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2008-04-02 (Wed)
本日、ふたつ目の記事・・・
やる気満々?って訳じゃないけど・・・



「配慮をお願いする文書」を記事にして(前々回の記事)
いろいろ頭の中で考えているうちに、
どうにも納得がいかない言葉に引っかかった。

    



     
「特別支援」




特別支援・・・って?

「特別」に「支援」してあげるよ、ってこと?




以前、ある方からいただいたコメントが思い出されます。

『「特別支援」なんていうものを掲げないと、
この子たちの存在にすら気づいてくれない。
本来、ひとりひとりの子供が、何につまづいているか、
辛さや苦しみに寄り添ってくれれば、
あえて、発達障害だからって目を向けなくても、
誰にでも手を差し伸べ、気持ちを傾けるべきこと。
そういうことが出来ない教師、というより大人がいない。
だから「特別支援」なんて「上から目線」なネーミングかつシステムが
教育の中に出来上がってしまったのかも。』


結局、学校と言うものは、
表向きは「個性を大切に」「ひとりひとりみんな違っていいんだよ」
なんてうたいつつも、
実のところ、個性的な子供は友達からKYなどと言われるし、
授業でも画一的な発言をしないと先生は困るんだろうし、
みんなと同じようにできないことは許されないことだし、
辛さや苦しさの表現方法すら、画一的でないと許されないのだ。

辛いことを泣くことでしか表現できない子も、
気持ちも体も硬直してしまって動けない子も、
体調を崩すことでしか表現できない子がいることも、
理解できやしないのだ。


だから、「特別支援」という「枠」を作って、
手のかかる子をその枠に入れちゃって。

でも、だからと言って、この枠の中の子の気持ちとかは、
棚上げ状態なのだ。

「枠」を作っただけだから。

「配慮して欲しい子はこの『枠』に入って!
 入らないと『支援』しないよ!」

・・・ってことか?!






今まで、のび太はとても順調に成長できている方だと思う。

それは「特別支援」があったからではない。

正確に言えばのび太は「特別支援」の「枠」には
入れなかったのだ。

普通クラスで先生に迷惑かけずに何とかやっていけていれば、
「枠」に入れないのだ。
たとえ心の中は荒れ放題だとしても。

だけど、先生方には配慮していただいたし、
とても恵まれた幼稚園、学校生活を送っていた。



「特別支援」という、その枠組みの不自然さが納得いかないなぁ~





個人的な雑感でした。
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