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2009-11-30 (Mon)
「あのさ、中高一貫校って受験してみようかな」


突然、昨日の夕食時、言い出したのび太。



「へ?!そうなの?!」


思わずビックリして声が裏返った。



「あ、いや、まだ、よくわかんないけど」

「いや、いいんだよ、のび太がそこに行きたいって思うなら
 頑張ればいいだけだよ。
 どうして?学校でそういう話があったの?」

「ううん、友達に『のび太くん、中高一貫に行くの?』
 って聞かれたから考えてみようかな~って」




すげー・・・

身近にそういう学校がある、ということは
子供たちの間でもそういう会話がなされるということなんだが、
今年度、開校したばかりの中高一貫校に
そういうものとは無縁だった田舎の純朴な小学生達が
振り回されることが何だか複雑だ。

なければ無いなりに全員が地域の中学校に進学して
全員が高校受験をする、ということが当たり前だったのだ。

いらぬ荒波を立ててくれる中高一貫校め~!!!

と、私の周りの母親達は思うのだ。




「えっと、個人面談の時にC先生に聞いたことがあるよ。
 その時は、先生は『のび太くんの成績だったら心配はない』って
 おっしゃってたけど、入試問題が今、学校でやっているような
 テストとは全然違うから、入試用の勉強はしないといけない、
 って言ってたよ。
 作文とかもあるし、~~を説明しなさい、っていう問題とか
 ちょっとひねった問題が出るらしいよ」


「あ~じゃあ、無理だな~
 作文も説明も苦手だもんな~」


「受験するっていうのは特別な勉強は
 しなければいけない、っていうことだよ。
 先生は6年生の1学期のうちにどうするか、
 決めて勉強した方がいい、っておっしゃってたよ」


「ふ~ん、じゃあ、それまで考える」





そのあと、のび太の大好きな「平成教育学院」を見ていた。

のび太の知識は大人顔負けだ。

京大卒の宇治○くんにも引けを取らない回答率ののび太。

一緒に見ながら答えていた私は、
自分の出来の悪さに我が子の前で恥ずかしくなるぅ~!



しかしだ!

こういう一問一答的なものなら高得点を取れるに違いない。

しかし、作文やら説明文やらひねった問題文を読解するとか
特にのび太の苦手なタイプの入試問題であることは明らかだ。




はぅぅ~・・・


全く、面倒な学校が身近に出来たものだよ~




さてさて、のび太は一年後、どういう心境でいることやら・・・(爆)








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| のび太のあれこれ | コメント(4) |
2009-11-27 (Fri)
旦那の職場は、保険やらも扱うところなので、
病気の方や年配の方、障害のある方と関わることも多々ある。

年配の方が、一日に何度も、
同じことの問い合わせをしてきたり、

知的に障害のある方が窓口にいらして、
ひとしきり、世間話だけしてただ、帰ってしまう人などもいるらしい。



また、幻覚でも見ているかのような心配事を
電話してくる方などもいるとか。





その中で、知的に障害のある方で、
障害者手帳を持っている方などで、

「どうして、自分がこの手帳を持っているのか、
どうして、自分が障害者手当てをもらわなければならないのか」

と、おっしゃる方が多いらしいのだ。



つまり、きちんと自分自身について、
親や周りの人に説明をされていないまま、
40代50代まで来てしまっている、ということなのだ。



確かに昔は障害のある人に対する理解は乏しく、
ましてやこの辺は「田舎」なので
障害があること自体を家族はひた隠していたのかもしれない。



しかし、本人にとってはそれでいいのだろうか?


順番からいって、大抵は子供より親が先に死ぬ。

残された障害のある子供が
自分自身のことを知らないまま、残されて生きることは
幸せなことなのだろうか?


などと、考えてしまうのだ。






そういう私も、いまだに、のび太へのきちんとした告知を
伸ばし伸ばしにしてきて、現在に至る・・・




そろそろかなぁ~


せめて、中学入学までには
なんとかせねば・・・と、


旦那の話しを聞きつつ思うのである。












| 母のつぶやき | コメント(2) |
2009-11-27 (Fri)
考え方、というのは、人それぞれ多々あっていいのだ。

だけど、基本、人様に迷惑をかけないこと、
不快な思いを与えないこと、
社会的ルールを守ること、


これだけは絶対的に人として守らねばいけないと思う。


その上での「自分自身の考えの主張」であるべきだ。




自分を正当化するために誰かを否定したりけなしたりするのは
絶対に間違っている。



人として許せない。






自分さえよければいいのだ、という考えであれば、
その「言葉」は、内に秘めておけばいいのだ。



「言葉」を外に発信している以上、
自らの言葉に責任を持つべきだと思う。









| 母のグチ | コメント(0) |
2009-11-24 (Tue)
ある日、珍しくスーパーの買い物についてきたのび太。

買い物途中で入園前に通っていた子育てサークルで
一緒だったお母さんに会った。


「ほら、のび太、○○ちゃんのお母さんだよ~
ちゃんとご挨拶しなさい」


ぼんやりしているのび太に挨拶をさせた。



久しぶりで、近況報告に花が咲いた。


「のび太くんも大きくなったね~」

などと言われても、のび太はあからさまな不機嫌顔。



さらに、

「お母さん~早くぅ~」

と、いかにもわがままな子供といった感じののび太。



「ちょっと待ってなさいよ~
 ごめんね~ほんとにしつけが出来てなくて~」

あからさまなのび太の仏頂面に申し訳なくなり、
謝りつつ、話をしていた。




○○ちゃんママは良い人。

「ごめんね、のび太くん、またね~」

と、別れた。





のび太のあまりにも幼すぎる態度に、
これはちゃんと言い聞かせないと!

と、その場で小声で叱った。



「のび太、あんな風にあからさまに嫌な顔をしたり
 早く~なんて急かしたりするのは
 ○○ちゃんママに対してとても失礼なんだよ。
 
 言われなくてもお父さんやお母さんの知り合いと会ったら
 ちゃんと挨拶しなくちゃいけないんだし、
 お話しているのを嫌がった顔をして見せたりするのは
 高学年の子としては、ちょっと恥ずかしいことなんだよ」



というと、

ハッとした顔をして、


「そうなんだ~恥ずかしいことなんだね。
 でも、誰かに会うなんて思わなかったから
 何だかどうしたら良いかわかんなくなったし、
 どういう風にしたらいいか、わかんないんだよ~」



そうなのだ。

全く、悪気などないのだ。

これこそがAS的な部分なのかもしれない。







自分が知らない人でも家族の誰かの知り合いには
ちゃんと挨拶をすること

その人と会話をしている時に
話しを遮ったり急かしたりしてはいけない






成長すれば自然と身に付く、と思われがちだが、
やはり少数派は、明らかにこういう部分で
時に、失礼な態度を取ってしまったりする。

それが決して悪気がないことだとしても、
相手のあることだから、いい訳にはならないし、
どんなにそれが障害のせいだったとしても
相手に不快な気持ちにさせることはやはりしてはいけない。





その数日後、ショッピングセンターで
旦那の同僚に会った。


その時は、きちんと帽子を取って

「こんにちは~」

と、にこやかに挨拶していた、のび太でした。





ほら、マナーが理解できれば
こんなにちゃんと挨拶できるし、感じいい子だし(笑)






「そのうち自然に身に付く」とか「成長すればするようになる」とか
そういうのって、親としての責任逃れみたいな気がする。


だから、私はしつこく教え続けるのだ~~~













| 自閉症について思う | コメント(2) |
2009-11-19 (Thu)
昨日のテレビでダウン症の書家の方のお話、
見た方もいらっしゃると思います。


素晴らしい書ですよね。

私は書道について詳しくは何もわからないのですが
文字に魂が宿ってる・・・ような気がしました。



で、あの番組で気になったこと。



「ダウン症なのにこんな能力が・・・」とか、

「ダウン症らしからぬ才能・・・」とかいう表現が多すぎ・・・



こういう表現ってはじめから障害のある方を
下に見ているゆえの言い回しですよね。

「自分より劣っているはずなのに
 自分よりスゴイ字が書ける」なんて!

「自分より知的レベルが低いのに
 人を思いやる気持ちがある」なんて!



少し前に国際的ピアノコンクールで優勝された方で
全盲の方がいらっしゃいましたが、

そのときのニュースも

「全盲のピアニストが優勝」とか

必ず、障害を冠にしてしまうものの見方が
どうもイラッとしてしまうのは
私が変人だからでしょうか?


障害のある方をはじめから、

「障害者は能力が劣っている」とか

「知的に遅れていれば感情も劣っているだろう」

といった、おかしな偏見が世の中にはやっぱりあるんだろうな~




人の人生なんて所詮、プラスマイナスゼロだ!
(と、私は思っている)から

苦手部分があればその分の得意部分もあるのだし、

障害がある人は不幸だと思い込んでいる多数派の人が、
必ず幸せだとは限らない。




以前、記事にしましたが、
あるお寺の住職さんが

「世間では障害者と呼ばれている人たちは
 他の人とは違うものを自ら背負って生まれた
 気高い魂の神様のお子様」

と、おっしゃっていましたが、私もその言葉を信じている。





自分は(自分の家族は)健常で幸せだ、
なんておごり高ぶっている人をみると
吐き気がする。


そして、

障害のある人が~~できるなんて!

と、上から目線で物を言うテレビも正直、うんざりだ。







まあ、少数派の意見ですから、
「え?!何、ひがんでるの?お前の方こそ偏見だよ!」
と思った方は
華麗なるスルーをしてください(笑)









| 世間の目 | コメント(12) |
2009-11-17 (Tue)
今思えば、私は世間の思惑通りには
生きていけない人らしい。

結婚して驚いたのが、
会う人会う人、皆、打ち合わせしたかのように
同じ事を言うのだ。





「早く頑張って子供作ってね」

「30歳前に子供を作らなくちゃね~」




この辺は田舎と言ってもいい土地なので
「女は子供(跡取り=男の子)を産まなくちゃ
 嫁の資格はない」

なんて、信じられないことを言われているお嫁さんも実際にいる。



しかしだ!

誰もが「結婚したら子供が出来て当たり前」と思っていることに
ビックリした。


そうか。そういうものなのか。

というより、私は結婚願望はなかったが
子供だけは欲しいと思っていたから、
「早く子供作って」と言われることには正直、抵抗はなかった。

しかし、半年たっても妊娠の兆候もない私に
さらに世間の口調は露骨になる。


「畑だって耕して肥料を撒いてこそいい野菜が出来る。
 日々の努力が大切だよ~(薄笑)」

「サボってるとすぐ産めない年齢になるよ~(薄笑)」

全然、意味がわからなかったが、笑って受け流すしかなかった。


そうこうしているうちに1年が過ぎた頃、
私の腹には、子供、ではなく、
でっかい腫瘍を抱えていることがわかった。

子宮内膜症が原因の卵巣膿腫。

あまりにでかかったため、全身麻酔の開腹手術だった。





そして、気が付くと、あれほどやんややんやと言われ続けた 
「子供」「妊娠」「出産」と言った言葉を
やはり皆、打ち合わせをしたかのように
誰一人、言うものがいなくなった。




そうか。

私はあんな手術もしちゃったし、
誰も私に子供を期待しなくなったんだ。

そう思った。

それはそれで楽だった。

私は仕事を愛していたし、毎日、仕事が楽しかったし、
一生、自分の子供は出来なくても
子供達と大好きな音楽で関わっていけるなら
そういう人生もいいじゃん。

旦那と一緒に毎週、釣りに行ってボ~っとして
夏には仲間とキャンプなんかして・・・

そういう人生だって悪くない。




そう思ったとたんに、妊娠した。

妊娠すれば仕事をやめると思っている人が多いことにも驚いた。

しかし、私はつわりがひどくても、
午前中に点滴を打ち、午後から仕事に行った。

耐えられなくて運転中に路肩に嘔吐しつつも、
仕事中は気持ち悪さも半減していた。


産んでからも世間の予想に反して
のび太が2ヶ月に入ってすぐ、仕事に復帰した。

私が特別なクラスを受け持っていて
他にこのクラスを指導できる人が身近にいないため、
資格のない先生にムリヤリお願いしていた、
と言うのも理由のひとつだが、
とにかく仕事を休みたくなかった。

子供が3歳になるまでは・・・
いえ、せめて1歳になるまででもいいから
そばにいてあげなさい。



その後、諸事情で退職せざるを得なくなり
泣く泣く仕事をやめた。

本当に本当に、悲しくて、泣いた。


子育てに専念していると、
子育てママを放って置かない世間があった。

ちょっと外に出れば、

何ヶ月?母乳?ミルク?布オムツ?紙おむつ?
夜泣きは?離乳食は?
あら、おしゃぶりなんかさせてダメ!
あら、こんなに薄着じゃダメ!
あら、まだ首が据わらないの?
あら、まだお話できないの?
あら、まだできないの?
あら、まだ?
あらら~?





子育てと言うものは、何でも早くできた方が、
「いい子」と言われ「ちゃんと子育てしている母親」と見なされるらしい。



そのどちらにも当てはまらなかった、私とのび太。




そうこうしているうちに、
なぁ~んにも教えていないのに、
数字、文字、アルファベット、記号、標識などを、
勝手に覚えたのび太。

「おおお!すごいじゃん!のび太~!
 オムツ外れるのは遅かったし、まだ喋れないけど、
 何かでプラスマイナスゼロになるってことだよね~」

と、思っていたら、意に反して、

「ええ?!こんなに小さいうちに勉強ばっかりさせてるなんて
 カワイソウ~!!!」



・・・・・。


あれ?

他の子より早く文字を覚えたりしたのに
あんまり誉められないのか?

すごいね~、とは言う人も
冷ややかな視線でのび太を見る。


「それって、『やっかみ』なんだよ」と友人に言われ、

へぇ~そうか、羨ましがられているんだ、
だけど、自分の子に出来ないことは否定されるんだ・・・


人間の心理とは複雑で難しいものだ~



世間の思惑って、自分と同じように段取りを踏んで
生きていくのが「普通」だと思っている(ようだ)

で、自分以上に優れているものは、
あることないことの難癖をつけて否定したくなるものらしい。



「のび太くん、歴史とか漢字とかスゴイ知識だよね~(薄笑)」

と、否定的な雰囲気で取ってつけたように
気持ちのない誉め言葉を吐く人たちに

「のび太、実は発達障害があるんですよ」

なぁ~んて言ったら、どう反応するんだろうか?






| 母のグチ | コメント(12) |
2009-11-16 (Mon)
意思や状況を説明する、ということは
本当に難しい。

それも簡潔に相手にわかりやすい言葉で・・・

となってくると、さらに高度になる。



このブログをいつも読んでくださっている方はわかると思うが、
私も、簡潔に短く伝わりやすいように・・・

というのがとても苦手だ。


どうしても回りくどくなるし、短く簡潔に、
といっても、どこまで削ったらいいのか、
削ったことで相手に伝わらないかも・・・?!

なんて考えると、どんどん長ったらしい文章になる(笑)




のび太は、自分の話し言葉が相手に伝わりにくい、
という事を、自覚している。

これは私のせいでもある。

私の耳が瞬時に話し言葉を聞き取れないことや、
意識の切り替えが出来ずに、

「え?何?」

などと、一度ならずも二度も三度も聞き返したりしてしまう。

そうすると「もういい・・・」と話すことを止めてしまったり。



それとは別に、私たちの会話は、おかしいらしい。

暗号のような他人には通じない
「言葉」を使っている(と言われるが自覚はない)

そして、それぞれ会話が盛り上がっているようで
一人一人が自分勝手に会話を違う世界に飛ばしている、らしい。

(急に話題が違う方向へ飛ぶ、ということらしい)





でも、最近、同じような少数派の方のブログを読んでいると

「う~ん・・・なんのこっちゃ?!」と

全く理解できない内容のたとえ話とかで綴られていたりする記事と
出会ったりすることがあるが、

まあ、不特定多数の人に向けて書いているわけではない、
自分で理解できていればいいだけの記事、


という意識のブログもあるだろうからいいのだけど、


はあ・・・確かにASっぽいなぁ~などと、思ったりし、

で、ああ、もしかしたら私も記事も他の方から見たら
こんな風に「なんのこっちゃ?!」って感じに
捉えられてるかもなぁ~などと、
ちょっと反省もしてみたりするのだ。


よく、専門的な職種の方たちのプレゼンとかで、
専門用語とか、一部分だけ英語に変換したりの説明で、
一般人が聞いたら全く理解不能なものがあるらしいが、
そういうプレゼンはダメ、なのだそうだ。


専門知識がなくても一般市民でも理解できるように
専門的な事柄を説明できるのが
「良いプレゼン」らしい。



う~ん・・・

だから、きっと、私を含むASな方々のブログって
多数派の人にきちんとは伝わっていないのかも・・・?!

なぁ~んて思ったのであります。









| 母のつぶやき | コメント(0) |
2009-11-16 (Mon)
学年閉鎖も解除され、今日から普通に登校・・・

というか、のび太は水曜日の時点で、
元気いっぱいに回復していて、
暇をもてあましていたので(笑)
親としても正直、「やっと、行ってくれた~」って感じ(笑)


今朝、のび太はあれこれ心配していた。


「そういえば図書委員の○○の仕事はどうなってるかな~」

とか、

「一人勉強、全然やってなかったけど、いいのかな~?」

とか、

まあ、どーでもいいようなことをグチグチ心配するのび太。


「だって、学年閉鎖でみんな休んでいたんだから
 なんだかんだ心配しなくても平気だよ。
 委員会の仕事は6年生が代わりにするだろうし、
 一人勉強もみんな具合悪くて休みになったんだから
 別にしてなくていいでしょ~」


「あ、そっか。
 そういう風に誰かに言ってもらえると、安心」


そういって、小走りで登校した。



今の、のび太の心配事は、
一週間の学年閉鎖で休みだった分の授業が

「冬休みに振り替えされたらサイアク~」

ということ(笑)




何はともあれ、「いつもの毎日」に戻れたことが
私としては一番、ホッとしているところでもあります~




| のび太のあれこれ | コメント(0) |
2009-11-13 (Fri)
発達に凹凸がある・・・

得意なこと、不得意なことの差が激しい・・・



というのが自閉症の特長としてよく言われます。


療育に通っていた時に、ある先生が



「この子たちのデコボコの発達の凸部分を凹部分に
 埋めてあげるように、土地をならすように
 してあげたいと思っています。」



・・・・・ん?


じゃあ、凸の突出した「できる」部分を押さえ込んで
凹のへこみ部分に埋めてあげる、っていうこと?


う~ん、それって、言うのは簡単だけどパズルじゃあるまいし、
こちらの思い通りに育て上げる、っていうのも
その子のありのままの姿を否定してるみたいだし、

何より、突出した部分をならす、っていうところが
引っかかるんだけど・・・・




この子たちの突出した部分は決してマイナス部分ではない。

多数派より飛びぬけた感覚を認めて欲しいのだ。


敏感すぎる、その突出した部分を押さえつけるということは
この子たちの存在を否定しているのと同じ気がする。





私はのび太に「普通になって欲しい」とか
多数派の感覚を押し付けるつもりはない。

今まで、のび太に対して対処してきたことは
のび太が「生きづらい」と感じる部分を
「生き易く」するために、いろんなことを教えてきたつもりだ。


決して、みんなと同じようになって欲しい、と
思ったことは、ない。


勉強に関しても、国語の読解力が全くダメなのび太だが
それを何とかしよう、と思ったことはないし、

興味のある勉強に関しては自分で勝手に調べて
吸収するのび太なので

「勉強は先生との約束の宿題だけは嫌でもやること、
 あとは好きな勉強だけ、頑張ればいい」

と言っている。



スポーツも少数派独特のぎこちない動きも手伝って、
決して得意なほうではない。

縄跳びも鉄棒も水泳も自転車に乗るのも周りの子より遅かった。


でも、ムリヤリ教えたことはない。

それどころか、私たちは

「縄跳びも鉄棒も水泳も自転車も
 大人になって出来ないからといって損をすることはない。
 出来なくたって平気。
 人には得手不得手があるんだし、
 のび太には他に素晴らしいところがあるから
 そんなもの、出来なくたっていい」

と、言ってきた(笑)

のび太自身が「出来なくて悔しい」と人一倍練習して
全て会得していったのだ。




自分で「凹部分をなんとかしたい」と思えば
いつでも手助けする。

だけど、親の思いだけで凹部分を無理に埋めよう、とか
平均的な人間にさせよう、とか、
普通になって欲しい、とか、

そういうのって、なんだか、違う気がする。




得手不得手の差があったらダメなのか?


凹凸があっていいじゃん。



世の中にみんな同じ平均的な人間ばかりがいたら、
その方がよっぽど、キモチワルイ。








| 我が家の自閉症サポート | コメント(8) |
2009-11-11 (Wed)
のび太は反抗したことがない。

たとえ、私の勘違いで怒られていたとしても、
口答えひとつしない。


あとから、私のほうが

「あ・・・あれって、本当はのび太、~~だったのかな?」

と、私がのび太の過ちじゃないことに気づいて、


「のび太、あれって~~だったの?
 ごめんね、お母さん、勘違いして怒っちゃって・・・」

と言うと、

「・・・うん・・・(涙)」

と号泣する。



きっときっと、実は私の勘違いや思い違いで
のび太をきつく叱ってきたことがたくさんあったに違いない。


それでも、のび太は決して反抗しないし、
決して「お母さんのバカ!」と大泣きしたりしないのだ。





「のび太、あのね、お母さんってオッチョコチョイでしょ?
 しょっちゅう、間違ったり忘れたりするの、知ってるでしょ?
 だから、お母さんが間違っていたりしたら、
 『それは間違いだよ』って教えてね。
 お母さんの勘違いでのび太のことを叱っちゃったりした時も
 ちゃんと教えて欲しいんだ。
 そういう時はお母さん、ちゃんとのび太に謝るから」



と、念を押している。




しかし・・・

のび太は、とりあえず、
自分が謝っておけば事は丸く収まるさ・・・

と思っているのか・・・



強い圧力に攻撃されれば、全て自分の胸に収めて
相手の過ちさえも自分のものとして受け入れてしまうのび太。



ダメだ。



例えば、学校で教師からあらぬ疑いをかけられて

「のび太がやったんだろう!」と強く叱責されたら、

「はい、ゴメンナサイ」と謝ってしまいそうなのび太。




で、そういったことをのび太に言ってみた。

「何でもかんでも、簡単に謝っちゃダメだよ。
 のび太は悪くないのに言いがかりをつける人もいるんだよ。
 すぐに簡単に謝ってしまったら
 『やっぱりのび太が悪いんだ』ってことにさせられることも
 あるかもしれないんだよ」




「だって、ボクはどういうことがダメなことなのか、
 いいことなのか、わかんないんだもん。
 自分は『ダメじゃない』と思っていても、『ダメだ』って
 言われることもあるし、
 『ダメなこと』って思ってることを誰かが普通にしていると
 『あれ、それってやってもいいことなんだ~』って
 すぐ、思って、僕がやると、叱られちゃったりするし、
 どうしたらいいか、わかんないんだよ~
 だから、叱られたらまず『ゴメンナサイ』って
 謝っておいたほうがいいんだと思って」

(のび太はこんなに流暢に喋っていません。
 こういう風なことを言っていたのを要約しました)




世の中のルールを自分なりに理解して、
「これはいけないこと」と思っていることを、
誰かが人の目をかいくぐり、悪びれもせずやっている、

それを目にした時に、のび太は
自分の中のルールが間違っていたと判断してしまう。

要するに自分に自信がないし、流されやすいのだ。



のび太は基本的に世の中のルールは理解している(ようだ)

ただ、たとえ間違っていることでも
強く説得されたり、強く言われることで
簡単に相手の強い言葉にうなづいてしまうのだ。


だから、例えば、誤認逮捕されたとして、
「お前がやったんだろう!」と
見に覚えのないことでも強く言われることで
簡単に「はい、やりました」と、言いかねない。




あと、心配しているのは怪しげな洗脳だ。

雰囲気に惑わされて、あれこれ言いくるめられたら
簡単に洗脳されてしまいかねない。




時々、

「犯人には軽度の発達障害がある」

などというニュースを目にするが、
自供内容などは真実なのか、心配してしまう。




それに、大変な事件を起こした某カルト教団などにも
高学歴で頭脳明晰な信者が多数いたとも言うし、
そういう中に軽度発達障害の人もいるのかもしれない、

なんて考えると、親として切なくなってくる。




そういったものから、のび太を守るためにも
本当に正しいことを自信を持って言える力や、
間違った権力や言葉の暴力に屈しない強さを表現できるように
導いてあげないとな~


などと、考えるのだ。


だから、「反抗」できる、ということは、
ちゃんと自分を主張できる、ということなのだから、
生きていく上ではある程度、大切なことなんだ、
なんて思う。














<報告>


のび太の新型インフルエンザ。


高熱で苦しみました。
起き上がれず、トイレにも這って行くほどでしたが、
発熱から一日半過ぎたら、急に平熱に下がり、
あっという間に回復に向かっております。

今朝はすっかり食事も普通に食べ、
暇をもてあましております(笑)


今まで、のび太経由のインフルエンザに100%罹っていた私。

今回は、マスク、手洗いうがい消毒、の完全防備のせいか、
いまだにうつっていないようです。


他のお宅でも、子供が罹っても親が余り罹っていない、という
周りの状況です。

不思議なインフルエンザです。


ただ、すご~~~く具合悪いそうですよ。

皆様もお気をつけくださいね。









| 自閉症について思う | コメント(8) |
2009-11-09 (Mon)
のび太、流行に乗りました…



新型インフルエンザです(泣)



市内の学校が次々と学校・学年閉鎖になる中、
のび太小学校は頑張っていたのに、


寄りによって、5年生学年閉鎖です(泣)



しかし、あっという間に広がるんですな~


先週末、「○くんインフルエンザらしいよ」

と、聞いたばかり。


学校に欠席連絡したら

「5年☆組発熱での欠席連絡が殺到してますから
診察後にまた連絡を下さい」と。


で、病院に行こうと言うときに

クラス連絡網で学年閉鎖の連絡が…




のび太は食欲はあるけど
とにかく、だるくて起きていられない(爆)


はぅぅぅ…



担任のC先生にその旨を連絡したら


「教室がガラーンとして悲しいです~
ご家族の皆さんもお気をつけて下さいね~」





あ…そうね…


「何せすごい感染力ですから」



そうだよね…(汗)




と言うわけで、皆様もお気をつけて~



あーれー!
| 母のグチ |
2009-11-06 (Fri)
ふと、思い出したことがある。


のび太は幼稚園に入園するまで
絵本を見る(読む)ということが出来なかった。

出来なかった、というか、「絵本」というものを
「見る」ということの意味がわからなかったのかもしれない。




「情操教育のためにも読み聞かせをしましょう」
なぁ~んて言われるし、

同い年の子たちを見ると、

「ママァ~この絵本、読んで~」と絵本を持ってきてねだる。

で、ちゃんと最後まで聞いて、さらに、

「~~したの?」「これ、かわいいね」なんて感想まで話してる!






へえ、どれどれ、やってみようかな~なんて、

のび太を膝に乗せて絵本を開こうとしても・・・

もちろん座っちゃいないし、本をぐちゃぐちゃにめくろうとして
破いちゃったり、本を投げ捨てたり・・・


ああ、やっぱりのび太には無理だよね・・・



ところが幼稚園に入園して数週間、
園経由で毎月購入する絵本を持って帰ってきた。

忘れもしないチャイルドブックの「おかしなかくれんぼ」という絵本。



そして、のび太は

「お母さん、手をお膝にして静かに聞いてね」

と言い、絵本を私に向けて読み始めた。


「きょうは みんなで かくれんぼ
 じゃんけんぽん くまさんが おに」


たどたどしいけど迷いなく流暢に読むのび太。


いや、「読んだ」のではなく「覚えてきた文を言い出した」のだ。



のび太は当時、すでに文字を読めていた。

しかし、のび太にとっての文字はその頃は「記号」で、
「あ」は「あ」という発音をする記号でしかなかった。

文章を読む、というよりは、記号を当てる、といった感じ。

「かくれんぼ」も「かくれんぼ」と読むのではなく、

他の子のように「か、く、れ、ん、ぼ」と、一文字ずつ読むのでもなく、

「か・く・れ・ん・ぼ」といったイメージでしかなかった。


それを、スラスラと、ところどころ、確認するように
絵本に目をやることはあったが
ほぼ、一気に読み聞かせをしてくれたのだ!!!




「・・・おしまい・・・」


と、まるで先生の読み聞かせの抑揚まで真似るように
やさしい言い回しで終わった、初めての読み聞かせ。




「すごいね~のび太!上手に読めたね~
 とっても面白い本だったよ~
 のび太に絵本を読んでもらってうれしいなぁ~!!!」

泣きそうになりながら拍手をした。



「先生が、『お母さんに読んでね』って言ったの」




???「お母さんに読んでね」?って???

幼稚園からもらってきたお手紙を見ると、

「今日、チャイルドブックを渡しました。
 おうちでもお子さんに読み聞かせをしてあげてください」




のび太らしい。

先生はおそらく、いや、絶対に

「お母さんにも絵本を読んでもらってね」と言ったはずだ。


でも、のび太には「お母さんに読んでね」に
変換されて入力されたのだ(笑)



しかし、スゴイ!!!

たった一度、先生に読み聞かせしてもらった本を、
ほぼ丸暗記で覚えて、読み聞かせをしてくれたのび太。


今考えると、驚異だ。


これまで私には一度も読み聞かせをさせてくれなかったのび太。

だから、この時が人生初の読み聞かせ体験だったはず。


よほど、印象的だったに違いない。






「じゃあ、今度はお母さんが読み聞かせしてあげるね」

と、念願の読み聞かせをした。


嬉しかったよ。



それ以来、「これ読んで」「次はこれ読んで」・・・

と、家で読まれることなく埃をかぶっていた絵本たちが
やっと日の目を見ることになった。

それも、しつこいくらい、何度も何度も・・・



私も家にある全ての本を暗記してしまうくらい、
寝言でも読めるかも知れないくらい(笑)
たくさんの絵本を読み聞かせた。


小学校2年生くらいまでは、寝る前に必ず一冊、
読み聞かせをしてから寝せていた。


正直、だんだんめんどくさくなっていった(笑)



だけど、読み聞かせって、いいよね。

今でも「はらぺこあおむし」とか、暗唱できるし(笑)





もう、「この本、読んで~」なんて言ってくれなくなっちゃったのが
何だか、寂しいのだ。
| 幼稚園の頃 | コメント(2) |
2009-11-04 (Wed)
人によって、物事の捉え方というのは様々で、
「どう感じるか」だから、
「その感じ方は間違いだ」とか「そんな風に捉えるのはおかしい」
ということはないと基本的には思うのだが・・・



のび太の障害のことも知っている知り合いの人が
子供の発達のことを心配していて
のび太のことも知っていたからだと思うが私に
いろいろ相談していた。

「思い切って保健センターの発達相談、受けてみるよ」

と、やっと重い腰を上げようとしていた。

保健センターの発達相談は、精神科医によるものではないので
確定的な診断はされないのだが、そういう場に行くこと自体が
息子の「非・多数派」を認めているようで躊躇する、
と、言っていた知り合い。


最悪の事態の時は、なぐさめてね~」


と冗談めかした言い方で帰っていった。





「最悪の事態」って、一体、どういう事態だ?





彼女が帰ってから、う~ん・・・と、しばらく考えた。


「子供が落ち着きなくなり、ちゃんと相談できなかった時」
とか?


いやいや、何言ってんの?違うよ!

とは、たまたま遊びに来た私の妹の意見では、

「『のび太みたいに発達障害の診断が出たらどうしよう』
 ってことに決まってるでしょ~」




ああ!そういうことなのか?!

これだから私はやはり多数派の思考は出来ないのだ。

なにせ、何度も記事にしているのでご存知の方も多いと思うが
私はのび太が正式に診断された時、
ホッとしすぎてケーキを買ってルンルンで帰った母なのだ。

こんなヤツに多数派の母親の気持ちはやはり
到底、理解できないのかもしれない。


しかし、自閉症の息子を持つ私に、

「最悪の事態(=障害を診断される)の時は、なぐさめて」

って言える多数派の人間も、
相手の気持ちを汲み取れない人と言っていいのではないですか~?





そういえば思い出した。

療育仲間のあるお母さんが言っていた。

(彼女は関東地方から旦那様の転勤で引っ越してきた。
 子供が診断されたのは関東地方の病院らしい)

「私なんか、息子が診断された時、児童精神科医に
 『お気の毒ですが、息子さんは自閉症です』
 って、言われたんだよ~!
 その時は、『ハイハイ』って聞いてたけど後から思い返して
 『え?!お気の毒ですが、って精神科医が言うか~?!
 って、頭にきっちゃったよ!」




まあ、子供が自閉症と診断されたからといって、
母親全員が、私みたいに
ルンルンでケーキを買って帰るお気楽母だ、とは言わない。

ショックで寝込んだり、自分を責めたり、思い悩んで苦しむ人が
多いのだと思う。

そして、それが多数派の母親であるのだとも思う。

子供に障害がある、ということが「最悪の事態」と思い、
「お気の毒」と思われるのが
一般的なのかもしれない。


が、「最悪の事態」で「お気の毒」という言葉を
私たちに投げかけることは失礼に当たらないのかなあ、


などと、思ったりしてしまう。



障害児が授かって「最悪の事態」ですね、と面と向かって言う人、

「お気の毒ですが障害がありますよ」という医者、



そういう気持ちこそが、「最悪」であり、
そんな風にしか表現できない人こそが「お気の毒」ですな、



と、思っちゃう私の考えはどうやら少数派なので
賛同されない意見なのかもしれないけどね。














| 母のグチ | コメント(6) |
2009-11-02 (Mon)
「私が診断に至るまで」シリーズに対して

メールや拍手コメントを下さった方々、

ありがとうございます。


今、リアル生活が忙しいのでパソコンに向かえませんが

水曜日以降に順次、お返事させて頂きたいと思っております。



内容が重すぎたせいで
皆さんに私の精神状態を心配させてしまいまして
申し訳ありませんでした。


が、至って精神的にも平穏で、グダグダないつも通りの私です♪

やっぱり、オモシロのび太とオモシロダンナの存在は
ありがたいですな。


この二人といると
笑っちまうことばかりですから~



こちらは、急に冬が来ました~

メッチャ寒いし…(泣)


インフルも猛威を振るっております。


皆さん、身も心も温かくしてお過ごし下さいね。
| 母のつぶやき |
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