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2011-03-29 (Tue)
毎朝、愛犬ロックと散歩する道。

この前まではなかった大きな亀裂が
幾重にも入っている道を歩く。

歩道もうねってデコボコに隆起している。

つまづきながら、歩く。


近くの公民館は外壁がほとんど落ちてしまって
むき出しの鉄骨が痛々しい。

石碑は土台から落ちて砕けている。


うちのすぐ前の国道には「通行止め」の看板がある。

この先の道路ががけ崩れで通り抜け出来ないらしく
迂回路を示す看板もある。

でも、通行止めの向こうものび太小学校の学区。

この先を行っても友達には会えない。




全国チェーンの大きいデパートの看板が傾いた。

外壁も崩れて自転車置き場の屋根を貫いて
落下したままの状態になっている。

2階の損傷が激しく1階のみの営業。


このデパートにのび太の制服を注文していたので
受け取りに行ったら「職員通用口」に回された。

長い時間待って、若い店員さんが
とても大事そうに宝物でも運ぶかのように
のび太の制服が入った箱を抱えてきてくれた。


「スミマセン。暖房もなく寒いところで長い時間、
 お待たせしました」

と、また大事そうに箱を開けて確認してくださった。

寒さに凍える手で領収書を書いてくださり、

「お家は大丈夫でしたか?」と気遣う言葉をかけてくれる。

「お品は大丈夫です。大事に保管しておきましたので。
 でも、何か不備がありましたら遠慮なくお申し付け下さい」

と言って下さる。




その脇のミスドもガラスが全部割れて
ブルーシートに覆われている。



ユニク○も本屋も営業できないまま。

その店の前をガソリンスタンドの給油を待つ
車の列が、どこまでもどこまでも連なっている。


自宅も外壁にも亀裂が入っている。

中の壁などはひびだらけ。
壁の奥のものが飛び出してきている。

階段のきしみは怖い。

余震があるとギシギシいう柱。



食器棚の食器は半分以上のものを失った。

急須がないのでティーポットで淹れている(笑)

カレー皿も全滅。小皿も全くなくなった。



押入れやクローゼットをなぎ倒して出てきた荷物は
何とか元の位置に収めたけど、
大きな余震でもあったら同じ事の繰り返しだろう。








この街は内陸なので津波の被害は皆無だが
地震での被害はかなり大きいらしい。



未だにかなり大きい余震が頻繁に起きる。

私はいわゆる「地震酔い」という症状で体調不良だ。

常に揺れている感覚。

吐き気、頭痛、めまい、そして強い不安感が
いつもいつも心の中にある。

ちょっとしたことですぐ泣いてしまう。

音楽を聴いても本を読んでも、震災関係のニュースなんか
号泣せずには見ていられない。


そして、ちょっとした優しい言葉とかに
簡単に泣いてしまうのだ。




まだ、電気も水道も不通で町中の店が閉まっていた時、
店頭でのみ、少量、販売してくれる店が
チラホラ出てきた。

私とのび太はロックのフードを求めて
ホームセンターの列に並んだ。

店の中は危険なので、外で店員さんが注文を聞いて、
店内から持ってきてくれてそれを外で会計するのだ。

と言っても、店員さんたちだって被災者だ。

自宅はきっとうちのように壊れたものが散乱しているだろう。

ガソリンがないのに何とか出勤して
私たちのためにお店を開けてくださっていることに
のび太と感動しながら並んでいた。

みんな懐中電灯、電池など求めて並んでも
既にそれらは売り切れていた。

寒かった。
吹雪の中、1時間くらい並んだだろうか。

やっと、順番になった。


「寒い中、大変お待たせいたしました。」

と、深々と頭を下げた。


「いえいえ、大丈夫です。かえってすみません」

と腰の低い客の私たちは頭を下げた。


そして、ロックのアレルギー用のフードを手に入れ、
会計を済ませると、

「寒い中、大変お待たせいたしました。
 どうかお気をつけてお帰りください」

と、客の帰り道まで案じてくださる店員さんに
私は泣いた。




この街はスゴイ、と。

なんて優しすぎるんだ。









電気、水道が復旧して実家から家に戻った。

しかし、電気水道はあるが、食料が何もない。

ガソリンもないので簡単に買い物にも行けない。

近所に小さい店がある。

普段は子供たちがお菓子を買うくらい、
タバコやビールが売ってるくらいの小さな店。

そこに
「豚肉細切れ、ブタばら肉、鶏ササミ入荷」
の張り紙が出た。

普段は肉なんか売っていないのに。


肉!!!

もう、何日も肉を食べてないのでこれはありがたい。

のび太は「肉~~~肉食べないと力が入らない~」
なんておどけていたが。


入ってみると丁寧に包装されたお肉が
100グラムに分けられて売っていた。

でも、あと、二つしかなかった。


「えっと、じゃあ、ひとつで良いです。
 豚肉細切れの方、下さい」

というと、

「え?ふたつあるんだからふたつとも買ってくださいよ」

と言われた。


「え~でも、お肉って今、どこにも出てないから
 貴重だし、次の方のためにひとつ残しますよ」

と、いうと、

「そうなんだよね~
 みんなそう言って、『ひとつでいい』って言うし、
 一種類ずつ3袋買って良いよ、って言っても、
 『他の人も欲しいだろうから』って
 みんな遠慮がちに買っていくんだよね。

 でもね、もう、ふたつしかないし、
 もう店も閉めるからふたつ買ってってくれた方が
 ありがたいので、ふたつ、買って下さい」

と、言われて2袋のお肉を手にした。


みんな、誰が買いにくるかもわからない、
次に買いに来る人のために、
たった100グラムずつのお肉を少しずつ買っていく。





そんな街が、この街だ。



津波の被害にあった街などは年配の方々が多く住む、
昔からの代々の土地を守って
つつましく真面目にそこに生きてきた方々が多い。


自分の痛みを大声で叫ぶ事なんてしない、

誰かの痛みを思いやってばかりいる
優しい人々の住む街だ。






のび太は今、6年間使ってきた
ランドセルを磨いている。

津波でランドセルをなくした小学生に
使ってもらうためだ。

「ああ、こんな事になるんだったら
 もっと大事に傷つけないように使うんだったな」

なんて今更ながら後悔している(笑)



全校児童の3割しか安否確認できていないという
小学校もある。

波に消えた尊い命も悔しいが、
残された子供たちの心の傷を思うと苦しくて仕方がない。



大人でさえ辛くて辛くてたまらない出来事に
立ち向かっていく小さな心を思うと
本当に神様と言うものを恨んでしまいたくなる。


だけど、困難と言うものは
乗り越えられる人にしか与えられない試練らしい。

だとしたら、小さな子供たちの歩く未来に
優しいこの土地の思いやりがきっと
子供たちを笑顔にしてくれるんだろうと思う。







瓦礫の山、亀裂の入った道、崩れ落ちそうな建物

その中でも、誰かをいたわる「思い」は
絶対にゆるがない。







 
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| 発達障害児・被災地に生きる | コメント(12) |
2011-03-24 (Thu)
~~~追記~~~

これまでたくさん勇気付けられるコメントをいただいてきたのに
お返事できずにいました。

ごめんなさい。

本当にありがとうございます。

この記事のコメントからお返事をさせていただく事にしました。

それ以前のコメントの一人一人へのお返事は
勝手ながらこれまでの記事に代えさせていただきたいと
思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



とにかく、今の気持ちのまま記録したくて
おかしな文章のままでアップしています。

それでもいいや、と思いつつ。

単なる自分の覚書になってる感がありますが
それでも記録して残しておかねばと思うのです。


いろんな考えがあって否定的にごらんになっている方も
あるとは思います。


でも、ここに否定コメントだったら残さないで下さい。

否定的な方は読まれないで下さい。


ぐっちゃグチャな精神状態でおります。

それでもいいという方だけ読んで下さると嬉しいです。








いつもだったらこのくらいの時期は沿岸は暖かくて
一足先に花が咲いた・・・なんてニュースがあるくらいなのに
どうして今年に限ってこんなに寒いのだろう。

私は神様を恨んでしまう。


のび太地方も寒い。


延期になった卒業式の日も吹雪いていた。


「暖房が復旧していません。
 寒いのでコートを羽織ったままで結構です。
 暖かくしてお座りください」

との言葉に甘えてコートを着ていても
体の芯から冷える。

でも、避難所の方たちはもっともっと寒いだろう。



この地方の学校の体育館は暖房設備がある。

もちろん、普段の体育の授業ではつけないが、
式典の時などは広い体育館は外気と変わらない寒さだ。

だから、学校の体育館を避難所にされているといっても
それは寒さをしのげる場所ではない。

灯油もなく毛布も少ない避難所の寒さは
どれだけ寒いのだろう、と案じてしまう。







はじめにこの災害で命を落とした方々の冥福を祈り
黙祷からはじまった卒業式。

前の記事にも書いたとおり、
予定していた式次第は出来なくなり、
簡素でシンプルな式。

でも、のび太が係りでみんなからアンケートを取って
まとめた文章の呼びかけはしっかり行いました。



そして、式は終了。



そのあと校長先生から改めてお話がありました。


あの地震の日、最高学年として落ち着いて
立派に行動した6年生の姿は
下級生達のお手本となっていたこと、

余震も続く中、在校生の出席は見送ってしまったけど
6年生の素晴らしい活動やこれまでのことは
下級生にしっかり受け継がれていること、


来賓の方々にお越しいただくのは困難なので
こちらからお断りした事、

その方々からたくさんの祝電が来ているので
貼ってありますので見て下さい、


今日、みんな笑顔で卒業できた事が
心から尊いことであること、

そして、同じ地方のたくさんの人々が
命を落としている災害から日も浅く、
どうしても紅白の幕を張る気持ちになれず、
あなた方の晴れの日なのに申し訳なかったということ、

だけど、どうしてもお祝いの気持ちを表したくて、
先生方で桜の花の飾りをたくさん作って
飾らせていただきました、と

紅白の幕のように全面に飾れないけれども
本物の花も手に入らないので
とにかくたくさんの花を作って飾りました・・・



涙ながらにおっしゃった校長先生。






私は自分の卒業式で感動した事などなかった。

涙を流すなんて事もなかった。

でも、今回ののび太の卒業式は素敵だった。

あったかくて心に響く式だった。




陸上の指導をしてくださった先生は
のび太の隠れた才能?を引き出してくださった。

そして、

「努力した人が必ず結果を出せるわけではないが
 結果を出している人はみんな努力している」

という、のび太の心に残る言葉を下さった。

のび太はこの言葉を何度も言いながら、
陸上も受験勉強も頑張ったのだ。




そして、担任のC先生。

私はC先生の顔を見ただけで号泣してしまった。

「のび太が今日、笑って卒業できるのは
 C先生だったからです」

と、言ったつもりだったけど、
きっと何言ってるかわからなかっただろう(笑)


「のび太くん、立派になりましたよ。
 もう、のび太くんは大丈夫ですよ!」


のび太は照れつつもC先生とツーショット写真を撮った。





そして、家に帰るとのび太はC先生からの手紙を取り出した。


「これ、先生がみんなに書いてくれた」


それは、封筒に「のび太さんへ」と書かれた手紙。

中味は手書きで便箋2枚。


「5年生のクラス替えで出会って、
 まもなく持ち上がった問題。

 それは4年生からのび太さんが辛い思いをしてきた事。

 自分からは話さないのび太さんに代わり、
 それをどうする事も出来なかったみんなが
 反省と謝罪の言葉を口にしました。

 聞いていても辛くて言葉もありませんでした。

 でも、のび太さんはその日から前向きになりましたね。

 係りの仕事、役割に真剣で一生懸命な姿に
 みんなの信頼が厚くなって来ました。

 また大きく変わったのは陸上を始めたことですね。
 高いバーをかるがる跳ぶ姿に陸上を勧めて、
 元々、こつこつ努力するのび太さんはめきめき力をつけ
 好成績を残し、それは様々な事への自信に繋がりました。

 自分の考えをハッキリ述べ、クラスに考えるきっかけを
 与えてくれました。

 この2年間ののび太さんの努力する姿は感動でした。

 誠実で真剣なのび太さんの姿に励まされました。

 この先も大きな夢に向かって突き進んでください。」

(本文はもっと長くてもっと素晴らしい文章です。
 簡単に書かせていただきました)





私は声を上げて泣いた。

「えーんえーん」と泣いていたらしい(笑)


のび太はお年頃の男子なので「へっへ~」って風だったけど
ウルウルしていた。





のび太はきっと、大丈夫です。

C先生、これからもひっそり見守ってくださいね。



そして、のび太小学校、ありがとう。




たくさんの思い出と、
たくさんの笑顔と、
涙を、
ありがとう。



こんな時なのに、これだけの卒業式をしていただけて
感激で胸がいっぱいです。




| 発達障害児・被災地に生きる | コメント(17) |
2011-03-23 (Wed)
今日、ふたつ目の記事です。

昨日の記事、そしてその次の記事と
続けて読んで下さい。







携帯の充電はとっくに切れていて、
誰とも連絡が出来ない。

固定電話だって繋がらない。


3日経ち、やっと電気が復旧し、携帯を充電すると、
今までたまっていたメールが一気に入ってきた。

当日に心配な人たちに「大丈夫?」といったメールをしたり、
また、逆に相手から「大丈夫?」メールを
もらっていたままになっていた。

大学時代の長野、新潟、神奈川の友人から、
また福島にいる友人、
そしてメールボックスにはブログを通じて知り合った、
たくさんの方々からのメールに
どれだけ励まされた事か。
(メールボックスのメールには失礼ながら
 お返事は控えさせていただきました。
 ごめんなさい。)

携帯メールにのび太の同級生ママから、
写メールが入っていた。


「○○の給水所に貼ってありました。
 他にも学区内のあちこちに貼ってあります。
 詳細を知りたい方は見てください」


学校の連絡だ。

電話が繋がらない状況で先生方は動かれていた。

「14~16日は休校。
 卒業式は○日に延期です。」などなど。


「6年生宛てに学年通信も貼ってある。
 写メじゃわかりづらいからその目で見よ!
 見に来られないときは連絡してください。
 詳細を教えます」


これは絶対に確認しに行かねば。


ガソリンが底をつきそうなので零下の気温でも
車のエアコンはつけないで、ゆっくり走る。



あったあった!


学年通信だ!


卒業式は延期、来賓も在校生の出席もなし、
教室にはまだ入れないので体育館に直行、
保護者はホールで待機、
予定していた式次第どおりは出来ない、
暖房もつかない、トイレも使用不可、
とにかく出来る限りの礼服で、
でも寒くないように防寒して出席してください、
卒業式後の「卒業を祝う会」も出来なくなりました、

せっかく卒業式に向けて全員が式を作り上げようと
係りの仕事に一生懸命頑張っていたのに
真剣に練習も重ねていたのに、ごめんなさい。

今、学校で出来る事の精一杯がこのような状況です。


そして、最後に6年生の先生お二人の
手書きのメッセージがありました。


「皆さん、ご家族はご無事でしょうか。
 こんな時だからこそ、周りの人と手をつないで
 心をつないで、前を向いていきましょう。
 君たちはこんな事くらいじゃへこたれないさ!
 
 卒業式で会うときは笑顔で会いましょう!」



学区内のあちこちに、全体への連絡事項と、
この「6年生の学級通信」が貼られている。



私はあの日からとにかく気持ちが弱っている。


すべてのことに涙が出てしまう。



こんな風に貼られた学級通信を見たら号泣だ。






人とつながる・・・って、なんてすごい事なんだろう。

なんてあたたかいことなんだろう。





実際に顔を見なくても手を触れなくても、
心を抱きしめてくれるのが
「人とつながる」ということなのだと実感したのだ。





| 発達障害児・被災地に生きる | コメント(0) |
2011-03-23 (Wed)
前の記事「あの日のこと」の続きです。
始めにそちらをお読みください。








暗闇の中を、旦那が帰ってきた。

「今、実家に寄ってきた。
 あそこに反射式のストーブがあるし、
 お父さんお母さんも『家に来い』って言ってくれてるし
 とにかく今夜は実家へ行こう」

実家とは、私の実家である。

寒くても暖が取れなくてもこの家にいる事は可能なのだが
とにかくものが散乱していてガラスや壊れたものの破片が
あちこちに飛び散っていて
暗闇でそれらを避ける事は不可能だ。


旦那の指示に従い、厚手のコートやジャンパーを持ち、
懐中電灯や庭に置いてある感応式のライトなどを持ち、
愛犬ロック共々、実家へ避難した。




実家も我が家と状況は対して変わらない。

キッチンには割れ物が飛び散っている。

でもリビングは今は使っていない反射式の石油ストーブを
物置から出してきて火をともしており、
灯りにもなるし何よりいくらか温かい。



朝に炊いてあったご飯とたまたま家にあった味噌汁などで
食事を取った。

私は何も食べられなかった。

喉を通らなかった。



停電なので全く情報が入らない。

一体、世の中、どうなっているのだろう。

この地震は震度やマグニチュードはいくつだったのか?

他の場所はどうなっているのか?




のび太が実家にあったラジオ(イヤホンのみで聞ける)で

「沿岸はあちこちで津波の被害だって!」と、
仕入れた情報を教えてくれる。

「R市は町のほとんどが津波で壊滅的な被害って・・・」

「K市はいたるところで火災も起きているって・・・」


新しい情報を聞くたびに胸が締め付けられる。




あ、そういえば、のび太は停電や暗闇でパニックを起こすんだった。

と気が付いたのはしばらく経ってから。

のび太は冷静に淡々と過ごしていた。



電気がなかった間の事は私はほとんど覚えていない。

実家から自宅に通って、日の出ているうちに
壊れ物や散乱したものを片付けてはいたが。




あの日から3日、電気のない真っ暗闇の夜を過ごした。

思い返せば、のび太は懐中電灯とろうそくの明かりの元、
全てのものが散乱したのび太の部屋から私が探して持ってきた、
数学の参考書と、P中学の課題を黙々とこなしていた。

それはいつもののび太の姿だった。

3日目くらいに私はやっといろんなことに気がつき、

「のび太、こんな時でもえらいね。
 数学やら宿題やらやれる精神力はすごいよ」

と、のび太に言った。


のび太は、

「これやってれば、落ち着いていられるから。
 お母さんがこれ、持ってきてくれたからだよ」

と、言った。


「津波でね、教科書も流されて家も流されて、
 家族も流された人だっているんだよ。
 ボクは家族が揃っているし、いつもどおりじゃないけど
 ご飯も食べられるし、数学も出来るし、
 だからこれ以上、何か欲しいとか言わない」


ASタイプであるのび太がどうしてこんなに落ち着いていたのか、
不思議である。

停電でパニクっていたのび太が、
真っ暗闇が怖いからと、LEDの常夜灯をあれこれ探し回ったこともあるのに。



つまり、のび太は周りがどんな状況であろうと、
いつも自分がやっている数学やらができる状況であれば
それはある意味「日常」なのかもしれない。

のび太より、私のほうがAS全開でパニクっていた。


余震のたびに身震いし、恐怖感でいっぱいになる。

それは未だに変わらない。



しかし、一見、落ち着いて冷静に過ごしていたのび太だが、
ついに、パニックを起こした。






「んあ~~~~~~~!!!!!
 もう耐えられない!!!!!
 お風呂入りたい!!!!!
 頭、洗いたい~~~~~!!!!!」



電気は3日で復旧したものの水道はなかなか復旧しなかった。

実家の近くの小学校の給水場に水をもらいに行く。

貴重な水。



のび太は小さい頃からお風呂が大好き。

どんな事があってもお風呂は欠かさず、毎日頭も洗う。

そんなのび太が3,4日我慢していただけでも
すごい事だと思っていた。

お湯でタオルを固く絞って体を拭いたとしても
こちらの寒さだと爽快感なんてものは感じられない。

のび太には限界だったようだ。

もう、耐えられなくて体や頭を掻き毟りだした。



「よし!じゃあ、お湯を沸かして
 お母さんが頭だけでも洗ってやろう」


洗面所で沸かしたお湯でのび太の頭を洗う。

久しぶりだな~のび太の頭を洗ってあげるのも。




さっぱりして落ち着いたのび太が、ボソッとつぶやいた。


「ボク、頭洗うなんて、贅沢だよね。
 避難所にいる人は頭洗うどころか、飲み水もないのに
 おにぎりひとつを3人で分けるのが1日一食って言うのに
 ボク、頭なんて洗っちゃって・・・」


のび太は地震の日以来、たまたま買い置きしていたものを
口にしようとするたびに、

「カップラーメンなんてこんなにあったかいものを
 食べられるなんて、沿岸の人たちにも食べさせたい」

とか、

「ご飯おかわりなんてしたら申し訳ない。
 食べられない人がいっぱいいるのに」

と言ったような事を口にしていた。



「そうだよね。だけど、今、ここにあるものなんだから、
 食べられる事に感謝して『いただきます』って
 食べればいいんだよ。

 食べられない人がいる、その人たちも
 食べられるようになりますように、って
 願いながらいただけばいいんだよ。

 食べられない人がいる、だから私も食べない、
 っていうのは、ちょっと違うと思うよ。

 これを今、食べられない人に届けられる状況だったら
 届けてあげたいけど無理でしょ」

と言い聞かせてきた。



でも、今回は人の生死に関わるほどではないのに
パニクってわがまま言ってしまった、

という、のび太なりの罪悪感があったらしい。



「食べ物と一緒で、今ここにあるものを最大限活用して
 生活していいんだよ。
 この水もお湯も、沿岸にのび太もお母さんも届けたいけど
 出来ないよね。

 だから、ありがたく感謝して頭を洗っていいんじゃないの」





のび太が、パニクッたのはあとにも先にも
この一度だけ。


ASタイプののび太はパニックを耐えていたのか?

いや、違うと思う。



ラジオで「情報」として被害状況はわかってはいたが
3日経ち、やっと電気が復旧し、テレビが見られ、
「映像」としてはじめて事実を目の当たりにしたとき、
私たちは本当に打ちのめされた。

沿岸の壊滅的な被害を受けたところすべてが
思い出の土地なのだ。

小さい頃から行ってた海水浴場、
この辺の小学校は必ず行くキャンプ場、
一般市民も買い物が出来て必ず何かタダでくれる
魚市場の人たちの明るさ、
水族館なんて数え切れないほど行った、
旦那と結婚前、何度もドライブした45号線、
釣りが趣味の旦那と仲間たちと
何度もロッドを振った河口の穏やかな景色、
ロックも連れてお弁当を持って
遊びに行った海浜公園、
どこまでも大きくて深い青い景色に魅了されて、
のび太は「ボク大きくなったら海の近くに住みたい」
と、つぶやいた事もあった美しい海の景色、


それらが全部、無くなった。



もちろん、地元の方々の悲しみに比べれば
足元にも及ばない私たちの痛みだが、

おそらくのび太は生まれてきて最大のショックだっただろう。



今まであったものが一瞬で消える

景色だけではなく、大切な人までも




そんな地元の方々のいたみを想像した時、
のび太の中の様々なこだわりは
小さくしぼんでしまったのかもしれない、と思う。









| 発達障害児・被災地に生きる |
2011-03-22 (Tue)
みなさん、ご心配おかけしました。

たくさんのメール、コメント、メッセージ、
ありがとうございました。

とても心強かったです。感謝します。




のび太地方ののび太地区はあの日から3日後に
電気が繋がり、
6日後に水道が復旧しました。

しかし、店には何もありません。

我が家にはたまたま米だけはたくさんあったので
ご飯をとにかく主に食べている状態です。

1週間前よりはいくらか物資も流通してきたようですが
普通の生活が出来るような状態ではありません。

ガソリンも売っていないため通勤などに支障を来たしている方も
多くいらっしゃいます。

病院も救急以外対応できないところが多いです。


学校も卒業式など式典の多い季節ですが
それすら出来ないところがたくさんあります。
(のび太小学校は先日、
 卒業式をしていただく事が出来ました。
 それについては、後ほど記事にします)

テレビも災害関係の報道以外の内容の時でさえ、
テロップで災害情報が流れています。

ライフライン関係、病院、役所関係、
学校の連絡網が通じないため、
学校の連絡などもテロップで流れます。

当分、精神的にも肉体的にも大変な状況は続くと思います。



でも、前に進まなくちゃいけないのでしょう。




沿岸の惨状を目にするたびに辛いです。

でも沿岸の方々の辛さを簡単に口には出来ません。

それはどんなに語ってもどれだけの言葉を集めても
偽善にしかならないだろうし、
私が語ることではないでしょう。


だから、安易な言葉で慰めたりしないで下さい。


頑張ってください、なんて簡単に言わないで下さい。


私たちは、そして、津波の被害にあわれた方々、
放射能の影響を受けている方々は
充分に頑張っています。

これ以上は頑張れません。




とにかく、この体験を記録しなければ、と思います。

気持ちの整理がつかなくて精神的にグチャグチャなので
まとまりのある文章は書けませんが。











その時、私は自宅から車で40分の
妹の家にいた。

携帯の緊急地震速報が響くのと同時に
轟音と共に家中のあらゆるものが倒れてきた。

妹が「早く!お姉ちゃん外に出て!!!」
と叫びながら愛犬を抱えて外に出た。

それに続いて裸足で外に出た。

立っていられない。

これから蕾をつけるはずの木々の根元が
ボコボコに波打っている。




「どうしよう!!!」

頭をよぎったのは、のび太とひとり(1匹)留守番させてきた
愛犬のロック。



大きすぎる揺れが止まらない。

いつまでもいつまでも大きく揺れ続ける地面。


とにかく帰らなきゃ。


「お姉ちゃん!橋が落ちてるかもしれない!
 いっぱい橋を通らないと帰れないのに!
 橋が・・・!」

と、言われたけど、とにかく帰らなくちゃ。




ハンドルを持つ手の震えが止まらない。

FMでは地震のことを伝えているが頭には入らない。

大津波警報が沿岸に出ていることはわかった。

そして停電しているので信号が消えている可能性があるから
運転には気をつけろ、とアナウンサーが言っている。



本当だ。

信号が機能していない!

おそるおそる交差点を曲がる。


どんどん交通量が増えていく。

交差点も渋滞。

でも、ちゃんと譲り合って往来する車に
私は安心した。


道路のあちこちにひびが入っていて、
ボコボコと波打っているので、
慎重に車を走らせる。


どこの交差点も渋滞で信号がついていない。

でも、事故はない。

こんな時でも譲り合う思いやる気持ちを忘れない。




とにかくスゴイ車の量だ。

家にもたどり着けない。いつ着くのか。

旦那に電話しても繋がらない。



いつもよりかなり時間がかかったと思う。

とにかく家に着いた。

玄関の前の鉢は壊れて土と植物が散乱。

玄関を開けると足の踏み場もないほどに
玄関のクローゼットのものが散乱していた。

ストッパーがかからなかったようだ。


ロックがゲージの中で震えていた。

奇跡的にロックの上の壁にあった時計がゲージを避けて
落ちて壊れていた。

針は2時46分。


リビングにもあらゆるものが散乱していて、
キッチンを見ると冷蔵庫のドアが開いていて
冷凍室にビールが転がっていた。

食器棚は横開きのガラス戸なのにその戸が落ちて割れ、
食器類は3分の2くらいは落ちてくだけていた。


これだけのものが散乱して落ちて割れる音が響き、
余震も続く中、ロックはひとり、
長時間いたのかと思うと泣けた。



和室の押入れの中のものがふすまをなぎ倒して
全てのものがなだれ落ちている。

洗面所はタオルなどを収納するロッカーが
お風呂の扉をなぎ倒していた。

階段を上がるとギシギシ聞いたことの無い歪む音がする。

壁にはあちこちにひびが入っている。



部屋のクローゼットのものが扉を押し倒して
中味が全部飛び出している。

本棚いっぱいの本は全て散乱。CDやらビデオも。

この部屋は足の踏み場がない。

のび太の小さい頃の写真が一枚目に入ったので
それを拾って埃を払った。

私たちの寝室のタンスは倒れないようにしてあったのだが
斜めに動いて観音扉が開いて
中に入れていたピアノ型のアクセサリーケースが
飛び出して壊れていた。

これは私が退職する時、あるクラスから戴いた物だった。


のび太の部屋の本棚の本や机の上のものが
全て落ちている。

その中から、P中学からの宿題のドリルと、
中学数学と社会の参考書とノートと
ドラえもんのコミック1冊を探して抱えた。

のび太はこれがあれば落ち着くだろう。





のび太は学校だ。

あの時間はまだ授業中。

非常時の時は下校させませんので迎えに来てください、
と、いうことになっているのび太小学校。


ロックを車に乗せてのび太小学校へ。

迎えに来た親達がごった返している。


学校のロータリーもひびだらけ。


「子供たちは校庭に避難しています!!!」

副校長先生が叫ぶ。



校庭の隅のほうで子供たちが不安そうに
クラスごとに並んでいる。



走り寄ろうとすると校長先生が両手を広げて止めた。


「待ってください!まず、私の話を聞いてから
 あちらに行ってください」と叫ぶ。


「子供たちは全員、怪我もなく無事です。
 学校はホールの照明が落ちました。
 他にも教室内も騒然としていますが
 とにかく子供たちは大丈夫です。
 担任の先生にチェックしてもらってから
 お子さんを連れて帰ってください。」



ここで初めて気がついた。

眼鏡をかけていなかった。

遠くにいる子供たちの顔が全く見えなかった。
(私は運転時などのみ眼鏡をかける)

この全く見えない状態で運転してきていたのだ。


きょろきょろしつつ近づくと、のび太が、
C先生に「ボクのお母さんが来た」と言う風に
言っているような姿が見えた。


C先生に「ありがとうございました」と言って、
のび太を引き取った。



のび太が私に言った第一声は

「お母さん、生きてた~
 遅いから死んじゃったんじゃないかと思った」

と、目を潤ませて言った。



家が近いのに迎えに来るのに1時間半近くかかっていたらしい。



校庭にもひびが入っている。



夕方、薄暗い中、余震と呼ぶには激しすぎる揺れが
何度も何度も続く。

家はガラスなどが散乱していて危険だ。

電気もつかないから片付けるなんて無理。

旦那の携帯も繋がらない。

どっちの実家にかけても繋がらない電話。

とにかく車にいるしかない。

どんどん暗くなるのにどこにも灯りがともらない。

真っ暗闇の世界で何度も激しい余震におびえていた。






~~~続きます~~~







| 発達障害児・被災地に生きる |
2011-03-16 (Wed)
皆さん、ご心配いただきありがとうございます。

たくさんのコメントやメールやメッセージ、
本当に心強く勇気づけられました。

ひとりひとりにお返事はできませんがお許し下さい。



こちらは、電気だけは復旧して、
テレビや携帯で情報を得られますが、

近隣の馴染みの思い出だらけの場所が
姿を全く変えてしまい、
冷静にテレビを見ることができません。



避難所に食料も飲料水も赤ちゃんのための必需品も病気の方の薬も適切な処置のためのもろもろも、
何もありません。


我が家は家財はかなりのものを失い、
家もまだ建てて6年しか経ってないのにひびだらけ、ゆがみ、この先、住めるのかわかりませんが、

雨風がしのげ暖房も使えます。



水も出ず、お風呂も入れない状態ですが、
家族が揃っていて、元気です。

限られてますが食料もあります。



とにかく、沿岸で避難所で情報もなく、
家族の安否も解らず不安な方に情報を下さい。


そして、被災地以外の方で、
必要以上に買いだめしている方、

被災地の避難所でおにぎりひとつを3人で分けていることを、

真っ暗闇の中で、氷点下の極寒の中で、
何夜も過ごしている人がたくさんいることを、

ミルクもなく自分のおにぎりを潰してあげる親がいることを、

考えて行動して下さい。


のび太の学校も卒業式が延期になり、

普通の授業はもう出来ません。




悲しいです。


でも、

明けない夜はない
止まない雨はない



そう、想うしかないです。



支離滅裂ですが、今、思うことです。





| 発達障害児・被災地に生きる | コメント(7) |
2011-03-14 (Mon)
皆さん、ご心配いただきありがとうございます。

メールやらコメントやらありがとう。


とりあえず近い家族はみんな大丈夫です。


命あることの奇跡を実感しています。


電気が今朝やっときました。

水はまだ。
食事も限られてますが生きてるだけでありがたいです。



家の中全てのものが散乱やら破壊しました。


家自体もひびだらけ。

屋根があるだけありがたいです。


とりあえずご報告。




| 発達障害児・被災地に生きる | コメント(10) |
2011-03-10 (Thu)
「お母さん!○日にYくんの家に遊びに行っていい?」

帰ってくるなり満面の笑みで尋ねるのび太。


「え?え?Yくん?」


Yくんとは同じP中学校に進学する子。

同じクラスの男子ではのび太とYくんだけだ。



「あのね、スーパーの前でTくんと待ち合わせして
 Yくんちに行くんだ」


のび太は今まで、放課後誰かと遊んだ事は
皆無だといっていい。

誘われなかったのか、誘われても断っていたのか、
そういえば「ぼく、放課後、遊ぶ暇なんてないもん」
と言ってた事があった。

多趣味で家で暇がないくらい興味のあることが多々あるのび太。

算数の問題を自分なりにアレンジしてみたり、
歴史の本を読んだり、
漢検1級の漢字を書きなぐったり、
競馬や宝くじの当選確率の計算をしてみたり・・・

家に一人でいても暇だから友達とゲームをする、
という、多数派の子にありがちな余暇は過ごさない。

ひとりで楽しめる趣味がたくさんあって
時間が足りないくらいらしい(笑)



というか、おそらくどうやって友達とアポをとり、
どういうことをして遊ぶのか
そういうことも想像できなかったろうし、

まあ、多分誘われなかったんだろうな…


小学校生活もあと少しで終わるというこの時期に
初めての「お友達と約束して遊ぶ」体験だ。






「いいよ。とにかく自転車気をつけて行くんだよ。
 それから4時にはお友達の家を出るんだよ。
 あ、あとね、お友達の家に行ったら
 ちゃんと『お邪魔します』って挨拶して、
 靴をそろえて、大騒ぎしたり迷惑になるようなこと
 しちゃダメだよ!
 
 ・・・あ!それからね・・・」



「わかってるってば!大丈夫!」



なにせ、「お友達の家に行く」というスキルは
未経験だし経験値はゼロだから、
攻略法(笑)をある程度、伝授しておかねば、と、
思ってしまうワタシ。







しかし、その日は「4時には家を出ること」と言っておいたが
4時には家についていた(笑)

この辺がASタイプなのか?!










そして、またある日、

「お母さん!今からYくんとTくんとKくんと
 のび太地区を自転車で探検してくる!」

と(笑)



「はいはい。気をつけて行っておいでよ。
 交通ルールはちゃんと守ってよ~」


嬉々として飛び出していったのび太。




実は、先日、小学校最後の参観日に
「今、思うこと」をひとりずつ1分間スピーチする授業だった。

小学校生活を振り返り、思い出や感謝の気持ちを
伝え合おうという内容。


みんな、家族や友達、先生への思いや、将来の夢、
心に残った思い出、頑張った事、楽しかった事、
それぞれ思いのままに綴ったものを読んだ。

他人の子の文章でも胸が熱くなるのだ。

みんな成長したなぁ~・・・



その中で、Kくんのスピーチ。

「ボクは入学した時は引っ越してきたばかりで
 友達もいませんでした。
 友達が出来るか心配でドキドキしていました。
 でも、すぐにのび太くんと友達になりました。
 それから、ずっと同じクラスだったので
 ずっと友達でした。
 のび太くんがいてくれてよかったです」

といったような内容のスピーチだった。



そういえば、入学式の日、のび太の前に並んだKくんに
のび太は抱きついたりふざけて声をかけたりして

「ああ・・・早速、のび太のしつこいまとわりつきが
 はじまっちゃったな~
 Kくん、嫌がってないかな~」

と、心配してみていたのだった。



Kくんが引っ越してきたばかりだった事も知らなかった。

それより何より、他の子のスピーチに
のび太が登場するなんて驚き!と共に、
なんだかとても嬉しかった。





そして、Tくんのスピーチ。

「ボクは、入学してもなかなか友達が出来なくて
 休み時間もいつも一人でいました。
 でも2年生になってのび太くんと同じクラスになって
 仲良くなって、やっと休み時間も遊ぶようになりました。
 のび太くんと出会わなければ、ボクはずっと、
 ひとりで休み時間を過ごしていたかもしれません」


えええ?Tくんの文章にものび太登場?!


そうか、そうだったのか。


確かに、2,3年担任だったKP先生(懐かしい愛称・・・笑)が
「いつもKくんとTくんと遊んでいますよ」

って、連絡してくださった記憶がある。



のび太が誰かの「思い出の人」になってるんだ。

それも、KくんとTくん、ふたりも。



私は、のび太はいつも誰かに、
遊んでもらう、一緒にいてくれる、助けてくれる・・・
そんな風に受け身に思っていた。

しかし、違った。

のび太は、「誰かのために」も存在していたのだ。


当たり前だけど。




でも、のび太のようにいつもクラス替えのたび、
「配慮」を担任にお願いしたりしていると、
どうしても「遊んでくれる」「助けてくれる」といった、
「~してもらう側」目線になってしまっているのだ。


ごめんよ、のび太。


のび太はこの小学校で、確実にKくんとTくんの
「最初の友達」として二人の心に刻まれてるんだね。









のび太地区探検から帰ったのび太は
それは楽しそうだった。




「そういえばさ、KくんもTくんも
 参観日のスピーチで、のび太のこと、書いてたよね。
 二人とも、のび太のこと『初めての友達』って
 言ってたよね」


「うん。ビックリした。
 あんな風に言ってくれるなんて思ってなかったし。

 いろんなことがあったけど、
 KくんもTくんもボクに嫌な事は一回もしなかった」


「そっかぁ~。いい人だね。
 そういう友達は中学校は違っても
 絶対にずっと大切にしなきゃダメだよ」


「うん。やっぱ、こういう人が『友達』って言うんだよね?」


「そうだね。」






「初・放課後友達と遊ぶ」体験は
「初めての友達」と、だった。



小学校生活も終わりに近づいた今、
「初めて」に、あったかい気持ちにさせられるのだ。

こちらはまだまだ吹雪いてるけど、
心はちょっと、春、なのだ。











| 小学校 | コメント(7) |
2011-03-08 (Tue)
「う~ん・・・チョー面白い~!」

一心不乱に何やら書いていたのび太が
ふと、漏らした言葉。




「何がそんなに面白いって?」と聞くと、



「数学。連立方程式ってヤツを今やってるんだけど
 すんごく面白くて楽しい♪

 あのね、一次関数ってのもチョー楽しいんだよね。
 なんかワクワクする♪」





去年、
「○の2乗を30回するのって・・・」と聞かれ、

「知らんわ~とにかく頑張ってドンドン2乗を繰り返してみたら?」

と言ったら、

「計算機にも桁の限度があってこの計算機じゃ
 足りなくてさ・・・」

と言われ、めんどくさいので中学校の数学の参考書を
ドンと買って与えた。



「お母さん、のび太が何言ってるのか訳わかんないから、
 わからなかったらこちらの参考書サマで
 調べてくださいな」


まあ、のび太はもちろん、その時点で
○の△乗とかの計算は理解していたので、
その部分においては中学数学に書いてはいるので
私が買ってやった参考書ではもちろん事足りなかったようだ(笑)

その後、受験勉強に突入したのでその参考書など
開く暇もなかったが、
最近、自分のお小遣いやらお年玉やらで
中学社会、中学理科の参考書を購入。

次は中学英語、中学国語のも購入予定らしい。

こういうのって自ら買うのかなあ。

普通はお年玉とかでゲームとか買っちゃうんだろうけど。





受験が終わっても、合格が決まっても、
ずっと受験勉強で使っていた問題集をやっていたのび太だが、
ここ最近、中学数学の問題集を見ていたのは知っていた。



しかし、一次関数ってどんなのだっけ?

と思って見てみたら、2年生の項目だし。




「一次関数とかって2年生でやるんでしょ?
 まず、1年生から順を追ってやらないと
 数学とかは正しく理解できないんじゃないの?」

と、偉そうに言ってみた(苦笑)



「1年生で習う単元は全部、やってみて解ったんだよ。
 だから2年生の単元に入って、連立方程式も一次関数も
 やってみてるんだってば!」




へえ。

もう、「勝手に中1数学習得」しちゃったらしい。






「社会の参考書も見たけど、ほとんどは知ってる事ばっかりだった。
 世界史とか、地理の一部分は知らなかった事もあるけど」



へえ。

じゃあ、「勝手に中学社会習得」だね。






「えっと、理科はね、見てみたけど・・・
 あんまり読む気がしない・・・。
 物理っぽい単元は面白そうだったけど、あまり興味ない」



だよね(笑)






これで、全ての教科がバッチリだったら、
なんか可愛げないんじゃない?








「早く中学校の授業、受けたい~
 数学とかガンガンやりたい~~~」



わからんわ。その感覚。















| 発達障害児公立中高一貫校への入学準備 | コメント(8) |
2011-03-04 (Fri)
春って、なんか調子悪くなります。



体調も精神状態も、とにかくだるいこの頃。





しばらく更新しないかも。

あ、でも、調子が復活したり、書きたい出来事があったら、
急に連続更新するかも(笑)





というわけで、
不安定な天候と不安定な精神状態と体調に
グダグダ過ごしておりますが、

みなさまもご自愛くださいませ。










| 母のグチ | コメント(8) |
2011-03-01 (Tue)
過去記事にも書いてあるが
のび太の幼なじみのMちゃんも
小学校は違うが同じ塾に通いP中学に合格した。

Mちゃんはお友達のRちゃんがP中学受験を目指し、
塾に通っている、と知り、
触発されてP中学を目指し塾にも通った。

Mちゃんはスポーツガール。

俊足でいつも学校代表で短距離の選手だったし、
水泳もかなりの記録を持っている。

しかし、走る、泳ぐは抜群だが、球技やらはダメ。

陸上部に入りたかったのだが、
地域の中学には陸上部がなく、
正直言って勉強はあまり好きではないけど
陸上部に入りたいがために勉強も頑張って
P中学を受験を目指した。


MちゃんもRちゃんもいつも模試ではD判定。

危ういけど、でも最後まで諦めないで頑張っていた。




合格通知が土曜日に届き、月曜日に登校すると
真っ先にMちゃんの元にRちゃんが来て聞いた。

Rちゃん「Mちゃん、何点だった?」

Mちゃん「え?!Rちゃんは何点?」

Rちゃん「○点(かなり低い点数)だよ。ねえ、Mちゃんは?」

Mちゃん「○点」

Rちゃん「え~~~?!え?もしかしてMちゃん、合格したの?」

Mちゃん「・・・うん」

Rちゃん「・・・・・絶句して号泣・・・・・」


Rちゃんは自分が不合格だったから、
もちろんMちゃんだって当たり前のように不合格だろう、
と思ってMちゃんに聞いてきたらしい。

Mちゃんが合格、と知るまでは、
普通にヘラヘラお喋りしていたのに。



Rちゃんはその後も授業に出られるような状態ではなく、
保健室で号泣し続けた。




そして、次の日から、仲良しだったMちゃんを
無視して、仲間はずれにし始めた。


「Mちゃんなんて、最初から友達じゃないし」

「Mちゃんみたいに頭の悪い子が
 P中学でやっていけるはずないでしょ~」

「MちゃんはP中学校合格、っていう
 すごくいいことがあったから、
 あとは死ぬまで悪いことしか起こらないよ」


などなど。


要するに、妬みの塊と化したらしい。





Mちゃんは元々、女子のそういう訳のわからない関係性に
愛想をつかしていて、
めんどくさくて、休み時間も男子と遊んじゃう子。

Mちゃんの小学校から女子でP中学に合格したのは
Mちゃんだけ。


心細くないのかな?と、思いきや、

「くだらないこの学校の女子と早く別れた~い!」

と言っているとか(笑)






この話をのび太に聞かせた。



「おおおおお~~~~~~!!!!!
 恐ろしい~~~スゲー怖~い・・・・・
 ああ、RちゃんってMちゃんと仲良しだった~
 塾でもいつも一緒だったから知ってるけど、
 そんな人だったんだ~・・・」


「のび太は合格したからって
 そんな風にイヤミな事とか言われたりした?」


「しないよ~ボクの友達はみんな、
 すごい~とか、頭いい~とか、いいことしか言わないよ。
 不合格だった友達だって普通に遊んでるもん」


「そうだよね~それが普通だよね~
 でもさ、女子ってそういう風な子、いるんだよね~
 すぐ何か嫌な事があると『絶交~』とか言う子がいて、
 ホント、お母さんも女子のそういういざこざが
 大っキライでさ~」


「ああ!でも、女子で・・・」


「え?やっぱり女子でなんかあるの?」


「ボクのクラスでP中学に合格したYちゃんが
 Sちゃん(不合格だった子)に
 『P中学はバカな人は合格するはずないでしょ』って言って
 他の女子に『ひど~い!』とか『Yちゃん、サイテー』とか
 言われて泣いてたよ。
 でも、Yちゃんが悪いよね。
 だから泣いたって全然、可哀想じゃない、って、
 みんなに言われてたよ」


「ひえ~~~女子ってすごい事、言うよね。
 Yちゃんってものすごい負けず嫌いだけど
 合格したからって不合格の人をそんな風に言うなんて
 絶対にダメだよね」


「ボクも、偶然、その時、近くにいたけど
 どっちにしても『女子って怖~~~!!!』って
  思っちゃった」






ホント、いつの時代も女子ってこんな感じだ。

私も女子同士のやり取りについていけず、
いつも一匹狼状態でいた。



っていうか、女子は確かに訳わかんないことでもめるけど、
このP中学の存在は、子供たちをいろんな意味で
さらに傷つけたり苛立たせたりしてる気がする。






まあ、そんな中からもいろんなことを学ぶのかもしれないけど。



| 発達障害児公立中高一貫校への入学準備 | コメント(10) |
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