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2011-02-25 (Fri)
「休み時間にバスケットボールやってるんだ。
 でもさ、ボク、やっぱり苦手なんだよな~」

球技が大の苦手なのび太。

ドッヂボールも全くダメだった。

ちゃんと投げる事すらできなくて、
もちろん、相手のボールをキャッチするなんて
到底出来なかった。

でも、ちょっと先生に誉められたらジワジワと
上達したらしい。

おまけに、出来た子供たちはのび太がたまたま
ボールをキャッチできたり、うまく投げられたりすると、
「のび太、スゲー!上手いじゃん」と大げさに誉め、
さらには「先生!のび太くんすごく上手くなってきたよ」
なんて報告までしてくれるもんだから
誉められて伸びるタイプののび太は簡単に気をよくし、
ドンドン上達したのだ。




「でもさ、バスケットイヤだったら
 無理にやらなくたって良いんじゃないの。
 休み時間くらい、好きなように過ごしたら?」


以前、イヤだと言いつつ、いじめっ子と遊んでは
必ず泣かされる、というのび太だったので、
つい、そんな風に言ってしまうワタシ。




「でもさ、楽しいんだよ、ボクは下手くそだけど。
 それに、もうすぐ卒業してボクはP中学に行くから
 みんなと一緒に遊べなくなるし、
 だから、遊びたいんだよ、みんなと」





そっか、そっか、そうだよね。



のび太のクラスでP中学に進学するのは3人。

あとのみんなはまだ一緒だけど
のび太はお別れなんだもんね。













発達障害児は協調性運動障害もあることが多い。

縄跳び、自転車、ボール投げ・・・

そういった動作がうまく出来ない、
体のいろんな部分を同時に使って動かすことが苦手・・・

のび太ももれなく、そうだった。

でも、全て、「みんなと同じ」にこだわるのび太は
努力と根性(笑)と周りの人たちのおだてのような口車で(笑)
それらを克服してきたのだ。






「ボクさ~ドリブルすら出来ないんだよな~」

と言って、家にあるサッカーボールで
ドリブル練習に余念がない。




「それがさ~今日、奇跡的にボクのシュートが
 ゴールに入っちゃって~、
 ビックリしちゃった~」




奇跡的に、って、自虐的に自分のことを言って
面白おかしく話せる様になってきたのも
ひとつの成長だと思う。








のび太の成長は、この同級生達と一緒だったからこそ、
だと、つくづく思う。

幼稚園、いや、それ以前から遊んでいた友達もいる。

いつでものび太はその中で異彩を放っていた。

仲間はずれにされたりいじめられたりして苦しんだ事もあったけど、
必ず助けてくれたり、手を差し伸べてくれたり、
味方になってくれる子がいた。

そして、その子達は幼稚園から一緒だった子ばかりだ。

同級生の誰よりも幼くて、いろんな意味で誰より目立って、
誰よりも手がかかる子供だったのび太。

過去記事を読んでいただければわかると思うが
オマセな女の子やしっかりした男の子たちが
いつものび太を気にかけて、声をかけて、手をつないでくれた。


そうやって、のび太は、成長してきたし、
きっと、その子たちもそうやって成長してきたのだろう。




のび太は幼稚園~1,2年生の頃の周りの子たちの
自分に対する心配りを覚えているのかどうかわからないが、

共に成長してきた同級生達との別れが
次第に現実味を帯びて実感してきたようだ。




「ボク、バスケット下手くそだけど面白いよ。
 下手くそなボクにもパスしてくるから困るけどね~

 でも、ほら、たまに奇跡的なことを起こすから
 『ミラクルのび太』って言われてるんだ(笑」






P中学校でも、こんな友達が出来ればいいなぁ~

と、楽しそうに話すのび太を見て、思う母なのだ。














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| 発達障害の不思議 | コメント(6) |
2011-02-21 (Mon)
実は、のび太と一緒にP中学に合格した子の中に
4年生の頃、のび太に散々嫌がらせしていた、
Nくんがいる。


5,6年と違うクラスだったし、
C先生のおかげで他の子からのいじめもなく、
穏やかに過ごしたのび太。


私は性格が悪いし、一度、「イヤだ」と思ったら
「イヤだ」と言う気持ちは簡単に変えることの出来ない、
執念深い性質なので、
Nくんも合格したと聞いたとき、正直言って、
「げ~!マジかよ~・・・なんでだよ~?!」
と、心の中で悪態ついた。

もちろん、そんなこと、のび太には
みじんも感じさせないように振舞ってはいた。


そこで、気になってのび太に聞いてみた。


「ねえ、Nくんって、今、どう?」

「ん?別に、どうして?」

「だって、ほら、4年生の頃とか、いろいろさ、
 嫌な事とかあったじゃん」

「ああ、うん。でも、今はないよ」

「ふぅ~ん。ま、クラスも違うしね」

「でも今、卒業に向けた○○委員で一緒だよ。
 Nくんが委員長でボクが副委員長」

「へえ~そうなんだ。
 Nくん、もう嫌な事はしないんだ」

「しないよ」



・・・・・まあ、それならいいけど。




わかってるよ。

Nくんだって、本当は良い子なんだよね。

いい子で優しい子だったから、
のび太も私も幼稚園の頃からずっと、
Nくんのこと、頼りにしてきたんだよね。

頼りにしてきたし、信じてた子だったから、
Nくんがのび太に、実はずいぶん長い間、
嫌がらせをし続けていたということが
すごくすごくショックだったんだよ。

だから、私もNくんに対して、
正直言って未だに心の中でバリア張っちゃう所がある。







でもね・・・のび太には言っておきたいことがある。





多数派の子は自然と学習できる事も
発達障害児にはそれが難しいと言われている。

だから、他の子には
「言われなくてもわかってるってば!」って
感じの事でもとにかく、言葉で伝える。


長い話し言葉の理解が難しいのび太だからといって
書いて伝えるのもまどろっこしいから、
私は今では、理解できなくてもいいから、
とりあえず喋って伝えてみようと、
思ったことを自分勝手に喋り続けているのだ。





「あのね、のび太、いじめられてた時にも
 お母さん、話したと思うけど、
 あれからのび太も成長してわかってきただろうから、
 もう一回、言っておくけどね」

と、


「これからは、付き合う友達を選びなよ。
 『誰でもお友達』とか『みんなが仲良く』って
 それって幼稚園とか低学年に向けた言葉なんだよ。
 
 『仲間はずれにしない』とか『友達を嫌わない』
 っていう意味でそういう風に教えるんだよ。

 だけど、もう、わかると思うけど、
 全ての人と仲良くできるわけないし、
 絶対に、「自分と合わない人」っているんだよ。

 それは『悪い人』とか『嫌いな人』って言う事じゃなく
 あくまでも『相性』っていうこと。

 なんとなく、あの人とは性格が合わない、っていう感じ、
 もうわかるよね?」


「うん。わかるよ。
 悪い人じゃないけど、ボクは苦手な人、ってことでしょ?
 そういう人、いるよ」


「いるよね。誰だってそういう人がいて当たり前なんだよ。
 でも、だからって、その人のことを
 『キライ』とか『遊ばない』とか『喋らない』とか
 そういうことじゃなくて、
 普通にちゃんと挨拶もするしちょっとした事は喋るだろうけど
 深い付き合いをしない、っていうこと」

「深い付き合い、って?」


「う~ん、例えば、秘密の話とか、自分の悩みとか、
 そういうことを『合わない』人に話して
 わかってもらえると思う?」

「あ~、そうか」

「自分の心の中の大事な話とかは
 本当に信頼できる人にだけ、話すんだよ。

 『ただと友達』『ただのクラスメート』っていうだけで
 大事な話をする必要はないんだよ」

「そうなんだ」

「そう。だから例えば『好きな女の子』の話とか
 4年生の時、みんなに喋っちゃって、
 それでそのことで嫌な風に言われたりしたでしょ?

 信頼できる人でもないのにいじめる子にまで
 ベラベラ喋っちゃったでしょ?

 そういう大事な秘密のことは、本当に信頼できる人にだけ
 話すんだよ。

 そういう人が見つからなければ、自分の心に
 大事にしまっておくのが一番良いんだよ」



「そっかぁ~なるほど・・・でも難しいね。
 信頼できる人って、どういう人なんだろう?」


「それは、付き合っていくうちにわかるよ。
 小学生のうちはまだみんな『おこちゃま』だから
 わかんないと思うよ~

 これからだよ、信頼できる人になるかどうかは。

 それにはまず、のび太自身が『信頼される人』に
 ならなきゃいけないよね。

 のび太だけ『○くん、信頼している』って思っても
 ○くんはのび太を信頼できないって思ったら
 そこにはお互いの信頼関係は成り立たないでしょ?

 誰かの秘密を聞いたからって、
 他の人にベラベラ喋る人では信頼されないしね、

 だからまず自分が『こんな友達、欲しい』って思うような
 人間になれるようにしないとね」


「うんうんうん。なるほど。納得」




伝えておかなくちゃ!と思っている事は、
思っているときに伝えておかないと・・・


と、ダラダラと話してみたけど、
何となく、ぼんやりとでも伝わったかな?


まあ、今、理解できなくても、いつか、
何となくでわかるかもしれないし、


と思いつつ、取りとめもなく喋る。


でも、わかんないだろうなぁ・・・






「ところでお母さんは『親友』って何人いるの?」


おおお~!

なんてストレートな質問!



「う~ん、お母さんは今まで生きてきた中で、
 二人だね」


「えええ?!○○年、生きてきて、
 たった二人?」


「たった、じゃなくて、『二人』だよ。
 本当の親友なんて一人いれば充分なのに
 お母さんには二人もいてすごいでしょ~って思ってるよ。

 ひとりはMちゃんのママ、もう一人は中学高校の同級生」


「へえ~、中学校で会った友達なんだ」


「そうだよ、中1で同じクラスになって、
 それからずっと、Yちゃんにだけは何でも話せたし、
 Yちゃんもそうだったよ。

 今はYちゃんは○○(ここから遠い場所)にいて、
 ほとんど会えなくて年賀状来るくらいだけど
 お互いにすごく辛い事があったりしたときは
 何故か電話したりメールしたりして、
 一番に相談しちゃうんだよね。

 こういう人こそ、お母さんは『親友』って
 言うんだと思うよ。

 いつも一緒にいる、とか、いつも遊んでる、とか
 そういうことだけでは『親友』とは言えないんだよ」


話し言葉が長すぎると、絶対に伝わらないのび太に
長々とダラダラとボソボソと、
自分勝手に喋り続けてたワタシだったけど、

のび太が一言、言った。





「心と心が繋がっている人が『親友』ってこと?」








「そ、そうそう!!!心と心がね、
 繋がってるっていうことだよね。

 そういう友達が一人でもいたら幸せなんだよね」







なんか、伝わった。






目に見えないものを理解できなかったのび太。

心、なんて、漠然としたものを伝える事は難しい。


でも、のび太の口から「心と心が繋がっている人」
って、出てきたことが、スゴイよね。




のび太は確実に成長してるんだよね。








今更ながら、「発達障害」って何だろう?

って、思っちゃったりする。










 
| 我が家の自閉症との関わり方 | コメント(4) |
2011-02-18 (Fri)
のび太は小さい頃から
失敗する事がパニックの原因になっていた。

幼い頃、「集める事」にこだわっていた、
ウルトラマンや仮面ライダーのソフビ人形を
ボーリングのピンのように扇形に並べるのも
こだわりだった。

決して、ウルトラマンとと怪獣を戦わせて遊ぶ、
などというフツーな遊び方はしない。

とにかく、何故か扇形に並べるのみ。

しかし、これが時々、きちんと立たない時がある。

うまく立てなくてそれこそボーリングのピンのように
ドミノ倒しになると、
もうパニクって手が付けられなくなるのだ。



また、同じ頃、折り紙にも凝っていたのび太は
大人顔負けの難易度の高い折り紙も折っていた。

しかし、折り紙の本を見て折るのだが、
大人が見ても「なんのこっちゃ?」という高度なもの、
「どーやるの?」と聞かれても正しく出来る事は少ない。

で、う~ん、こうかな?違うな、じゃあこんな感じ?
あれれ?う~ん・・・わかんないな~!!!

なんて山折にしたり谷折にしたり
もう一度開いてやり直したり・・・なんてやっていると、
「うわ~~~~~!!!もう、できない~!!!!!」
と、とんでもないパニックを誘引(爆)



療育に通っていた時などは、
課題が思い通りにできない、うまく出来ない、
やってみたら変になった、などなどで、
もう、その後の療育なんかとても参加できない、
他の子にもご迷惑が掛かる・・・ってくらいにパニくるのだ。



「間違っても平気」
「やり直せば大丈夫」
「間違う事はダメな事じゃない」

そんな言葉を言い尽くした。

そして、私も何かを失敗するたびに、

「ああ、お母さん、失敗しちゃった~
 でも、やり直せば大丈夫~」

「お母さん、お皿割っちゃった~
 でも、きちんと落ち着いて片付けよう~
 これからは気をつけようっと!」

なんて言い続け、誰でも失敗するんだ、失敗しても平気、
失敗してもやり直せばいい、次、気をつければいい、
ということを、身を持って示してきた。



失敗するたびにパニクっていたが、
失敗も経験するたびに、少しずつパニックも軽減してきた。




しかし、学校生活ではなかなかそうは行かなかった。

100点、一番にこだわるのび太にとって、
学校での間違いは、自分自身が許せなかったのだ。


でもね、ほら、消しゴムで消して丁寧にやり直せば
全然平気だね~

なんて、なだめていた。


しかし、3年生になって「赤ペン青ペン」を使うようになると
再びパニックが強化(涙)

赤ペン青ペンで大切なことを書くのだが
・・・消せない(爆)


で、のび太は、

「ボクは色鉛筆の赤と青で書く」ことにし、
間違いは無理矢理消しゴムで消した。

ペンよりははるかに消せるようになって、
パニックは激減。

しかし、色鉛筆はもろい。

のび太みたいに落ち着きない子は
しょっちゅう鉛筆を落っことしてるので
赤青色鉛筆の芯はボロボロ折れ、
今度はそっちでパニックだし(爆)


そんなこんなしているうちに、
文房具売り場で画期的なものを見つけた。

フリクション!!!

消せるペンだ!!!




初めてこれを見つけたときには
のび太のために開発されたのではないか?!
と思ったほどだ(笑)

ペンがきれいに消せる・・・

間違いがなかったかのように消せる・・・

つまり、

パニックの要素が消える・・・!!!



そう!

この「フリクション」のおかげでのび太は心置きなく
授業に参加できるようになったのだ。



科学とは、新商品の開発とは、素晴らしい!



もちろん、自閉症児のパニックをなくすために
フリクションが作られたわけじゃないが(笑)

それからと言うもの、のび太はフリクションに
何度も救われてきた。

(もちろん公文書などには使用できない)





そういえば、最近、もうひとつ、「おおお!」と
思ったことがある。


のび太が療育に通っていた頃は
新しい場所が苦手、とか、予定を予告する時など
カメラで前もって撮影して現像しておいて、
それを手順カードにしたりして示したりしていた。

しかし、今は携帯電話があるので昔のような手間も
大分省けるらしい。

カメラで撮影しておけばいつでも示せるし、
必要であれば画像を並べて簡単に印刷できる。


当時はまだ誰もが携帯電話を持っているほどでもなく、
カメラつきも出始めた頃だったような気がする。


幼かったのび太と出かけるときは万が一に備えて
「のび太の取扱説明書」「サポートブック」みたいなもの
とか様々な手順を書いたものをひとつにまとめた冊子と、
(これについて詳しく知りたい方は
 こちらの→過去記事を見てね)
メモ帳、ペン、待つときに騒がないように
折り紙あや取りなども常に持ち歩いていた。

今は、そういったもの全て携帯電話ひとつで
まかなえると言う便利さ。


スマートフォンとかだったらきっと、
もっとスムーズに簡単に手間のかかる子たちを
フォローする機能があれこれ詰まっているのかも。




とにかく、私たち親は、自分にもストレスがかからないように
便利なものをうまく使って、
子供たちにも落ち着いた環境を整えてあげたいですね。






| 我が家の自閉症との関わり方 | コメント(10) |
2011-02-15 (Tue)
私は美容院が苦手だ。

やたら意味不明に時間をかけ過ぎるのもイヤ。

カットだけなんだから40分、長くても1時間以内に
終わってくれるところじゃないとイヤだし。

あの、1対1のビミョーな雰囲気、
デカイ鏡に自分の顔が主体となって映り、
時々、その鏡を覗かれて鏡越しに
会話をフラレたりするのもミョーな感じだし。

最近は出された雑誌を見ていると、
余り積極的に話しかけられないのでそうしているが、
出される雑誌が全く興味ないのが多い。

以前、美容師の友人に聞いたことがあったが、
出す雑誌はお客さんの年齢や服装、
知っている場合は職業とかを考慮して出すらしい。

最近はほとんど女性週刊誌ばかり出されるが、
私は全くそーゆーものに興味ない。
(3,4年前、「クロワッサ○」を出された時には
 その内容が更年期やら体の変調に関する内容で
 これを出された事にショックを受けた(笑)


それよりも美容院が苦手な理由は
ここ5年くらい、思い通りにカットしてもらっていない、
ということだ。

私はショートカットが好き。

手がかからないし、中途半端に長いのは似合わない。

「全体をバサッとした感じでシャギー?段?を
トップからいっぱい入れて欲しいのだ。

でも、サイドは耳は出したくない。

あごのラインあたりで揃えたい。

でも、全体にバサッと短めに。」


と言う風に、いつもお願いしているのだが
いつもサイドもモワッとボリューム感たっぷりで
ある時はちびまるこちゃんみたいでビックリした。

「いかがですか?」と
後ろに鏡を向けて見せてくれるが、
全然、私が言ったようなシャギー感も段を入れた感もない。

「あ・・・もう少しシャギーをいっぱい入れて・・・」

の、一言がなかなか言えず、

「あ、はい、いいです」と

ちびまるこ状態の私は心にもないことを言ってしまう。


で、家に帰って来てスキバサミでザクザク自分で
シャギーっぽい感じに切るのだ。


・・・・・何のために美容院に行ってるのだ?!


とにかく、私の説明が伝わらないのだ。

しかし、「思い通りに伝わらない」と思うと、
余計にしどろもどろな説明になり、
全く違うのに「あ、はい」とか「いいです」とか
言ってしまう、小心者のワタシ。







数ヵ月後、今日は絶対にシャギーで行くぞ!

と、意気込んでも私の説明が悪いのか、
どうしてもちびまるこにしかならない(爆)

しかし、今日は「あ、もっとトップから短くシャギーを・・・」





よしっ!!!言ったぞ!!!




「あ、でも、触ってみてください。
 結構、トップからシャギー、たくさん入れてありますよ。
 これ以上、入れると、この辺ではねてきちゃうんですよね」

「あ、じゃあいいです・・・」







くっそぉ~~~!!!


そんなこんなで、何軒かの美容院を数年かかって
放浪して出た結論。


どうやら、今はボブスタイルが流行っているらしい。

で、ボブをアレンジした形が主流なので
トップから短くすると流行に反するのだ。

だから「ちびまるこ」なのだ(涙)





くぅ~!!!悔しい・・・






ある日、テレビを見ていたら、
「これ!この髪型にしたいのよ!」
と思う人がいた。

キンキ○ッズのコウイ○くん。

これよ、これ!まさにトップから短く、
いっぱい段やらシャギーやら入ってるし!


妹に美容院のグチを話したら、
「じゃあ、そのキンキ○ッズのコウイ○くんの
 写真を持っていって『これにしてください』
 って言えばいいんじゃない?」

と、言われたが、

さすがにこの年で「キンキ○ッズにして下さい」って
言う勇気が、ない(笑)

それくらい、私だって自分を知ってるわよ(笑)



「じゃあ、ネットとかに『ヘアカタログ』って出てるから
 その中から選んで『これで』ってお願いしたら』

おおお!

そうか、その手があったか!!!




しかし、ないもんだ。

要するに、私が望んでいるヘアスタイルは
このご時世、流行のものじゃないのだ。

みんな、ほわ~っとしたボブスタイルが流行なのだ。






そんな中でも、いくらか「キンキ○ッズ、コウイ○」風な
モデルさんの画像をGET!


さて、「ちびまるこ」は「キンキのコウイ○」になれるのか?!








単なるグチです。失礼・・・。









| 母のグチ | コメント(9) |
2011-02-14 (Mon)
いろんなことを、つらつらと考えていた時、
ふと、思い出したことがある。



「のび太くんみたいな子が不安定になるような学校は
 全ての子供たちにとっても居心地が悪い学校だと思う」


何度も記事に登場していることばの教室でお世話になった
K先生の言葉だ。

のび太が小学校に入学する時に、
学区内の小学校に特別支援クラスも通級もなかったので
そういうクラスが整っている隣の学区に引っ越そうか、
迷っている、と話したときに
K先生がおっしゃった言葉だ。


つまり、のび太は当時は確かにパニックも酷く、
こだわりの塊だったけど、
そんなことくらい、個々に対応できるはずだ、

理屈、理由がわかれば、のび太のパニックは治まるし、
意味のないパニックなどないし、
こだわりをうまくコントロールするのが教師である、
と、K先生はおっしゃる。

そして、それは障害のある子だから、と言う事ではなく、
全ての子供においても同じなのだ、ということ。


そして、K先生は
「特別支援クラスの子供たちの様子を見れば
 その学校の先生方の意識や熱意がわかる」
ともおっしゃっていた。

つまり、「障害がある」「配慮を要する」と
言われる人たちが穏やかに過ごせる学校は
全ての生徒にとっても過ごしやすい学校であり、
教師は全ての生徒に心を寄せて接しているのだ、ということだ。






先日、参観日があり、その時に、
前の記事ののび太の引継ぎに関する私の心配点を
書いたものをC先生に手渡ししてきた。


その時に、C先生はおっしゃった。


「のび太くんは大丈夫です。
 私はのび太くんだったらこの中学に入学しても
 大丈夫だと思ったので調査書も書かせていただきましたから」



なんて、心強い。


そして、

「万が一、何かあった時には、
 保健室の先生に相談してください。
 私の親友なんですよ。
 とても勉強熱心でのび太くんのような子供のことを
 すごく勉強してひとりひとりの子供の気持ちを
 親身になってくれる人ですから。
 私から、彼女にのび太くんのことも伝えておきます。
 心配ないです。大丈夫」




「縁」というものは、「円」でもある。

めぐりめぐって、輪のように人と人をつなぐ。

そして、素晴らしい出会いは素晴らしい縁を取り持つのだ。





きっと、のび太は大丈夫。

のび太が選んだ道。

そこには光が射しているもん。







| 特別支援・資料関係 | コメント(2) |
2011-02-10 (Thu)
先日、担任のC先生にお手紙を書いた。

中学校との引継ぎの際に
のび太の発達障害やその特性、学校側からの所見等、
伝えて欲しい、ということ。


それに対して、C先生からお返事をいただいた。

「私自身ものび太くんのことについて
 ちゃんと引継ぎをすべきではないだろうかと思っていました。

 そしてそのことをのび太さんのご両親にどうお伝えすればよいか
 踏ん切りがつかないでおりました。

 のび太さんはおそらく新しい環境でも大丈夫だと思います。

 初めての事や私からのダメだしがあったときなど、
 多少慌てる様子もありますが、放っておいても、
 きちんと自分なりの答えを出して行動できるように
 なってきているからです。

 しかし、やはり何があるかわからないので中学校には
 のび太さんのことをわかっておいていただいた方が
 良いと思います。

 お父さん、お母さんから、伝えたいことなどおありでしたら
 ご連絡ください・・・後略・・・」




ありがたいです。

お心遣いいただいて。



と言うわけで、どんな風にどこまで伝えたらよいか、
あれこれと思案・・・





「・・・・・前略

 のび太の特性についてと、心配な点についてまとめました。

 のび太はC先生が担任になってからと言うもの
 私も全く心配なく学校に送り出せましたし、
 のび太自身も毎日、楽しく生き生きと学校生活を
 過ごせていました。

 ですから、正直、4年生までのトラブルや問題点を
 まとめた感じになります。

 5,6年と、のび太なりに成長した部分もあるとは思いますが
 C先生だったからこそ、落ち着いて穏やかに
 過ごせていたのだと思います。

 しかし環境の変化でのび太自身もどのようになるか
 わかりませんので、心配な点を書き出しましたが、
 どのように伝えていただいても構いません。

 先生にお任せいたしますのでどうぞよろしくお願いいたします」



(以下、パソコンで文書作成)



1、口頭の指示だけでは伝わらないことが多々あります。
 (時間割など変更、持ち物の指示、複数の作業を同時に行う時など)
 自分でメモをするなど対処法も身についてきてはおりますが
 とっさの変更などすぐには理解できない事があります。
 箇条書きにして、示していただければ伝わります。

2、良くも悪くも、周りの意見や雰囲気に流されてしまいがちです。
 自分の思いとは裏腹に、強い主張に流されてしまいがちなので、
 修正してくれる「正しい意見」や「大人の目の判断」を
 お願いしたいです。

3、嫌がらせをされても、とっさにその状況が理解できず、
 雰囲気に飲まれて過ごしてしまうため、その態度が反感を買い、
 嫌がらせがエスカレートし、いじめが酷くなることが
 多々あります。
 嫌がらせをうまくかわしたり、聞き流したりが出来ずに、
 辛い思いをした経験があります。

4、何かトラブルがあっても、うまく物事の筋道を立てて、
 説明するのが苦手です。
 文字などにして示して、冷静に聞いてくだされば、
 落ち着いて説明できると思います。

5、予定外の出来事や突発的な出来事に
 パニックになることがあります。痛みにも弱いです。
 必要以上に大騒ぎしているように思われることもありますが、
 本人の精神的苦痛は私たちが感じるより
 非常に大きいダメージです。
 気持ちを察して声をかけてくだされば落ち着くと思います。


 

以前、クラス替え(担任が変わるとき)の際に作成した、
「配慮をお願いする文書」をほとんど丸々使い、
ちょっとだけ変えた部分もあります。


親側の心配点を挙げただけの文書にし、
あとはC先生にどこまでどのように伝えるかは
100%お任せしたいと思いました。




また、C先生とは別に教育委員会の特別支援担当のK先生からも
のび太についての申し送りがあるらしいので
おそらくこれで大丈夫だと思っています。


あとは、中学校側がどこまで理解し、
どこまで受け止めてくださるか、

そして、のび太自身がどう変化するか、
どんな風に中学生活を送るのか、

それを見守って行くしかないと思っています。





そして、私自身はのび太の
「生きる力」を信じるしかないでしょう。





| 発達障害児公立中高一貫校への入学準備 | コメント(8) |
2011-02-07 (Mon)
のび太と一緒に行動していると、
私の知りあいなどと会ったりすると、
のび太はちゃんと挨拶する。

入学説明会に行った時なども、
同級生の親子と顔をあわせると、
ちゃんと相手の親に挨拶するのび太。

しかし、相手のお子さんは、と言えば、
結構、しら~っとして目も合わせない子や、
全く挨拶する気などない素振りの子などが多い。


もし、のび太がこういうときに挨拶しなかったら

「ほら、のび太、ちゃんと挨拶しなさい」

って言うんだけど、多数派の親は我が子が私にシカトしていても
注意ひとつもしないのだよね。


そういうものなの?







まあ、のび太は
「知っている人、親の知り合いに会ったら挨拶をする事」
という「きまり」を律儀に守っているだけなのだけど。


よく、AS系の人間は「きまり」を守る事にこだわる、
と言われる。

しかし、それらの行動は多数派の「心から湧き出る行動」とは違い、
「○○の時は△△しなければいけない」という意識で行動するので
心がこもった行動とは違う、と言われているらしい。


ふ~ん、そうなのか。

まあ、そう言われれば、そうかも。

私はのび太くらいの年頃は知っている人とすれ違いそうになると
挨拶をしたくないので、クルッと方向転換までして
来た道を引き返して顔を合わせない様にしていた。

しかし、年を取ると、人間としての経験値アップで
だんだんそういうことも大丈夫になってくるものだ。

愛犬の散歩などで見知らぬ人とすれ違っても
一応、挨拶できるようにはなってきている。

だからといって、それが「心からの行動か」と問われると
「う~ん、『挨拶はするのが人としてのマナーだから』 
 しているにすぎないかな~」

ってところが、正直なところである。




だけど、ここで疑問に思うのが、
じゃあ、多数派の人間はみんな「心をこめて挨拶しているのか?」
ということ。

「心からの挨拶」とか「心のこもった行動」って、
誰がどう判断しているのか、と思う。


というか、多数派は「心から湧き上がる気持ち」がなければ
挨拶をしないのだろうか?


「のび太のお母さんに挨拶しようと心から思わないから
 シカトだな」

ってことなのか?


「うちの子、心から挨拶したいという気持ちになってないから
 挨拶は無理にさせようとは思わないから注意しないの」

ってことなのか?



ああ!
私がASで「知り合いには挨拶するもの」っていう
「きまり」をのび太に守らせようとしているから
挨拶しないのび太にも挨拶させようとしているんだろうか?





「自分は○点(スゴイ高得点)で合格したんだ!」
って、自慢しているのはいいけど、
お勉強ばっかりスゴ~クお出来になっても
挨拶ひとつ出来ないのはいかがなものなの?

難関受験を突破したのはいいけど、
我が子に挨拶くらい教えたらどうなの?

と思ってしまうワタシ。




私は勉強云々より、もっともっと、
人として大切なことを教えていきたいんだけどな。



それがたとえ「きまりだからやっている」事だとしても
やらないより、教えないより、
できる方がいいと思うし、教えた方がいい、
というか、親が教えていかなければいけないだろう、と思うのだ。



こんな時、ASである自分も、ちょっといいな、

いや、ASであることを誇りに思ったりするのである。






| 我が家の自閉症との関わり方 | コメント(14) |
2011-02-03 (Thu)
体育でサッカーをしていると言うのび太。

おおお~!




球技が苦手なのび太だが、最近はそうでもないらしい。

C先生の上手い誉め方で、
少しずつ自信を持てるようになったのと、
去年の陸上での成績で運動に対する楽しみを
見出せるようになったのと、

休み時間に友達とドッヂボールをやっているらしく、
元々、クラス公認の「ドッヂボール下手」だったので
ちょっとでも強いボールをキャッチできたりすると

「おお!のび太くん、スゲーじゃん!」とか、

「のび太くん、うまくなったじゃん!」とか、

友達らも、上手い具合に誉めてくれるらしい。



それに気をよくして、ボールに対する恐怖感がなくなり、
楽しくなってきたようなのだ。





しかし、サッカーは・・・。


「ああ、今日、体育、サッカーだ・・・」


と、ちょっとブルーになったりしていた。



ところが昨日、

「サッカー、ボク、デカイからキーパーやってるんだ♪」

と、楽しそう。


「ああ、デカイからね(笑)楽しい?」


「うん。楽しくなってきた。
 前までサッカーって怖かったんだ」


「え?どうして?」


「前にサッカーやったとき、ボクと友達とぶつかって、
 その時、友達が口の中を切って口が血だらけになって
 保健室に行っちゃったんだ。
 それでなんか、怖くなっちゃって・・・」


「ああ、でも、大丈夫だよ。
 サッカーとかバスケットとかそういうのって
 ぶつかったりして怪我しちゃったりするのは
 お互い様なんだよ。
 怖がらなくても平気だって」

「違うよ。僕が怪我するとかってことより、
 ボクと誰かがぶつかって怪我させちゃうのが
 なんか怖くてさ~・・・」




なるほど。


のび太は、自分とぶつかって誰かが怪我をする、

つまり、のび太の気持ちとしては
「自分が誰かを怪我させた」という、
加害者意識があって、怖くなったらしい。


自分の指のさかむけからちょっと出血しただけで
大騒ぎしてパニクってばんそうこうを貼るのび太。

サスペンスドラマの予告の一瞬の血だらけの画像すら
恐ろしくて号泣した事もあった。

自分とぶつかった人が口を血だらけにして保健室に行った、
という出来事が、のび太としては
かなりのショックだったのだろう。




「そっか~、それはショックだったんだね。
 でもさ、スポーツってそういうことはあるんだよ。
 ほら、日本代表のサッカーの試合とか見ても
 お互いにぶつかって骨折したりするけど
 そういうのって誰が悪いとかそういうことじゃないんだよ。
 心配しなくて大丈夫なんだよ。
 だって、のび太が誰かとぶつかって血だらけになったからって
 ぶつかった相手が悪い、って事じゃないでしょ?」


「ああ、そうだけど。
 でもさ、なんか、そのことがあってから怖かった」




理屈ではわかっていても、のび太の中では
自分とぶつかって誰かが血だらけになる、ということは
「恐怖」だったのかもしれない。




「血」が苦手なのび太。

どうみても医者には向かないな(笑)

なりたくもないだろうけど(笑)







| のび太のあれこれ | コメント(2) |
2011-02-02 (Wed)
思えば、のび太が発達障害であると診断されたのは
4歳の頃。

会話、どころか、「うん」「ううん」といった、
意思表示すらも出来なかった。



とにかく、コミュニケーションが取りたかった。

障害がある、とか、そんなことよりも、
今、のび太が何故パニクっているのか、
今、のび太が何を思っているのか、
それを知りたいだけだった。



診断された事でホッとした。

どうすればいいのか、どんな風に接すればいいのか、
そのヒントを得たからだ。



しかし、診断された事で、
きっと、この子は多くの子供が歩む道とは
違う道を行き、違う目的に向かっていくのだろう、
と思った。

それは、想像も出来ない先が真っ暗闇の
深い道をさ迷うことを想像した。


だからと言って、落ち込む事はなかった。

落ち込む暇がなかった、と言った方が正しい。



幼稚園では加配の先生をつけられた。

のび太くんにばかり手がかかる、
他のお子さんの保育が手薄になる、
こういう子は昔は「あの家にたたりが出た」と言われたんですよ、
などと、園長にグチグチ言われた。

そうか、のび太は他人様に迷惑をかける子なのか、

そうか、昔だったら家丸ごと「たたられる」ほどの
厄介者扱いだというのか、

・・・・・愕然とした。





それでも、人に恵まれたのび太は
たくさんの人たちの愛情に囲まれて成長した。



入学式は前日にのび太のためだけに
予行練習をしていただいた。

入学後は予想通りトラブルとパニックの連続。

学校でのクールダウンの場所も与えていただいた。


しかし、世の中というものは甘くはない。

理屈では理解しているつもりでいて、
でも、実際に接する時は何の配慮もできない教師は
まだまだいるのだ。

とんでもない教師に苦しめられても
絶対に学校を休まなかったのび太。


信頼していた友達が実は嫌がらせの元であった事実に
親子で愕然とした事も。





そして心が狭く、卑屈に育った私は、
あの時の園長に、あの時のび太を散々苦しめた教師に、
今ののび太の姿を絶対に見せたくなんかない、
と思うのだ。



あの人たちには、
のび太の痛みも、のび太の血だらけになった心の傷も

そして、あの人たちとは対極の光さす場所にいる、
素晴らしき理解者たちののび太への温かいまなざしも、

絶対に絶対に、理解できるはずなどないのだから。











そして、深く苦しい真っ暗闇の夜は明けた。

当たり前のことを正しく教えてくださる
先生との出会いがあった。

そして、のび太に勇気と自信を与えてくださった。




のび太は、生まれて初めて自分自身で決断して、
目標に向かって走った。

そして、努力は報われた。


会話が出来なかったのび太が
毎日、作文で気持ちを綴った。

意思表示ができなかったのび太が
自分の強い意志で歩む道を決めてゆく。




のび太はいつも「みんなと同じ」にこだわった。

のび太の望む「みんなと同じ」に出来るように、
小さな小石を積み上げてきた。

崩れては、また、一つ目から、そっと小石を置く。



4歳だったのび太の行く道があの頃は見えなかった。

でも、12歳ののび太は、自ら、行く道を選び、
そこに光を照らす。

もちろん、まだまだ茨の道は続くだろうけど、
それは4歳ののび太を案じた真っ暗闇の道とは違う。




4歳ののび太を抱えたあの頃の私に、

「大丈夫だよ」と、声をかけてあげたい。









| 母のつぶやき | コメント(2) |
2011-02-02 (Wed)
コドモである、ということは、ツライ。

というか、私はツラカッタ。




大人になれば、もっと大変なことがたくさんある、

とか、

自由に生きられるのは子供の時だけ、

とか、

オトナはコドモに脅しをかける。





しかし、それは違う。(と私は思う)



コドモである、オトナの監視下にある、
ということは、それは支配されている一市民みたいだった。

コドモなんだから、コドモのくせに、
コドモはダメ、コドモはオトナの言うとおりにしなさい、
コドモは黙ってろ、どうせコドモの言う事だし、


そんな風に全ての感情、行動を制限され、
支配されていたような気さえする。






だけど、コドモだってオトナ以上に
成熟した感情や思考が可能である。

オトナ、という、単なるヒトとしての年齢だけで
偉そうにしている低次元なヒトより
よっぽど気高いコドモはたくさんいる。




だから、私はコドモの声に、コドモの叫びに、
耳を傾けたいと思う。


そして、コドモたちに言いたい。

オトナになれば、心が解放されるんだよ、と。

今よりはるかに、自由に生きていいんだよ、と。




オトナの目に自分を縛る事なんかない。

オトナの支配下で苦しまなくていい。




わがままだ、なんて言わせないから。

キミたちはもっと、自分自身を生きていい。




もっと、キミの声を聞かせて。

もっと、キミの心を見せて。






| 母のつぶやき | コメント(2) |
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