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2013-02-27 (Wed)
「奇跡①、②」の続きですのでそちらからお読みください。





手術しなければならない状況は
全く見当たらなくなり、
あとはずっと寝っぱなしだったために
とにかく体力が低下した。


ふつうに真っ直ぐ歩くのもフラフラする。

そこで、リハビリ開始。

最低限の家事が出来るよう…
という意味合いだったが、
リハビリの先生いわく、

「もう、まっぷーさんくらい回復してれば
家に帰って普通に家事したほうが
よっぽどリハビリになる」

とか(笑)


という訳でリハビリ開始から4日後、退院。





つまり、私はこの疾患の10%未満の
奇跡の患者である。




退院してきて、何気ない会話で、

「お母さん、前に(のび太がイジメで辛かった時)
『ツライ事が100あったら次にいいことが
100あるんだよ』って言ってたけど、
お母さん、一年に二度も大きい病気して、
もしかしたらいいことが200あるかもね」


と、ちょっと涙ぐんで言った。

のび太が小2だったら、ギューって抱き締めたかったけど、
中2だからね(笑)

「長寿日本一目指すよ」

とか言って涙をごまかした。



あちこちの友人から、御守りを送っていただいた。

遠くの友人達から、何度も励ましのメールもいただいた。

お馴染みのMちゃんママにはのび太の登下校、部活の送迎までお世話になった。


そして、何度も何度も病気しては
いろんな覚悟を強いられてきた旦那とのび太。


ごめんね。

そして、ありがとう。

本当にみんな、ありがとう。




生きてます。



♪手を繋ごう 生きている
それだけで奇跡なんだよ♪

知ってる人は知っている、
マイナーな曲ですが、この歌詞の意味を実感してます。



生きているということは奇跡です。
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| 母のつぶやき | コメント(1) |
2013-02-27 (Wed)
「奇跡①」の続きです。
「奇跡①~③」までの連載ですので
順番にお読みください。




実はのび太には学校に旦那が、
部活をしないで帰宅するように…と連絡し、
旦那、のび太、両親で私の病状説明を
医師から聞いたらしい。

この疾患での死亡率50%
生存者でも麻痺や障害が残る確率30%
手術せず麻痺も障害もなく
退院出来る確率10%未満


のび太は医師の説明を聞き、
部屋を出て病院の廊下のソファに座り、

「僕はお母さんにまだ何もしてあげてない。
このままお母さんが死ぬなんてあり得ない。
僕は1%でもお母さんが元気になる方に懸ける」

と、号泣したらしい。



私はのび太にはこういうことは
全部話して欲しいと思ってる。

だから、一緒に医師の説明を聞かせてくれた旦那に感謝してる。


でも、あののび太に、急に状況や環境が変わることが苦手なのび太に、
本当にツライ思いをさせてしまった…
と、あとからその話を聞いて泣いた。

今は容体は安定しているが
10日間はまた同じ状態になる可能性が高い、

だからとにかく安静に…



それからほぼ10日間、寝たきり。

読書、メール、テレビ、強い光が禁止。

だから、薄暗い部屋明かりだった。


意識はあって、でも、おそらくほとんど薬で眠らされた状態だったのか、
あまり、記憶にない。

両親、義母、義弟、旦那、のび太…

誰か来るとちょっと話してたのは覚えている。

そんな状態なのに、
ミーハー仲間で繋がってるTwitterやlineの友人達が
たぶん、音沙汰ないことで心配してるだろうと、
旦那にlineに状況を代筆してもらったのが、
入院から二日後の夜…


だから、結構、いろいろ考える力はあったんだな。




今年のクリスマスは仙台の光のページェントを見に行きたい!!

と、のび太の希望が叶わなかった。

ごめんね、のび太、来年は行こうね~
と、約束したクリスマス。


プレゼントも選べなくて旦那と相談して、
陸上部でのランニング用シューズを買ってね、
と、赤のし袋に5000円入れて(笑)プレゼントした。


そして、クリスマスの日、寝たままだけど、
短時間ならテレビOKが出た♪



それから何度かの検査を経て、
心電図外す、
ベッドの上なら自由可、
尿管外して車イスでトイレ、
シャワーOK、
車イスでのラウンジ移動OK、
大部屋移動OK、
点滴なし、

と、少しずつ回復していった。


続く
| 母のつぶやき | コメント(0) |
2013-02-27 (Wed)
「奇跡①~③」の連載です。
長いですがお付き合いください。




私が緊急入院した日は、のび太は定期テストの日でした。

朝、洗濯物を干してる時、急に体調を崩し、
これはただ事ではない、
尋常じゃない体調の変化…

立ち上がれない…
激痛…

とっさに旦那の携帯に電話。

しかし、旦那は仕事柄、仕事場への携帯は持ち込み禁止になっていて、
控え室のロッカーに置くことになっているので、
一か八かの電話でした。

時間的にはもう無理か…?

しかし、たまたま、寸での差で旦那が電話に出た。


「具合悪くて激痛で立てない…
助けて…」


車で10分程の職場で幸いでした。

3月に手術した県立病院にすぐ連れていってもらいました。


激痛…立てない…

救急治療室でとにかく苦しくて激痛で、

「痛い痛い苦しい苦しい」

を、叫び続けていました。

叫んでいないと気を失いそうだったから。

「大丈夫ですよ~
ちょっと眩しいのが良くない場合に備えて
アイマスクしますね」

と、言われ視界を閉ざされたことが
余計に恐怖を感じ、

「怖い~見えないのが怖い!!」

と、叫んでました。


余りの激痛、苦しさに、

「また、手術しなきゃいけないんですか?
私、もう、手術はイヤです!!」


と、叫んだのも記憶にあります。



主人が救急治療室に呼ばれ、
レントゲン、CT など撮りますので
服を脱がせたんですが、
無理に身体を動かせないので
裁断してもよろしいですか?

いろいろ試したのですが結婚指輪が外れないので
専用ヤスリで切ってもよろしいですか?

と、聞かれていたのも全部聞いていた。

結婚指輪、これ、自分でなら外せるんだけど…

と、思ってたけど右手を左手の結婚指輪まで
動かすことすら出来ない。

どんなヤスリかわからないが
旦那とペアリングの結婚指輪が切られ、外された。

その時、ふと、




「私、死んじゃうかもしれない」

と、ふと、思った。




そのあと、レントゲン、CT…
までは記憶にある。




そのあとは、個室のベッドで点滴やら心電図やら酸素やら…


いろんなものをつけられた状態だった。

その時はもう、痛みも苦しさも全くなく、
ボーッとした状態。


両親、義母、義弟(妹は膝の靭帯手術で某大学病院に入院中だった)の顔を見たのはうっすら記憶にある。

前回の手術後、閉所恐怖症のせいか酸素マスクが嫌で鼻だけにつけるタイプに変えたことを思いだしたのか、

「今日はこれで良かったじゃん」

って笑って言ったのも覚えている。




しかし、のび太の記憶がない。

のび太はあの日、私の姿を見たのか?

旦那や祖父母の配慮で病室に入らなかったのか?



あ、今回の病気は3月の手術とは
全く関係ない病気です。

続く
| 母のつぶやき | コメント(0) |
2013-02-18 (Mon)
お久しぶりです。

入院中に書いてから放置ブログになってましたので、
みなさんから、ご心配いただくコメントやメールをいただいて、
何だか申し訳ありません。


実は、12月14日に急に体調を崩して緊急入院し、
それから10日間、寝たきり。

その後、ベッド上のみ自由に起きて、OKになり、
室内のトイレのみ、動いてOK、
その後、体調は回復したものの、寝たきりやら動いてないやら…なので、
落ちた筋肉を戻せるように、リハビリを開始して4日後、退院。

ほぼ、1ヶ月入院していました。




実は、体調を崩して…

なんて軽く書きましたが、
生死の境をさ迷ったようです。

家族は最悪の事態を覚悟した、と。



この疾患で手術もすることなく、マヒも障害もないまま、退院するのは、2~5%だそうです。



本当に、今、生きている奇跡を感じずにはいられません。




詳しくは、のちほど、追々、記事にするかも…

いや、しないかも(笑)




みなさんも、体調には、お気をつけ下さい。

ホント。




私が、みなさんが生きている、
それは、奇跡以外の何物でもありません。
| 母のつぶやき | コメント(2) |
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