2008-07-07(Mon)
先週、サバン症候群の3人の方をクローズアップした番組、
見た方も多いと思います。
私も旦那といろんなことを思い出しながら
釘付けになって見ました。
いろいろ考えさせられたのは最後に紹介された、
映画のモデルにもなった重度自閉症のサバンの方。
毎日電話帳をチェックし、すべてを暗記。
何千冊もの本を丸ごと暗記する記憶力。
過去の日付から曜日を言い当てる。
まるで、のび太のようでした。
今でこそ、サバン的な能力は薄らいできているのび太ですが、
3、4歳の頃は確かにカレンダーサバンだったのび太。
今でも、一度辞書で引いた言葉は何ページにあるか、
覚えているのび太。
幼稚園時代に読み聞かせた本はすべて暗記していたのび太。
今でも国語の本などは丸暗記です。
音読の宿題も一応、教科書を開いていますが
見て読んでいるわけではないのび太。
テレビで紹介された彼とのび太はおそらく知能的にも
差があると思うので
同じように考えては間違いかもしれませんが・・・
彼は父親なしでは生活できない。
靴下さえも父親の手を借りなければ履けない。
彼のすべてを認めて愛して、
自分が彼のそばにいてあげなければ・・・
親としていろんな思いで彼に寄り添って生きてきた父親は
すでに80歳を超えている。
テレビでは、父親のこのような愛情によって
彼の驚くべき素質がはぐくまれてきた、
と言った感じで終わっていたが・・・
確かに、彼の親として精一杯の愛情表現が
すべての彼の世話をして生きることだったかもしれないが、
それが子供にとって果たして本当にいいことだったのか。
親は大抵、子供より先に死ぬ。
年を取れば体調も崩す。
自分の子供とはいえ成人した子供の日常の世話を
すべてこなすことは本当に大変なことだ。
重度の自閉症だってきちんと教えれば自分の身の回りのことは
できるようになる。
教えることを怠ってきたことは
自分が死んでから子供にツケのように回ってくるのでは?
と、考えてしまう。
のび太は軽度自閉症だ。
軽度、というのは自閉傾向が軽い、ということではなく
知的な遅れがない、ということだけだ。
確かに重度と軽度では身の回りのことを教える困難さも
かなり差はあるかもしれない。
だけど、親としての責任は、
自分がいなくても最低限のことができるように教えていくことで
あるのかもしれない。
療育に通っていた頃、
重度の身障で(車椅子でした)
知的にも障害の重い子のお母さんが話していた言葉が
印象的で忘れられません。
「いずれ、この子は施設に入ってしまうかも知れない。
私たちと一緒に生活できる時間は限られているかもしれない。
自由に動けないし、意思を伝えることも難しいけど、
せめて『ありがとう』という言葉の使い方だけでも
教えてあげなくちゃ、と思っている。
だって、この子は絶対に人の手を借りなければ生きていけない。
その時に『ありがとう』と感謝を表現できるように・・」
いろんな人がいる。
だからいろんな気持ちがあって いい。
子供への愛情表現だって人それぞれでいい。
だけど、親の満足や、親の気持ちばかりを
子供に押し付けていたら、
それが愛情だとしても、いつか歪んでくる。
いろんな愛の形があって いい。
だけど、子供主体でなければ
子供は親と向かい合っていても、気持ちは孤独なままだと思う。
私もその番組みてました。
だけど、自閉症=サヴァンって思う人もいるだろうなって思う。
実際に妹達が「お兄ちゃんにそっくりだけど、お兄ちゃんもサヴァンなの?」
って目を輝かせて聞いてました。
サヴァンの方をTVで見ると、いつも母親か父親が身の回りの世話をしてて、
まっぷーさんが感じているように、私も親が亡くなった時、あの子達は
どうなってしまうんだろう?って思います。
サヴァンの能力をいかせる環境にあるからこそ、今は良いのかもしれない。
もし、その環境が大きく変わっても同じようにサヴァンの力をいかして
生活できるのかなって。
キングオブサヴァンの方が最後の方に言った言葉で
「僕と父親は一心同体」と言った時、とても複雑な気持でした。
息子は私にべったりです。人からみたらやっぱり「甘やかしている」と
思うかもしれないです。そこまでしなくても?って事まで手を出している
かもしれないです。
息子にとって良い事と私にとっていい事は違うけど、人は誰だって
人の世話にもなる。人と関わる事で大切なのは、感謝の気持ちかもしれない
ですね。息子にも素直に感謝できる心をいつでも持っていてほしいです。
子供の秘めた能力を最大限に発揮させてあげられたのも、親の手助け、理解があっての事だと思うのですが、その一方で、お互いに依存・干渉しすぎて、親がいないと何もできない状態であるのは、とても残念ですね…。
私がオトの障害を知ったときに、まっさきに思ったのは「私が死んだ時、オトは自立してやっていけるのだろうか…?」という不安でした。そしてそれがやがて「自立してやっていけるように導いていかなきゃいけない」に、気持ちが変化していきました。何をやらせるのも、できるだけ手を貸さないように心がけています。手伝ってあげた方が早く済むし、簡単なのですが…、それは子供をのばす事には決してならないと思って我慢しています(苦笑)
どんな時でも「子供主体」。とても心に響きました。手をかけてあげるのも愛情かもしれませんが、それは子供のためを考えているのではなく、ひょっとしたら親の自己満足なのかもしれないですね。本当に困ったときに、そっとフォローしてあげる。自分でできそうな事は時間がかかっても手を出さずに見守る。子供の意思をまず聞くようにする。私も徐々にそういう風に子供と接するように心がけています。(思わず口を出してしまったりの、まだまだダメママなんですがね;;)
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うちも、家族であの番組を見ていました。
わ〜すごいな(うきうき♪)へ〜すごいな(うきうき♪)と他人事のように
娘と見ていましたが、うちにも軽度の息子が1人。
もちろん、特別な能力があるわけではなく、困りごとのほうが多いので
ある意味、やっぱり他人事でしたが。
で、あのお父さんと息子。最初は、この先どうするんだろ?って思いましたが
でも大丈夫って思いました。
多分、あのサヴァンの息子、
お父さんがなくなったら、3日として持たないいだろうと思います。
もともと、14歳までしか生きられないって言われたところを
お父さんの努力であの年まで頑張れたのです。
80歳まで生きて世話してきたお父さんもすごいけど
お父さんのおかげで生きてこれた彼も、もうそれで十分じゃないのでしょうか?
彼に、配偶者がいて子孫がいて、周りの人間がいたら
この先どうするの?って思いますが、後にも先にもあの親子は2人っきり。
最初から、2人っきりなんです。
だから、きっと死ぬ時も一緒だろうなって思った。
それは、普通の家庭ではあまり味わえない神様からのプレゼントじゃないかな?
私たちは、自分の死後も軽度の息子たちたどんな苦しい人生を歩むか
長い先を考えて苦悩し、不安になりますが
やっぱり、死んだあとは、もうどうにもならないんだ、そう悟るのも
自閉症者の親として、いつか迎えなければならない親の心理じゃないでしょうか?
最近は、腹をくくって、今やれることを一生懸命やる。それだけを考えています。
我が家は年とってできた我が子なので、
親がよその家よりもうんと先に逝く可能性が高いのです。
あまりそのことにこだわっていたら、何か1つを身につけるよりも
親が欝になってしまうほうが先になってしまうから。
あせらず、かまえず、受け入れる。できないけどできるような自分になりたい。そんな毎日です。
のかさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
確かに全く自閉症の事を知らない人が見たら
自閉症の人ってみんなサバン的な能力があるの?
って感じるかもしれないな、って私も思いました。
どうしてもこういうことをテレビで取り上げると
こういう感じになるんでしょうね。
>「僕と父親は一心同体」
ここに私も考えせられました。
確かにこうして二人でいる間は一心同体でもいい。
親がそれを望んでやってきたことだから。
子供もこれが当たり前と生きてきたのだから。
でも同じ親としてそれはあまりにも無責任のようにも思える。
自分の気持ちばかりで
これが最上級の愛情表現だったとしても
本当にこれでよかったのか。
ま、この親子がお互いによけりゃいいじゃん、
ってことなんでしょうけどね。
でも、同じ重度の自閉症の子もたくさん知っていますが
みんな自分のことを自分でできるようになることで
生き生きしてくる姿も見てきているので
う〜ん・・・どうなのかな?って
ちょっと複雑な気持ちで考えてしまいました。
ニコさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
サバン的な能力って確かに、
社会生活に適応できるようになると薄らいでゆく、
と言われています。
確かにのび太を見ていてもそう思います。
でも、のび太は「みんなと同じように出来るようになりたい」
という願望が強かった。
だから、じゃあみんなの中で生きていく術を
教えてきたつもりです。
それで確かに今は一通りのことは自分でできる。
普通クラスでもなんとかいろいろありつつもやっていけている。
そしてその分、幼稚園時代まであったサバン的能力は
だんだん影を潜めています。
それでよかったのか。
のび太はもしかしたらサバン的な能力の方が
欲しかった、あの能力を失いたくなかった、って
思うこともあるのかな?
なんていろいろ思うこともあったりして。
結果、親と一心同体だったとしても
親がいないと何も出来ないまま成人したとしてもいいと思う。
だけど、それが子供の意思とは違うものであったら
やっぱりそれは悲しいと思う。
自分自身にも言い聞かせていることdもあります。
秘密さん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
そう。子育てに正解なんてないですよね。
子育て本みたいなものもたくさんあるけど
そんなものに当てはまらないうちの子は
じゃあ失格なの?ってことになりますもんね。
私はあくまでも私の目線で思うことですが
自分の息子には自分の望むような生活を
送って欲しい、と思います。
幼稚園の頃、サバンな能力の塊だったのび太。
でもその反面、お友達と一緒にできない自分に
いらだっていたのび太。
パニクリながらもお友達の中にいることを
切望していたのび太にはやっぱり親として、
お友達と仲良くする方法、きまりを守る、
自分のことは自分で、など、
人として基本的なことを視覚化して教えてきました。
でもそこに親としての理想があった。
自分の子供はこうあって欲しい。
そこで無理にさせてきたこともあったかも・・・
いろいろ考えてしまいます。
この番組でいろんな気持ちがよみがえりました。
旦那も一緒に見ていましたが
「のび太ももし、幼稚園が嫌だ、学校が嫌だ、って
あのままののび太を溺愛していたら
きっとこの人と同じようになってた。
良くも、悪くも。」と。
それから秘密さんのおっしゃるテレビは
全く知らなくて見てもいないし録画もしていません。
ごめんなさいね。
四音さん、こんにちは。はじめまして。
コメントありがとうございます。
>多分、あのサヴァンの息子、
お父さんがなくなったら、3日として持たないいだろうと思います。
もともと、14歳までしか生きられないって言われたところを
お父さんの努力であの年まで頑張れたのです。
80歳まで生きて世話してきたお父さんもすごいけど
お父さんのおかげで生きてこれた彼も、もうそれで十分じゃないのでしょうか?
うん。私もそう思いました。
でも本当にそれでいいのかな?とも思いました。
親として自分の愛情と称して
息子のすべてのことを世話をして生きてきて、
自分が死んだらこの子も生きていられないだろう・・・
と、それで本当にいいのかな?と。
ま、この親子がそれでいいのでしょうから
他人の私がとやかく言っても始まらないのですが
自分のこととして考えたときに四音さんがおっしゃるように
>やっぱり、死んだあとは、もうどうにもならないんだ、そう悟るのも
自閉症者の親として、いつか迎えなければならない親の心理じゃないでしょうか?
というところまで達観していない未熟な母でして(笑)
かといって、常に自分の死後のことを考えて
あれも出来るように、これも出来るように、と
せかせか教え込んでいるわけでもないのですが。
>最近は、腹をくくって、今やれることを一生懸命やる。
まさにこれです。
それって我が家の息子にとってはやっぱり
最低限の生活を送れるように、と言うことだと思います。
それぞれの子供も100人100通りであるように
親の子供への愛情も100人100通りでいいんです。
このサバンの親子の事だって否定しているつもりはありません。
その親子がよければ幸せなんだと思うし。
だけど、私は自分が死んだあとのことまで
子供のことは責任持てないよ、って思えなくて。
のび太が幼稚園時代に「みんなと一緒」にこだわったのは
きっとこういうことへの布石だったのかも、
なんて思っています。
確かにそうですよね。
今のうちにできること、
今しかできないことを、
親としてしっかり伝えておきたい、
そう思います。
うちの子だけに限らず、
人間は多かれ少なかれ、
さまざまな場面で助け合っていかなければならない。
そんなときに、
心からの「ありがとう」が言える人であってほしい。
まずはここからかなぁ。
いろいろ考えていくと難しいことだらけだけれど、
出来ることしか出来ない。
無理をしたら長続きしない。
などと、
ちょっと自分に甘い最近の私です^^;
その番組、私も見ました。
とても感動して、ホントに涙が出そうになって・・・
ただ、彼らは特殊な能力を活かして、自立というか生活する糧にした
ということで、才能を世に認められたから取り上げられてるけど・・
いつも悩んでしまうこと。
療育を強制的にするのがいいのか、ただ、親が子供を受け入れて
支えていればいいのか・・
答えは、ひとりひとり、違うのでしょうね。
親の選択に子供の将来がゆだねられるのか・・と思うと
責任、重いです・・
障害とは、周りと違うということで、違うからこその価値観があるのかな
と思うのですが、実際に社会に出るには、必要な能力がありますね。
短所が長所になりうる、ということ。
長所を伸ばすと短所も伸びるということ。
才能をどうやって、自立へ結びつけるか・・
自立できるのは、運が良かったからなのか・・
その将来はどうなるのか・・とても、深い問題ですね。
答えは、なかなか、でないと思います。
でも、同じ番組を見て、まっぷーさんが記事にしてくれて
私はまた、すごく感激しました。
一緒に考える時間をくれて、ありがとう〜〜。
がにめどさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
うんうん。
今しか出来ないこと、今のうちに出来ること、
それでいいんですよね。
親も子供も無理しない程度に
でも、子供が恥ずかしくないように。
やっぱりあいさつって大事ですよね。
ありがとう、ごめんなさい、あと基本的なあいさつ。
これだけで充分可愛がられると思っています。
いろいろ考えると頭バーンってなりそうだから
ほどほどに子供にも教えていきたいと思っています。
ムスカリさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
いくら特殊能力があっても
それを職業?として生きていける人は
おそらくほとんどいないわけで、
そういう能力を持っていても必ずしも
それを生かせるとは限らない。
>療育を強制的にするのがいいのか、ただ、親が子供を受け入れて
支えていればいいのか・・
私の場合は診断された当時、
障害がある、だから療育に通う、と言う図式が
当たり前のように思っていました。
パニックを減らすにはパニックの理由を知りたい。
だったらコミュニケーションを取れるようになりたい、
その一念でした。
療育がのび太にぴったりはまって、
先生方もビックリするほど精神的に落ち着いてきて
パニックも劇的に減ってきた。
パニックで辛い思いをする子供に
おろおろするだけの自分が情けなかったけど
親も子も療育のおかげで落ち着いてきた。
みんなの中に入りたがったのび太は
少しずつルールを覚えてみんなと同じことが
出来るようになった。
でも、今、時々思います。
その「社会性」を得たことでのび太は明らかに
サバン的な能力が薄らいできました。
正直、後悔はしていません。
のび太自身も望んだことだったから。
療育に行くこと、幼稚園、学校に行くことを
とても楽しみに生きてきたのび太ですから。
だけど・・・他の方のお返事にも書いたように
「のび太ももし、幼稚園が嫌だ、学校が嫌だ、って
あのままののび太を溺愛していたら
特別な能力だけを大事にしていったら
きっとこの人と同じようになってた。
良くも、悪くも。」
と、旦那と話しました。
それが良いことか、間違いなのか、誰もわからない。
結局、親の判断でしょう。
だけど、少なくても私たちはのび太の意思に
反することを無理強いさせては来なかった、
ということだけは、自信を持っていえるかな?