あまり楽しくない記事ですので、スルーしたほうがいいかもしれません。
気持ちに余裕のある方だけ・・・。

3年生になったらスポ少に入れなきゃ!
そういうところでいろんな経験を学ぶものよ!
どうして、させないの?!
男の子は家にばっかりいて、厳しくしつけようとしてもダメなのよ」
用は、親の私がそういう環境を作ってあげないなんて、
親として手を抜いている、と言いたいようだ。

自分なりのスケジュールが立て込んでいるんです。
やりたいことがいっぱいで、のび太は充実しているんです。
スポーツはのび太がしたくなったらすればいいし、
やりたいなら止めませんけど、今は他に興味のあることが
いっぱいあって忙しいみたいで・・・」

歴史とか漢字とか、そんなのはこの先、
いくらでも出来るんだよ!
外で駆け回って遊ぶことって、今しかできないんだよ!」
・・・・・・・・・・。
絶対に理解しあうことがない、不毛のやり取りです。
こういう人と関わらないようにしていても、
相手は事あるごとに、自分の固定観念を押し付けてくるのだ。

やれば何でもできる人なんだから
趣味のサークルとかに入らないと!
どうせ友達もいないんでしょ?
ただ家にいても友達も出来ないのよ。
人生の張り合いがないでしょ?」

家の中、見てもらえばわかると思うけど、
趣味には事欠かない人なのよね。
物を作るのが好きだから、わざわざサークルとかに行かなくても
充分、趣味はたくさんあってね。
で、おかげさまで腹を割って話せる友人もいるし、
くだらない話で1日過ごせる友人もいるし、
犬つながりの友人も出来たし、
外に出なければ人と関われないってこともないと思うんだけど」

もっと充実した生き方を模索すれば、
やっぱり外に出なくちゃいけないと思うの。
趣味だってね、ひとりでやってるより、
同じ趣味の仲間とやった方が絶対に楽しいのよ」
だーかーらー!!!
あなたといくら言い合っても絶対に分かり合うことはない。
私はあなたに幼い時の抑圧された心を解き放つために、
「自分は自分、他人は他人」をモットーに生きてきた。
生き方なんて、本人が満足していればいいのだ。


自分の思い通りに成長しない子供を否定してきたあなたと、
会話なんてできません。」
昨日、母親から手紙が来た。
記事中の私のセリフは、私の心のセリフです。
今まで何度となく、言い続けてきた私の言葉。
そんなものはいつも無視。


~~~って思ってるよ。」



いいから。無理しないで。」
小さいころから、何度も何度も繰り返されてきた会話。
私の本心はこの世のどこにもなかった。
口にすれば否定されるだけだった。
それも、一見、優しげに。
母は、自分は愛情あふれる人の気持ちがわかる人間だと、
自負していた。
そのわけのわからない自信はなんだったのだろう。
幼い私は、自分の本当の気持ちは人として間違っているんだ、
と、思っていた。
母親の言うとおりに思うことが正しいのだ、
と、思わされてきた。
しかし、成長につれて、
いくら考えても私の気持ちは間違っていないことに気づく。
そして、私の気持ちは母の前では自由にならないことも知った。
愕然とした。
私の気持ちを聞くことも、聞いても理解することもしない。
だからもう、反論もしない。
何も反応もしないことに決めた。
自分の言いたいことだけを言って満足することが、
愛情に見せかけた冷たい手で
私の首を絞めたり口をふさいだりしているのだと言うことに気づかない。
それで私の精神が壊れていくのだ、と言うことも、
いくら言っても受け入れようとしない。
そして、何故かあなたの中で私のイメージが
『友達がいない』『無趣味』『厳しくしつけている』
と、凝り固まっているのが不思議でならない。
もう、いい加減に私の心を自由にしてください。
ありがとうございます。
今まで、自分の親とのことは書けずにいました。
でも、もしかしたら書くことで気持ちが変われるかも、
と、記事にしました。
良かったのか、どうか、まだわかりませんが。
人生って結局、プラスマイナスゼロだと思います。
幼い頃、家族で満たされなかったものが、
今、自分が築いた家族に補ってもらっているのかもしれません。
・・・でも、自分で「今は満たされている」とブログで書いても
なんだかむなしいですよね。
実像は誰にも見えないんだし・・・。なんて。
秘密さんのコメント、本当に胸にしみました。
ありがとうございます。
読んで下さっていたんですね。
ありがとうございます。
共通点もあって親近感がわきます。
親でもどんなに近い間柄でも、
お互い人それぞれの気持ち、立場、考えなど
認め合い尊重できる関係を求めているんですが、
なかなか許されないようで・・・。
本当に難しいですね。
これからも読んでくださるとうれしいです。
息子の障害に気付いたのは母でした。だからといってすべてを理解しているわけではなく・・・
息子に友達が出来ないのはあなたが外にでていかないから。
あなたも友達が作れない。
趣味がないから息子の事ばかり考えて悶々としているのだ。
etc.
電話で言われるたびムカッとします。でもあまり反論はしません。なぜなら彼女は自分が一番正しいと思っているから・・・違うことを言おうものなら「あなたは変わってる」「ばかじゃない」です。
子供のころ親や先生を神のように思っていました。絶対正しいんだと。
母を怒らせるとわたしが謝るまで何日も口をきいてくれないこともありました。わたしが悪くなくてもとりあえず謝る、そうやってやり過ごしていました。
あなたがガミガミ言い過ぎるから怒られることに慣れて○○(息子)がいう事をきかない。と以前言われた時、自分の子供のころを思い出して「自分だけ穏やかに子育てしたみたいに言わないでよ!!」と言ってしまいました。母に泣かれました。ああもう母を否定する言葉は言わないとその時思いました。
息子を叱る?怒る?とき自分が母と似ていると感じます。穏やかになりたい。どうしたらいいのだろう。
うちは転勤族なので両方の実家と離れています。病気したりすると実家が近い人はいいなあなんて思うことがあるけど、今は離れていて良かったと思います。
なんか愚痴ってしまいました。
ごめんなさい。
でもすっきりしました。わたしだけじゃないんだと。
私の両親は
「さちを育てたのは私達ではない」
と言っているので…
祖父母とは同じやりとりをした
せなとの事も以前ブログに書いたけど
「あなたでは子育てはできません」
と言われました
私なりにやってるのに悔しくて泣けてしまって…
祖母の前で泣いて何もいえなかった
受け入れているようで受け入れてないんですよ
だから何をしても
そんなんでいいの?
ってよく言われてます
コメントありがとうございます。
そうだったんですね。
私は今まで、親に感情を抱くなんて自分だけで、
私は異常で最低なんじゃないか・・・って思っていました。
でも、ブログを始めて、私と同じような痛みを抱えている方が
結構いらっしゃることを知って、少し孤独感は減ったような気がします。
>子供のころ親や先生を神のように思っていました。絶対正しいんだと。
私もです。絶対的な存在だと信じていました。
小学生高学年ぐらいになると行動範囲が広がるのに
許されている学区内の移動でさえ、
「そんなところに行ってもし何かあったらひとりで責任取れるの?
何かあったら迷惑なのはお父さんとお母さんなんだから」
と、自由はありませんでした。
子宮内膜症で手術して5年、子供が出来なかったときも、
母から手紙が来ました。
「友人たちはみんな孫が出来て羨ましいです。
何故、自分だけ孫がいないんだと思うと悲しいです。
とにかく頑張りなさい。夜だけじゃなく朝でもいいんですよ」
・・・信じられますか?
こんなことばかりですよ。
自分の欲求を満たすために、
不妊に悩む娘にこんなことを平気で言えるって。
結局、そういうことなんでしょう。
子供は自分の思い通りでなければならない。
なんだか、再びここでも愚痴ってしまいました。
私は実家とも車で10分の距離ですが、
こちらからはたずねることも連絡することもありません。
悲しいけれど、自分の精神状態を維持するには
これしかないんです。
いつもありがとうございます。
そうなんですか。
親でなくても肉親だとそうなる場合もあるんですね。
心配しているから・・・と、言います。
でも、心配って、その人の気持ちであって、
それをこちらに押し付けることって、
自分を信じていない・・・って言うことのようで
あまりにそれを押し付けられると自分がダメだから・・・って
自己否定感が強くなりますよね。
自分も親になって思うんですが、
心配・・・って思っても、させてみる、好きなようにやらせる、
それを遠くから見ている・・・って言うことの方が、
よっぽど子供のためになるような気がするんです。
もちろん心配だけど、それは親側の気持ちであって・・・。
う~ん・・・
コメントありがとうございます。
いいご両親ですね。うらやましいです。
私も旦那と結婚するときに、
「ああ、この人は早くお父さんが亡くなったんだけど、
お母さんはちゃんと旦那を信じて、愛されて育ったんだな」
って、実感するエピソードがたくさんあって、
羨ましかったのと同時に、自分の環境に愕然としました。
信じられて育てられると人を信じる人間に育つ、
私のように「あなたには出来ない」「毎週出かけるけどホントに部活なの?」
などと、行動を逐一疑われて育てられると、
懐疑心の塊、自己否定感の塊でいっぱいに育つ・・・。
お義父様との同居は大変ですね。
確かにいろいろ言われてつらいと思います。
でも、実の親じゃない、と思えば根底は深いものではないのでは?
それにしても、この子たちはどうしてなかなか認めてもらえないのでしょう。
いくら「障害が・・・」って説明しても受け入れられない。
かわいい孫だから余計に・・・?なのかな?
それにしてもかわいい孫であれば、なおさら、
そのままで充分かわいい、って思うのじゃないだろうか・・・?
なんて思ったりもしますが・・・。
子供のことをいろいろ言われるのは本当につらいですよね。
考えあってのことでしょうね。
親と子の関係って、いつも一緒にいる分・いた分、他人より濃い部分と
薄い部分があるのでしょうね。
この記事を読んだ時、ううん・・・その前の記事も読んだ時もです。
子供の頃のまっぷーさんを、ぎゅーっと抱きしめたくなりました。
でも・・・人の心をまっぷーさんの考えを分かっているという思い、そのお母様の気持ちも
分からなくもないです。
・・・っていうのも、私も今ももしかしたらこれからも、少なからずしている事・
思っている事なのかも知れないからです。
私もだいのじに対して、今してるかもしれないと思ったら
ハッとしちゃいました。
でもでも、そう思っていた、未だ思っていらっしゃるまっぷーさんの悲しみというか、
お気持ちもすごくすごく身に沁みます。
言葉で表すのは難しいですね・・・。
つたない私の言葉が、私が思っている事と合っているのか
少々分からなくなってきました。
最後になりましたが、私が今言えること・・・
子供の言葉に、本当に寄り添っているかどうか?いつも自問自答していくこと。
そして子供が、いつも笑顔でいるか?って私自身も周りが見れる余裕がある状態でいたいです。
私にとって難しいことですが、心にとどめておきたいです。
コメントありがとうございます。
本当にありがとうございます。
私もともりんさんとは、通じる気持ちがあるように
思っていました。ずっと。
とってもうれしいコメントでした。
コメントありがとうございます。
母のことは、今までずっとずっと、こういう気持ちを抱く自分は
人として最低な人間だと思っていました。
だけど、ブログを始めていろんな方の記事を見て、
自分だけではない、と言うことも知り、
少し救われた気持ちになったりしていました。
でも、いざ、自分の親のこととなると、自分で記事にすることは
できませんでした。
だけど、のび太との親子関係を書いていくうちに、
自分と親との関係も振り返る・・・
必ずフラッシュバックで傷つく・・・の、繰り返しです。
私は「自分が幼い時に経験した痛みを、のび太にさせないように」
という一念で子育てしています。
だから、一度はきちんと書いて、自分の中で気持ちが
どう変化するのか・・・を知りたかった。
今は、まだわかりませんが。
・・・・と言っても、時々、自分が親にされてイヤだったこと、
言われて傷ついたことをのび太に言ったりしている事があります。
そんなときは自分もパニックになります。
どうしても逃れられない・・・と言うのはここにあるんだと、
ショックで自己嫌悪でどうしようもなくなります。
きっと、私は高いう事を学習するために生まれてきたんだ、
と思って踏ん張っています。
かのんさんのコメント、うれしかったです。
ありがとう。ほんとに・・・。
義理の親のことは笑い話にも出来るけど、
実の親のことはどんなに親しい人にも
なかなか言えません。怖いです。
たぶん、うちの母も自閉圏の特長を持っているんだと思います。
だから自分で作り上げた固定観念から抜け出せない。
だとしても許せないでいる自分が情けないです。
私ものび太を産んで2ヶ月で仕事を再開しました。
「かわいそう」「保育園に預けるなんて」
「まだおっぱいも飲んでいるのに」
と、散々言われました。
他のお母さんなどは率先して預かって見てくれたりするのに、
非難するばかりでした。
母親は3歳までは子供といるのがいい、と言う幻想です。
確かに仕事のスケジュールを変更したりなどで
続けていくのが困難で退職せざるを得なくなりましたが
そのときも父親は「辞めるなんてもったいない」って、
言ってくれたのですが母は「当たり前よ、母親は」と。
で、のび太が3歳頃になると「働いたら?」・・・。
一度退職すると、そう簡単には戻れない職場なんです。
そういうこともわかっているようで何にもわかっていない。
自分の気持ちだけで相手を翻弄して平気な人です。
もちろん、のび太の障害のことも話したけど、
理解するなんて無理です。
「こういうときはこう接して欲しい」とお願いしても、
「子供なんてそういう育て方じゃダメ」
実母を反面教師としてのび太を育てています。
いいのか悪いのか・・・?
振り返れば振り返るほど、否定されてきた思い出ばかりが
よみがえってくる悲しさ・・・。
やっぱり記事にしたところで癒されることはなかったのかもしれません。
よく分からない内容に対して、とても温かく感じられるお返事、
嬉しかったです。
反面教師って言葉、私も心の中で持ってます。
私の親は子育てに関しては口を出してきません。
そっとしておいてくれます。
そうではない部分で、小さい頃から見ていた両親間の関わりや、
それぞれ父親・母親のマイナスな部分を、私はすごくいやでした。
だから私自身は、母のように弱くはならない・父のような配偶者は
持ちたくないって、思ってました。
まぁ、はたから見れば、ごく普通の家庭で育ってきたように見えると
思いますが・・・。
もしかしたら、どの家でもどの家庭でも、多かれ少なかれ
個人個人が、色々な事を抱えているのではないでしょうか。
ただ、その大きさは違いがあることでしょうけど・・・。
だから、まっぷーさんが今までも今現在も、親御さんに対して
抱いてきた感情は、あって叱るべきだと思います。
吐き出すことで、すぐには癒える事はないかもしれません。
書き出すことで、何か少しでも変われるといいなと思います。
自分の胸にしまっておくだけでなくて良いと思います。
記事にしたことを、マイナスに考えなくてもいいような気がしてなりません。
まっぷーさんは、まっぷーさんなのですから。
再びコメントありがとうございます。
とても私的な記事だし、
こんな人として最低な感情をむき出しにして、
かのんさんはじめ、皆さんに
好意的なコメントを頂けるとは思っていなかったので
安堵と感謝の気持ちでいっぱいです。
今でも記事にして良かったのかどうかも、
自分の気持ちに変化があったかどうかも分かりません。
でも後悔はしていません。
とにかく自分の気持ちを安定させることに精一杯です。
かのんさん、ホントにありがとうございます。
これからもこんな私とのび太を見守って下さるとうれしいです。
そうだったんですね。
同じような気持ちをお持ちだったんですね。
私もこのことを記事にすることはできないだろう、と
ずっと思っていました。
思い切って記事にしてみましたが、自分の気持ちの変化も
まだわからないし、本当によかったのか・・・?
でも、このブログを書いている上ではここを避けては通れないようで・・・。
ありがとうございます。
秘密さんとの共通点があったことが、
きっと、私が秘密さんのブログに惹かれる理由の
ひとつなのかもしれませんね。
これからも時々、私のことを見守ってくださるとうれしいです。
コメントありがとうございます。
力強い言葉、ありがとう。
そうですよね。
親だから嫌ってはいけない、
親だから子供は何でも従わなければならない、
・・っていう幻想にとらわれすぎていて、
どんどん自分を嫌いになって行きました。
別人格ですよね、確かに。
もちろん、似ているところもあるけれど、
親と子はイコールであってはいけないはず。
でも、母は親と子はイコールであると思っているようです。
こちらが距離を置いても母はお構いなしに、
ガンガン土足で私の気持ちに踏み込んできます。
もう、つらいです。
秘密さん、ありがとう。
ちょっと心が軽くなりました。
コメントありがとうございます。
秘密さんもいろいろあったのですね。
私なんかよりも、もっと、辛い思いをされて
生きてきたのではないでしょうか。
私も高圧的な母に負けまいと、
強い口調で母に言い返して反撃してきました。
そのことを母は「まっぷーに叱られた」と表現します。
「娘に叱られるかわいそうな自分」を演出したいようです。
きっと、母も私の言っていることが正論だと思っているらしく、
そういう時に「叱られた」と言います。
でも、だからといって、
決して私の言っていることを理解しているわけではなく、
同じことの繰り返し・・・
きっと、私と母も絶対に理解し合えることはありえないでしょう。
私もきっと、精神的にどうかしているんだと思います。
もし、精神疾患を診断されてそれを「あなたのせい」と訴えたところで
聞き入れるはずもないのははじめからわかっていますし。
本当に「生きていく」ということは
なんと悲しいことなのでしょう。
秘密さんと私の状況は同じではないかもしれないけど、
心のどこかで「ひとりじゃない」って秘密さんのこと、想って頑張ります。
書くのには勇気がいったでしょう。
だってその時の気持ちがよみがえってくるものね。
でも、私は少しだけうれしかったです。
苦しいお話なのにうれしいなんてごめんなさいね。
私は一歳で両親が離婚して、父方の祖母に引き取られたんだけど
祖母は小さい私にいつも「お前は捨て子だよ」と「欲しいっていう人がいたけど、あげなかったの。よかったでしょ?」と言ってました。
父は自由奔放な人で好き勝手に生きてます。今は癌になって療養中だけどかわいそうと思えない自分がいます。
母は成人してから初めて会って、その後病気になってそして亡くなって。
子供が私しかいないので私が葬式も供養も全部しなくちゃならなくて・・・・。位牌に手を合わせていても、いまだに納得できない思いを抱えてます。
誰のことも愛せない。こんな自分は最低なんだろうってずっと思ってた。
でも
親を愛せないの私だけじゃないんだ・・・。
親を愛せなくても、子供を愛することはできるよね。
ちゃんと私も親になれるよね。
私たちは、子供を精一杯愛そうね。
コメントありがとうございます。
こちらこそありがとう。
mariさんのコメント読んで、泣いてしまいました。
mariさん、幼い頃からつらい思いで来たんですね。
私なんか、歪んでいるとはいえ、
一応、親は「愛情をかけて育てた」んだと思います。
幼い頃に親がいないということは、
本当に複雑な気持ちで過ごしていたのでは・・・?
と、思うと、幼い時のmariさんのところに行って抱きしめたくなります。
他の方のコメントのお返事にも書いたけど、
人生ってプラスマイナスゼロだと思うんです。
だから私も幼い時に家族で得られなかったものを、
今の家族で補ってもらっている・・・って。
mariさんもきっとそうなのではないでしょうか?
そして、自分が子供の時に得られなかったからこそ、
本当の意味で自分の子供を愛せるのかも・・・
と、思っています。
だから、親を素直に愛せないことで
自虐的に考えないようにしたいです。
自分が欲しかった愛情を子供にいっぱい与えようね。
mariさん、ありがとう。
コメントありがとうございます。
秘密さんも私と似たような思いを抱いて
ここまで生きてこられたのですね。
自己防衛のために記憶を消して感情を出さないように・・・
というのは、本当によくわかります。
私も幼い頃は自分の気持ちを守るために、
「気持ち」を表現することをやめていました。
人形かロボットのように、淡々と生きていくしか
私の居場所はありませんでした。
否定されるならはじめから何も感じないように・・・
なんて、幼いながら気持ちを押し殺していました。
私も婦人科系は弱くて卵巣のう腫で2度手術し、
卵巣はひとつ取りました。
内膜症もかなり重度で「妊娠はほぼ無理」
と、言われていたので、のび太を授かったときは
奇跡だと思いました。
今も筋腫があり、様子を見ている状態です。
「子宮」というのは「母性」の表れで、
婦人科疾患の多い人は、母性が足りない、
それは与える方の母性だけではなく、
受け手(子供として)母性を感じることが足りなかった、
と、いう話をあのスピリチュア○のエハラさんが
書いてらっしゃるのを読んで納得しました。
私は今でも母と連絡を取ろうと思っていません。
向こうから一方的に来るのですが
そのたびにフラッシュバックとパニックで、
苦しくて仕方がありません。
この苦しさから逃れるためには
関わらないこと、それしかないのです。
私の中ではもう、母親は他人、と思っています。
秘密さんのお気持ち、本当にわかります。
どれだけ辛い思いでここまできたか・・・
こんな私のブログでよかったら
いつでも気持ちを吐き出しに来て下さい。
うまくお返事はできませんが、
分かり合うことは出来ると思うので・・・。
よかったらこれからも読んでくださると嬉しいです。
また、いらしてくださいね。
お待ちしています。