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2010-09-29 (Wed)
僕の担任の先生はいろいろな事に
真剣な先生です。

特にクラスでいじめがおきた時などは
とても真剣に叱って、
気持ちが高ぶって涙を流す事もあります。

僕は先生を「一番の恩師だ」と思っています。
理由は先生が担任になる前は
僕はひどいいじめにあっていました。
それを解決したのが先生だからです。
たくさんお礼を言っても足りないほどです。






上の文章はのび太が塾の課題で書いたものです。

ちょっとおかしな言葉遣いが多々あったので
勝手ながら訂正してありますし(笑)
字数制限もある課題なので
さらっとした文章ですが、

これを読んで涙が出ました。




のび太は普段、人に対しての感情を
表現したり伝えたりを器用に出来ません。

成長に伴う照れもあって、
感謝や感動をどちらかと言うと
押し隠そうとしているのがわかるほどですが、

文章にすると、こうして心の奥にある感情を
バン!とあらわにしてくれます。

家で作文の練習をしていても
「ああ、のび太はそういう事を考えているんだな」
と、しみじみ思ったりするのです。


ASタイプの人間は、とかく、
「相手の気持ちがわからない」とか
「言葉を表面的に受け取り言葉の裏を解せない」とか
「自分勝手で一方的」などと言われ、
人間としての感情のインプットもアウトプットも
出来ない人種のように言われる事が多いのですが、
決してそうではないのだ。


その表現方法が不器用だったり
どうしたらいいかわからずギクシャクしたり
考えすぎて結局、表現できなかったり・・・

ということが、そういう評価になっているのだろうと思う。




彼らの心の中は実に豊かな感情が渦巻いているのだ。

それをうまく表現できないからこそ、
表に思い通りに表出できないからこそ、
余計に心にたまっている感情がたくさんあり、
表に出せない分、何度も何度も
自分の中で自問自答する中で
さらに磨かれて輝いてくるかのようだ。


苦手な作文を何度も消しながら真剣に書くのび太。




いつか、この作文ののび太の気持ちをC先生に伝えたいね。










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| 発達障害児公立中高一貫校を目指す受験 | コメント(0) |
2010-09-27 (Mon)
何度も何度も記事にもしているが、
のび太は本当に字が汚い(笑)

乱雑すぎて解読できないところもあるほどだ。

自分の名前すら乱雑に殴り書きするので
テストの名前欄の文字の横に赤ペンで

「丁寧に書きましょう」

なんて先生から注意される事も何度も何度もある。



しかしのび太は書写コンクールなどでは
結構いい賞を頂くのだ。

だから、丁寧に落ち着いて書けば
決して下手ではない。

いや、上手い下手、の問題ではなく、
丁寧に書いているかどうかの問題だ。


でも、乱雑に書こうが自分自身の問題だし
いつか自分の乱雑な文字で失敗して、
自分で気づかなければ丁寧に書こうとは
思わないだろうと、
あまり強く言わずにいたのだった。




しかしだ!!!!!



中学受験だ!!!!!





文字の乱雑ささえ有無を言わせない学力ならいいさ。

しかし、「さあ、最後の一人、どちらにする?」
と、なったときにやはり文字の印象は大きい。

乱雑な方より、絶対的に丁寧な文字の方が優位だ。




だから、とにかく、

「文字を丁寧にゆっくり書け~~~!」

と、口を酸っぱく酸っぱく酸っぱくして言って来た。



ところがそう簡単に
丁寧な文字で書き続けるようになるなんて
無理な話なのだ(笑)


はじめは丁寧に書いていても、
次第に乱れていって最後には殴り書きになる(笑)





視覚優位タイプのAS系人間のび太には
「100回言うより1度書け!」
合言葉だ。


そこで「適性検査を解く前の注意書き」を
作成した。

そこには問題文の大事なところにチェックを入れる、

とか、

何を問われているかをチェックする、

とか、

そういった注意事項の一番最初に



「文字をゆっくり丁寧に書く。
 正確な文字を書かないと減点です」


と、赤い文字で書いておいた。




それに付け加え、毎日、問題集をやる前に

「丁寧な文字で!」と言ってやっても、

終えて持ってくる答案を見ると
読めない文字が並んでいるのを見ると
我が子ながら愕然とするのだ。





いくら言っても乱雑な文字でしか書けないのび太に
毎日、強く言ってしまう。

嫌だ嫌だ。

毎日、受験勉強の(乱雑な文字の)せいで
私はイライラし叱り、のび太は不快な思いをする。


受験勉強だけでもグッタリなのにツライ。



それにASタイプののび太に対して
頭ごなしに叱ってもいけないだろう。

きちんと理屈づけて説明しないと。







ある日、穏やかにおやつを食べつつ、

「ねえ、のび太、えらいよね。
 自分で考えて決断して受験勉強してるんだもんね。」

と、切り出してみた。




「あのさ~、お父さんとお母さんはのび太に
 苦手な事を無理にやらせようと思ったことなかったんだ。

 のび太は得意なことたくさんあるし、
 本当に興味のある事は黙っていても自分で調べて
 勉強したい気持ちが強い子だし、
 その時に興味のあることに没頭し続けてほしいって
 思ってたんだ。

 だから、作文が3行しか書けなくても
 それが悪いことではないし、
 そういう作文もアリだと思うし、
 字が汚くても自分でいつか『これはダメだ』
 って思ったら直せば良いだろう、って思ってた。

 中学受験もさせるつもりはなかったよ。
 のび太中学校で今までどおり、
 楽しく中学生活を送ってくれればいい、って
 思ってた。

 だけど、のび太が受験したい、
 ○中学に行きたい!っていう希望を叶えてあげたいんだ。
 
 だから、お父さんもお母さんも
 『字を丁寧に書け!』って強く言っちゃうんだよね。
 
 ごめんね。」




と言うと、



「うん、わかってる。
 受験勉強のために言ってくれてるって
 ちゃんとわかってるって。」






そう。

のび太はわかってくれていたのだ。




こんなに頭ごなしに叱り続けていたら
私の前で萎縮して何も言えなくなるのでは・・・?

なんて、ドキドキしていた。

強く叱ったあとで毎回、自己嫌悪で落ち込んでいた。



しかし、のび太はちゃんとわかっていた。


さすが、のび太。





「うん、わかってる。
 受験勉強のために言ってくれてるって
 ちゃんとわかってるって。」


と、のび太に言われて、思わず、


「そうだよね。ありがと。」


と、何故か、言ってしまったワタシ(笑)







その日以来、


のび太はきっちり丁寧な文字を書き続けているのだ。





丁寧な「文字」で伝えることも大事だが、
丁寧な「言葉」で伝えることもとても大事なのだ。



それは「きちんと心を伝える」ことに繋がる。





いつもこんな風に
私はのび太に教えられるのだ。









| 我が家の自閉症との関わり方 | コメント(6) |
2010-09-22 (Wed)
~頑張れば夢は叶う~

・・・なんていうぼんやりした言葉に
誰もがとらわれすぎている。

○○になりたい、とか
○○したい、という夢を
本当に叶えられる人は
ごく一握りの人しかいないのに。


叶わなかったものは
努力が足りないとか
本気じゃなかったんだとか
そんな風な簡単なひとことで
否定して欲しくない。




だから私は叶った夢よりも
叶わなくて砕け散った夢に思いを馳せる。

ダイヤモンドのように強くきらめいていた夢も
粉々になることの方が多いのが、現実。


だけど、だからと言って
誰もキミを否定する事なんて出来るはずない。


夢を叶える事よりも
もっともっと大きな何かを得られるのは
くだけた夢のかけらに
愕然とした経験を持つ者こそなのだと思うのだ。





夢を持ち続ければ絶対に叶う、とか、
強く願い努力したものこそ達成できる、とか、

そんな耳障りのいい単なる「言葉」の羅列に
気持ちを乱されることなく
歩いていって欲しい。






| 母のつぶやき | コメント(0) |
2010-09-17 (Fri)
のび太の担任のC先生は毎週、
クラス便りを作ってくださる。

これほどマメに、クラスの様子を
伝えてくださる先生は初めてだ。


このクラス便りの内容が、
これまた毎回、読み応えがあるのだ。


学級会で話し合った内容についてや、
行事に向けてのクラスの取り組み、
授業中のやり取りなど、
大人でも考えさせられたりジーンと涙して読んだり、
毎回、とても楽しみなのだ。



以前、こんな内容のクラス便りがあった。


「『自分で考え、一人でも行動できる、
  「個の力」を鍛えよう』


 ~最高学年でありながら、
 職員室に用事がある時、果てには
 トイレに行く時まで
 誰かと一緒、という人が多い。

 自分の考え、自分の行動を意識し、
 周りに流される事ない強さを持ちましょう~

・・・ということを話し合いました」




へえ~、すごいな。

自分が小学生の頃、
こういうことを言ってくれる先生なんていなかったよ。


誰かと行動している事がどちらかと言えば
協調性がある、友達が多い、などと
思われていたような気がする。


特に女子に多いだろう。


私はこういう女子同士のおかしな連帯感が
大っキライだった(笑)

友達と一緒に帰るためにずーっと待つ、とか、
「ねえ、一緒にトイレ行こう」とか、
「○○の時、一緒に座ろう」とか、
そういうのがめんどくさくてイヤだった。

ひとりで行動している方がよっぽど気楽だったし、
変な気も使わなくていいし。

周りの子のめんどくさい「繋がり」が理解できなかった。





のび太にも聞いてみた。


「のび太はひとりで職員室とかトイレとか行ける?」


「ん???ボク、誰かと行った事、ないよ」




そうだろうね(笑)

自分の事で精一杯で、誰かと、なんて
思いもよらないだろうね(笑)


先日、初めての塾だった。

日曜に10時~4時までお弁当持参だったので、

「のび太、お弁当、誰かと一緒に食べたの?」

と聞いたら、

「一人で食べた」

「ふう~ん、ひとりでも大丈夫?」

「???全然、大丈夫」


と、私が何故、「大丈夫?」なんて聞くのかが
逆に不思議そうだった(笑)




今朝の新聞の記事。

大学入学1週間しかたっていないのに
「友達が出来ない」と相談に来る人もいるらしい。

友達が出来ないからと、退学する人までいるとかで、
そのため大学側も友達作りの手助けを始めたそうだ。

学食でひとりで食べるのが恥ずかしいらしく
トイレで食べる人までいるとか。

そういう心理は「友達がいない寂しさ」ではなく
「友達がいないと思われることの恥ずかしさ」だとか。



こういう記事を爆笑して読んでしまう私は
まあ、少数派なのだから意見としては
賛同してくれる人のほうが少ないだろうが、
全く、「友達ってなんだろう?」と思う。




のび太が4年生の頃、散々いじめられていたのに
何の対処もしてくれなかった担任が
通知表の所見に書いてた言葉が、

「最近では友達と一緒にいる姿が見られ、
 そういう点では成長が見られたと思います。」

だった。


ちなみに「一緒にいる」と担任が見ていたのは
いじめっ子(笑)

いじめっ子と一緒にいても
一人でいることより誰かといることが
「友達がいる、協調性がある」と短絡的に見られるのだ。

それも教育者の目からでも、ってとこが笑えるが(笑)




新聞記事の内容からも、4年当時の担任の所見からも
「誰かといる」ことが「友達がいる」と見られ、
それが「協調性がある」「人として健全と思われる」
ということらしい。


ということは裏返せば、
「ひとりでいる」ことは「友達がいない」と見られ、
「協調性がない」「人として不健全である」
ということになる。



しかし、そんな風に思う「目」もありながら、
「そういう考えっておかしいだろう」
「友達ってそんなんじゃないだろう」
「ひとりで行動できないなんて情けない」
という考えもあるわけだ。





だからこそ、C先生のお便りの

「自分で考え、一人でも行動できる、
  「個の力」を鍛えよう」

という言葉はとても私達には心強く思ったし、
私やのび太みたいな「単独行動派」を
認めて賞賛してくださったかのように思えて
嬉しかったのだ。




ちなみに、こんな私でも
現在、何でも話せて相談できる友人が3人もいる。

ふたりはのび太と同級生のママ友達。
(過去記事にもたびたび登場する、
 のび太が1歳で入った子育てサークルで知り合った)

もうひとりは中学~高校の同級生。

遠いところに嫁いで普段は全く連絡も取り合わないが
本当に自分の気持ちがピンチの時に
お互い連絡して相談してしまう相手だ。




♪友達100人できるかな?♪なんて歌もあり、
友達はたくさんいた方がいいという幻想を
幼い頃から押し付けられるが、
友達なんてひとりいれば充分だ。

3人いる私はチョー幸せ者だ。

それに、友達、って
一緒にトイレに行く人でも一緒にご飯食べる人でも
携帯アドレスに名前があるだけの人でもないはず。





きっと、ASタイプは「単独行動派」が多いだろう。

私から言わせれば、
ひとりで行動できない人間の方が
人としてマイナスに感じるのだが。

まあ、少数派の見解なので聞き流して欲しいけど(笑)


もしかしたら、私達ASタイプの「個の力」と言うものは
「人としての強さ」
「生きる力」を秘めているのかもしれないな、


などと、つらつら考えたのであった。





 
| 世間の目 | コメント(8) |
2010-09-13 (Mon)


のび太の障害を知っている人に
のび太が走り高跳びの学校代表に選ばれたことや
中学受験に向けて頑張っていることなどを
話した時の事。



「のび太くん、素晴らしいね!
 私はのび太くんに障害があるなんて
 始めから信じてなかったけど、
 これでまっぷーさんもわかったでしょ?」



???


わかったでしょ?って、何が?

と、思ったら、


「のび太くんに障害があるなんて
 まっぷーさんの思い込みだったって言う事。
 もしくは成長と共に治ったのかも知れない」

だって。




う~ん。

時々、こういう人にのび太のことを説明する時、
うんざりするのだ。



こういうのって、多分、相手は
とてものび太を好意的に見てくださっていて
障害があるということをマイナスに捉えているから
「そんなことないよ」と言う事で
私やのび太を励まそうと思っているのだろう。

だから余計に私としては受け答えに困る。

で、こちら側が逆におかしな気を使って
会話をしようとするから
お互いにおかしなやり取りになってしまうことが
たびたび・・・(汗)

こういう人って、親戚関係にも多い。





「この前、『スポ少とか全然やってない』
 って言ってたでしょ?
 私、のび太くんって絶対、運動神経いいはず、
 って思ってたからスポーツやれば良いのに、
 って思ってた。
 すごいね、走り高跳びの選手なんて!
 思い切ってスポ少にも入れば良いのに~」

「いやいや、のび太、球技とかは全くダメだって。
 体力もないし、そういうの苦手だって言うのは
 本人が一番わかっているみたいだし、
 無理にさせようとも思わないし」

「ええ~?!もったいないよ!
 せっかく才能あるんだからやらせなよ!
 球技とかものび太くん、絶対にセンスあるよ!」


絶対に、とか、才能がもったいない、とか、
親がやらせる、とか、

この人はのび太の運動している姿を見てもいないのに
何を持って、そんなに断言しているのか、
正直、腹が立ってくる。





「あ、あのね、のび太はもう6年生で
 自分が何が得意で何が苦手か、
 ちゃんとわかってるんだよね。
 それを逆に変に誉められたりすると
 すごく嫌がるからそういうこと本人には
 言わないでくれるかな?」


「ええ~!そうなの?
 せっかく誉めて励ましてあげようと思ったのに」





つまり、こういう人って、
「自分があなたを誉めてあげる、励ましてあげる」
と言う事に、自己満足を感じる人なのだろう。


それは決して、こちら側の気持ちを酌んではいない。




「でもさ、のび太くんと話してると、
 とてもいろんな大人っぽい言葉遣いするし、
 文章とか書くのも得意でしょ?
 だからそういう適性検査の試験も得意分野でしょ?
 絶対、合格だね~!」


だから何を根拠にそこまで「絶対」とか
つけてしまえるんだろう?



~高機能自閉症やアスペルガーの子は
 難しい言い回しや言葉遣いをしますが
 本来の意味を理解して使っているわけではありません。
 表面的な意味合いしか捉えなかったり
 耳にした事のある大人びた言葉遣いをしますが
 雰囲気だけで使ってしまう事も多い~

ASタイプの子の症状を説明するガイドブックなんかに
載っていそうなのが、のび太。




「あ、のび太、何かを言葉で説明するのも苦手だし
 作文も感想文もチョー苦手。
 その苦手なところにチャレンジしている、
 っていうことを誉めて欲しいけど、
 決してそういうことが得意でやっているわけじゃないんだよ。
 そこものび太、一番自覚している苦手なところだから
 おかしな誉め方、しないでやってくれるかな?」


こういうと、相手はちょっと憤慨した様子になる。


憤慨しているのは、本当はこちらだが。







「あのね、完璧な人っていないと思うんだよね。
 得意なところもあれば苦手なところもある。
 それを自覚してみんな生きてると思うんだよね。
 その、苦手なところをわざわざ捕まえて
 変に誉められてもね、逆にイヤだよね。
 のび太だって、同じだと思うよ」


相手はそれでもまだ、私の言葉が腑に落ちない、
とでも言いたげな雰囲気だ。




「私はね、のび太に苦手なところを無理に
 克服させようとか、思っていないんだよ。
 『頑張れば出来る』とか『やれば出来る』
 っていう根拠のない励ましで
 気持ちを乱したくないんだよ。
 『ああ、球技が苦手なんだ。別にいいじゃん、って。
 大人になったら球技が出来なくても
 何の不利益もなく生きて行けるんだから』
 って、のび太には言ってるんだよ。」



「へえ~・・・
 でも、普通は苦手なところを
 誉めて伸ばしてやるのが親の役目でしょ?」



また出た!
だから普通ってなんだよ?!






そういえば、この人は
のび太が高機能自閉症と診断された時も


「そんなことないよ!
 私はいろんな子供、見てきているけど
 のび太くんみたいな子なんて普通だよ!」

と、言い放った。


(補足だがこの人は普通の主婦である。
 子供に関わる仕事を経験したわけでも
 医療従事者でも教育者でもない)


この時も、非常に腹が立って言い合いになったのだった。



のび太は児童精神科医に診断されている。

当時はのび太自身がこの障害のために
つらい思いをしている。

それを何も知らない素人の人間がどうして
「そんなことない!」と言い切れるのか?

おまけに「のび太くんは普通だよ!」と!


だからさ、「普通」ってなんだよ?!



っていうか、障害があってもいいじゃん!

障害があることってそんなにいけないことなの?






~好意的に誉めてあげている、励ましてあげている、
 あなたの「障害」という人生のマイナス部分を
 私が否定してあげることで
 あなた達に希望を持たせてあげているのよ!~


つまり、この人の「自己満足」を
私達に押し付けているだけなのだが、
自分のしている事に疑う余地などない
自信満々な言葉の数々に、こちらは疲れ切ってしまう。


それを跳ね返す私を理解できないこの人は
正直言って、私にとっては、

「ありがた迷惑」な人でしかない。








| 世間の目 | コメント(8) |
2010-09-09 (Thu)
ちょっと前の事だが、
テレビで夏恒例の?怖い話番組を見ていたときのこと。




「えええ~!
 そんな怖いものが見えたらヤダナァ~!」

と言うのび太。



そんなのび太だがまだ会話もままならない状態だった
幼稚園児だった頃までは確かに見えていた・・・
(詳しくはこちら→過去記事見てね)


誰もいない部屋に向かって
誰かに話しかけるような言葉を発していたり、

誰かと遊んでいても
「関わって遊ぶ」と言う事がなかったのび太なのに
誰もいないのにまるで誰かと仲良く遊んでいるかのような
雰囲気で遊んでいたり・・・


よく「赤ちゃんは見えざるものが見えている」という。

それが言葉を会得すると見えなくなる、
とも言われているらしい。


もしそれが真実だとしたら
のび太はかなり最近まで見えていたことになる(笑)

まあ、冗談だがおそらく
上記の過去記事の出来事があったときまでは
確実に私達には見えない様々なものが
見えていただろうと思う。





そこで、過去記事に記した出来事の事を聞いてみた。




「のび太、でも幼稚園の時、
 怖いお化けがいる~!って夜中に大騒ぎしたの、
 覚えてるでしょ?」


「うん、忘れられないって、あんなに怖いの・・・」


「へえ~・・・
 どんなのが見えたの?」


「黒って言うか、灰色って言うか・・・
 モヤモヤした煙みたいなヤツ。
 暗いところでは灰色だけど、
 明るいところで見ると真っ黒なんだよ。」


「ああ!『大丈夫だよ~』って電気つけても
 『怖いよ~』って言ってたもんね」


「そう。ボクに向かって来るんだよ~
 煙みたいなヤツなのに何でか怖いんだよね。
 とにかく『怖い~~~』って思った」


「ほぉぉぉ・・・」



「あれってやっぱりお化けっていうか、
 霊っていうか、そういうものなのかな?」


「う~~~~ん・・・なんだろうね~・・・」
 でものび太、小さい時、
 他にもいろいろ見えてたでしょ?
 会話が出来てなかった小さい頃、
 誰もいないのに誰かと喋ってた感じだったよ。」


「へえ~・・・そうなの?」


「そう。お母さん達とはお話できないのに
 誰と話してるんだろう?って不思議だった」


「へえ~。お化けかどうかわかんないけど、
 小さい頃、紫色の人が見えてた」



「えええええ?!紫色の人って?!」



おお!新たな発言に食い入るワタシ!




「いい人は紫色っていうか、
 ピンクっていうか・・・なんだよ」


「いい人は紫色?!」


「そう。優しい人。いい人。
 イジワルしたり嫌な事をしたりしない人。
 僕を助けてくれたりする人。
 そういう人は紫色だった。」


「紫色の人は人間なの?お化けっぽいの?」


「人間だよ~(笑)
 K先生(言葉の教室でお世話になった)とか
 S先生とか(1年生の担任)とか
 ○くんとか△くんとかは紫色だった」


「それってオーラが紫色ってこと?」


「オーラって何だかわかんないけど、
 紫色の光を出してる」


「おおお~!そうなんだ~
 で、今は見えないの?」


「うん、この頃は見てない気がする。
 紫の人がいないのかもしれないし、
 見えないのかもしれないし、
 わかんないけど」





うっそ~!と思う人は思ってね。



確実に言える事はのび太は確かに
幼い頃はいろんなものが見えていただろう、
と言う事だけは確か。


そういうのって、
気持ちがまっさらな人にしか見えないんだろうと、
ワタシは個人的に思っています。

のび太が幼い頃はまさに
「心」は現世にはないかのように
私には感じていました。

肉体はここに生きているけれど
「心」は現世とは違うところをさ迷っている。

「だんだん見えなくなっている」のび太は
確実に「人間」の心に近づいているんだろうと
思ったりします。
 










「あ、それと、イヤなヤツは黒と灰色!
 僕が見たお化けと似てるんだよ!」






へええ・・・・・










| のび太のあれこれ | コメント(4) |
2010-09-07 (Tue)
いろいろ、いろいろいろいろ・・・・・と、

やる事、やらねばならぬこと、
頼まれごと、頼まれていないけどやらねばならぬこと、

などなどが、ゴチャゴチャと
頭の中と心の中に散乱しておりますぅ~~~!





体力的に、というよりは、
精神的に忙しくあれこれと気ぜわしく、
落ち着かない日々を過ごしていて、


そして、この先、もっともっとあれこれと、
なんだかんだがあるだろうと、思うと、




ううううう・・・・・



疲れる・・・・・








でも、投げ出すわけにもいかないし、
やる前にギブアップ状態だったりして(笑)






おまけに未だに暑くて暑くて
おかしな毎日が続いていますが

皆さんもご自愛くださいませ。







がんばりましょう。












| 母のグチ | コメント(0) |
2010-09-03 (Fri)
のび太は今、
学校生活と受験勉強と陸上練習に一生懸命だ。


思えば、どれものび太には
縁の薄いものだと思っていた。



普通クラスで6年間、紆余曲折、悲喜こもごもはあったが
何とか過ごせている事を、
のび太が入学前の私には想像できなかった。

いつ、崩れてもいいように、万が一に備えて、
特別支援クラスが複数ある隣の学区の小学校に
入学させた方がいいのかも・・・

と、相談した事もある。





中学受験なんて、ありえなかった。

まあ、この土地は元々、受験で入学するような中学自体、
数年前まで無かったのだから、
考える余地などもなかったのだが、

私自身が、のび太は好きなことだけ、
興味のあることだけ好きなだけやって欲しい、
と思っていた。

苦手な事を無理矢理させるつもりなどなかったし、
自分が楽しい、興味がある、と思えることに
真剣に向き合うのび太の姿が好きだったし、
だから、それでいい、のび太はそのままでいい、
と思っていた。


それなのに、苦手なことばかりの適性検査の受験に
チャレンジしようとしているのび太。





また、ASならではの独特な動きののび太に
スポーツは向かないのだろうな、と思っていた。

しかし、先生方の一言で自信を持ったのび太は
学校代表として陸上選手に選ばれた。

本人も苦手に感じていたことに
わずかな才能を見出し引き出してくれ、
それに応えようと、精一杯、頑張るのび太。






どれひとつ、手を抜く事などない。


100%、いや、200%、気力体力を搾り出す。



見ている方が疲れるほどだ(笑)





ほどほどに、とか、自分のやれる範囲で、とか、
無理しない程度に、とか、

そういう、うまく世渡りする術などは知らない分、
オーバーワークになって息切れする事も多し(笑)


だけど、それものび太の生き方だ。







おやつのチョコレートとビスケットの
二択すら出来ずにパニクってたのび太が、
行く道、全て自ら決めて進んでいる。








発達障害であると診断されたときは
確かにホッとしたものの、

のび太の未来に思いを馳せる時、
真っ暗闇にしか見えないことも多々あった。




しかし、のび太は、その暗闇を、
自分で蹴散らして切り開いて行く。




自分が12歳の頃、
こんなに真剣に生きていただろうか。

真剣になれるものがあっただろうか。






色濃く生きる




陸上の朝練習に嬉々として走っていく後姿に
そんなことを思った朝です。











| 母のつぶやき | コメント(4) |
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