でクラス全体に
「誰にだって癖があります。のび太さんの独り言も
癖なんです。それに対してバカとかキモイなんて言うのは絶対にいけないこと」
と、みんなに話したらしいのですが、
のび太はクラス全員の前で言われたことにショックだったらしく、
「のび太はみんなの前で言って欲しくなかったと、
泣いていました」と言ったら、
後でのび太に個人的に先生は謝ったらしいのです。
「先生ものび太くんのためにみんなにお話したんだけど
そのことでのび太くんを傷つけてしまってごめんなさい」と。
これこそが教育なんだな~と10歳以上も年下の先生を
心から尊敬した出来事でした。
思いやり、配慮って、きっとこういうことなんだと思うんです。
目立ってアピールするようなことが
配慮や思いやりではないと思うんです。
ましてやmariさんのコメントにあるように
校長先生が全校生徒の前で「感謝しましょう」なんて
言うことでもないし、
障害のある子はクラスの優しさのものさしでもない。
教師はもちろん、授業中は「上から目線」で
かまわないのです。
子供達は先生を尊敬するような知識と人格を
持ち合わせているべきですから。
だけど、障害児に対しての見識は
やはりちょっと歪んでいる方が多いと
思わざるを得ない現状でもあります。
テディベアさん、ごめんなさいね。
こんな記事を書いたことでテディベアさんを
傷付けてしまったのでは?と思っています。
私はテディベアさんのような方こそ
本当の意味で子供達の心に寄り添って下さるのでは、
と思います。
もちろん、経験も大切だと思います。
でも、経験の浅い若い先生方でも
それが出来る方が居るのも事実です。
逆にいくら経験しても理解できない人もいます。
ただ、教師にとっては1年間の担任でしかないかもしれませんが
子供達にとっては先生の言葉や態度で
一生が左右されることもあるのです。
その重みを忘れないで欲しい。
テディベアさんがここにこうして、
コメントを下さったことにとても感謝するとともに
人として尊敬の念を抱いております。
本当にありがとうございます。