隣のレジに並んでいる彼女は、中学も高校も同じ。
クラスも同じだったこともあって、親しかったこともあった。
声をかけよう~!!!
・・・と、タイミングを計っていたが、
人ごみだし、彼女はまったくこっちを見ない。
あ~・・・声かけられないかなあ・・・
などと思いつつ、レジを待っていたら、
ふと、彼女も私に気がついたようだ。
あ・・・っと、手を上げかけたとき、
ふと、目をそらされた。
子供の手を引いていた。
あれ・・・?気がつかなかったかな?
・・・と、思ってじっと彼女を見ていた。
彼女はもう一度、ちらっとこちらに目をやり、
軽く首を振った。
イヤイヤ・・・とでもするみたいに・・・。
声をかけるのはやめて、ってことかな?
・・・どうして・・・?
などと思いつつ、彼女を気にしつつ、レジでお金を払っていた。
彼女が私の横を、軽く会釈して通り過ぎた。
・・・そのとき、ふと、彼女の子供に目をやった。
あ・・・!!!
ダウン症のお子さんだった、と思う。
ダウン症の方は、独特の顔つきがある。
療育でダウン症のお子さんも何人かいたから、すぐわかった。
そうか。
ごめんね。
触れられたくないこと、あるよね。
私だって、何度、同じような気持ちで街を歩いたことか。
「お願いだから、知っている人に会いませんように」
と願いながら、買い物に出かけていたこともある。
だから、わかるよ。
今はそっとしておいてほしい、って事だよね。
心の中で「頑張ろうね」とつぶやいた。
今度、会えたら、そのときは声をかけてほしいな。
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そのお子さんはまだ小さかったのかな?
療育の時に知り合ったお母さんが、
子どもがダウン症なんだけど、
小さい頃は、ずっと児童館とか子どもの集まるような所には
行けなかったって言ってた。
自閉症とダウン症とでは障害の種類も見た目も全然違うけど、
母親は少なからず同じような思いをしたことあるよね。
きっと、そのお友達もいつかはまた心を開いて
まっぷーさんや同級生とも話す気になれると思う。
皆が通る道だよね。
私も応援してます^^
ダウン症の子っていうのは、私も顔をみれば
すぐに分かります。
子供の事には触れられたくない時ってありますよね。
頑張れば頑張っている時こそ。
息子が支援級に入った時が、まさにそんな感じでした。
知り合いのおかあさんにも子供にも、何も聞かれたく
なかったし、会いたくもなかった。
そんな感じかもしれないけど、一歩すすんだら
また見えてくる事も。
その同級生のお母さんの顔にも笑顔がみえるよう
になって欲しいですね。
私もそんなときあったな~。ダウン症の子供さんは見ればわかります。でも自閉症児は、見ただけでわからない子もいるからね。
ずっと仲のよかった友達にそっぽを向かれた
まっぷーさんの気持ちもわかります。
でも今度会うときは明るく会いたいですね。
私も友達に自分の子供のことを話したら
友達も「実はうちの子・・」って話し出しました。
言わない分、みんな悩みは何かしらもってるんだな~って。こっちから話をするといつか友達も本当のことを話すと思います。助け合って頑張らなきゃ!!一人じゃないってこと、わかってもらったら友達も変われると思うな。
やっぱり奇異な行動に「どうして?」っていう
目線がすごくいやで、
知ってる人とかには会いたくない気持ちも
よくわかるんだよね。
きっと、ダウン症みたいに見てわかる障害だと
私が体験してきた以上に
いろんな目で見られてきたんだろうね。
気持ちがわかるだけに、余計切なかったです。
見た目にはわからない障害の私たちの子でも
いろんな目で見られますよね。
それが、見てわかる障害であれば、
どれほどの辛さで生きてきたのか・・・
って考えると、胸が痛いです。
いつか、笑って再会できればいいなあ・・・
奇異な行動や言動で人目をひくのび太に
やっぱり外をつれて歩くのが辛い時期がありました。
でも、きっと、それ以上の辛さなんだろうなあ。
世間の目は冷たいことが多いし・・・。
普通に明るい再会はできなかったけど、
彼女の気持ちがわかるだけに
切なかったです。
「ああ・・・」って思ったと思う。
だって、私も同じように知ってる人に会いたくない、
ってこと、ありました。
だから、ぜんぜん彼女は責める気持ちはないの。
むしろ、気づいてやるのが遅くてごめんね、
っていう気持ちです。
私もいろんなことがあっていろんな思いをしてきたのと
同じくらいの時間、
彼女もきっと、いろんなことがあっていろんな思いをしてきたに違いない。
切ない再会だったけど、悲しくはなかった。
今度は笑って会える日が来るといいなあ。
わたしの中学時代の同級生~
高校は別々に進みましたが クリスマスには
パーティをするために集まる 仲良しメンバーがいました。
高校を卒業した後・・・そのうち一人の子が
誰と会っても挨拶しない・・・と 噂で聞いていました。
偶然、買い物先で会ったときに その友達は
ほんとうに わたしに気が付いてはいなかったのですが、
連れていた子供さんを見たときに
人に挨拶したくない気持ちを悟りました。。。
子供さんは ダウン症だったのです。。。
わたし・・・声を掛けることが出来ませんでした。
そのときのわたしには・・・掛ける言葉も
みつからなくて。
まっぷーさんの思い・・・痛いほどわかります。。。
相手の方の気持ちも・・・。
いつか 仲良く話せる日が来るといいですね!
きっと これから、ふたりの間には
ステキな絆が生まれる気がします♪
やっぱり確立からいっても
そういう同級生が何人かいてもおかしくないしね。
だからね、自分だけじゃない、
似たような気持ちで過ごしてきている人が
たくさんいるってことだよね。
だからこそ、ほかの人の痛みも私たちは
理解できる気持ちを持てる。
ほんとにのび太は私にいろんなことを教えてくれます。
そして、彼女の気持ちも私と同じように
変化していってほしいなあ・・・って思います。
偶然の出会いの、ほんの一瞬に
さまざまな気持ちが
お互いの間を流れたんだろうな。
お友だちも今頃
まっぷーさんのことを思っているような気がします。
家も見た目でわかります
まだバギーの頃は大きいベビーカー位にしか見られなかったけど
車椅子になりヘッドギアをかぶり
染色体に異常がある子はみんな特徴的な顔をしているのでせなも少し特徴があります
今ではあまり気にしないけど
お話しできるときがまたくるといいね
なってから、障害者本人だけが苦しんでいるん
じゃないんだ、お母さんはその何倍も考えて
苦しんでいるんだってことが分かりました。
それと同時に、どんなに苦労をしてものび太くん
のお母さんであることを幸せに感じておられる
ことを知って、どれだけ嬉しかったかしれません。
どんなに時間がかかってもまっぷーさんの
お友達がそんな風に思えるようになって欲しいと
心から思います。
そうだったらうれしいなあ。
のび太がいなければ感じなかっただろう
さまざまな思いを感じられて
なんだかうれしいです。
さちさんのこと、考えてたの。
さちさんだったらどうなのかな・・・って。
さちさんみたいに強い気持ちを持ってくれれば
きっと笑って話せる日が来る様な気がして。
やっぱり一番辛いのは
障害を持つ本人だと思うよ。
親は「思い」だけで本人の辛さを
変わってあげることは絶対できないっていう
もどかしさだけだな。
でも、障害のあるのび太を授かって、
普通では感じないだろう、さまざまな感情を
感じられることって喜びです。
なにより障害を持って産まれてきてくれた
魂の勇気に頭が下がります。
そんな風に彼女もいつか思えるようになってほしいです。
なんとも言えないせつない気持ちです…
いつか、何も出来ないけど
彼女の悩みを聞いてあげたい。
形は違うけど、人それぞれ、悩みはあります。
聞いてあげる事で少し楽になればっと思います。
でも…なかなかコチラからは声をかけれないですよね?
笑顔で再会出来るといいですね。
こちらからは声をかけることはできないかな~
でも、いいの。
彼女の気持ちも痛いほどわかるから。
いつか、彼女が心を開いてくれたときに
声をかけてくれる日を待っています。
流産や上の子を死産してる分
生きて産まれただけでいい
という思いがあるから強くいられるのかと思います
そんな経験がなければ悩んで悩んで私だけ
と責めていたかもしれません
死産した子で散々悩んで苦しんできた分
障害があっても生きてるぢゃん
と思えるのかなぁ
生きていてくれるだけで、
そこにいてくれるだけで、
それでいいんだよね。
さちさんの強さの裏の悲しみを思うと
胸が痛いです。
私もさちさんのように
強い気持ちを持ちたいです。
いつもありがとうね。