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2007-12-27 (Thu)
物事って、それをどこから見るかによって視界がぜんぜん違う。

たとえば、クリスマスにいただいたポインセチア。
ぜんぜん気がつかなかったけど、
いつもこちらに向けている反対側を見たら、
葉や枝がしんなりして、枯れかけていた。

同じ方向ばかり見ていたから、
まったく気がつかなかった。



子供を見るにしても、
上から見下ろす上目遣いの子供と、
ひざを曲げて、子供とまっすぐ向き合うのとでは、
まったく違う。
見られる側の子供にとっても、印象が違ってくるはず。


・・・で、いつも思うのが、自閉症の子供を持って、
目線をどこに合わせればいいのか、ということ。



自閉症の子を持つ親の目線か、

自閉症の子供の気持ちになっての目線か、



自閉症の子と同じクラスになった子供の目線か、

自閉症の子供を担任する教師の目線か、



不思議な雰囲気を出す子供と通りすがりにかかわる他人の目線か、

そんな子供をつれて歩く親の目線か、



自分の子供と同じクラスに自閉症の子がいる親の目線か、

自閉症の子供がクラスでどう過ごしているか心配する親の目線か、

ほかの子と違う何かを自分に感じながら過ごす子供の目線か、





自分をどこにおけばいいのか、わからないままここまで来たなあ。

そのときによって、居場所を変えて気持ちを切り替えて、
あれやこれや考えすぎて、
時々、本当の自分の思いはどこにあるのか、わからなくなる。

ここにいていいのか、
ここから見るのは間違いなのか、
変な眼鏡をかけてはいないか、
視力が悪くなっていないか、
乱視になってはいないか、
フィルターがかかっていたりしないか、
そもそもちゃんと見えているのか、


考えれば考えるほどしんどい。

ほかの人の考えを聞くたびに、
何故、見る場所が違うと同じものでも
これほど姿かたちの印象が違うのかと、驚いてしまう。

あちらから見ると、私は変わり者らしい。
でも、正直、こちらから見ると、そちらの見方は歪んでいるように思えることさえある。


人それぞれの想いはあっていいけど、
相手の居場所や見方を「想像して思いやれない」のは、
やっぱり悲しい。


ここで私が悲しい、と思うことも、
視点が違えば「悲しい意味」すら分からないんだろう。



せめて、私はフットワークを軽くしていたい。

いろんな場所から物事を見ようと思う。


「あなたの目は私の目と違う。
 でも、ここまで足を運んで見てくれてありがとう。」

と、思いたいし、
そう、思われるようでありたい。




(この記事は特に具体的な物事のことを書いたわけではありません。
 のび太に関して取り巻く状況で、常々、思っていた雑感です。
 深読み解釈、しないでくださいね。)
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