2009-10-29 (Thu)
<はじめに、お詫び>

昨日、アップした記事(~受診~)の前のふたつの記事を
アップし忘れていました。

「急に話が飛んだ~?」と思いつつ、
読まれた方も多いと思います。


改めて飛ばした記事をアップしましたので、
そちらから読んでくださると辻褄が合うと思います。


相変わらずマヌケでゴメンナサイ(汗)



まとめて読みたい方は「カテゴリー」に
「私が診断に至るまで」という項目を設けました。

こちら→私が診断に至るまで

こちらを逆から辿っていただければ。









主治医は、こうも言った。

「のび太くんを見ているとね、
 こういう子にしては珍しく、『人に対して』笑顔を向けるんだよね。
 きっと、大事に愛されて育てられているんだと思います。
 それは、母親であるあなたの関わりが大きいんですよ」


「のび太くんのことに関しても、
 あなたはきちんとした診断名を望みましたよね。
 わからないままでモヤモヤしているより、はっきり聞きたい。
 あなたは自分に関しても知りたいですか?」


そして、私は答えた。

「自分ではおそらく、のび太とあまりにも似過ぎているので
 だいたい想像は付いています。
 だけど、ハッキリした診断名をつけられるのであれば
 検査をしていただきたい」



そして、様々な問診とWAIS-Rの検査の結果、

私はアスペルガー症候群と診断された。

(詳しい検査結果は記載しません。
 ただ、算数問題・数唱・絵画完成が異常に低かったのには
 笑ってしまうほどでした)




「検査に関して言えば、アスペルガーと言って間違いないでしょう。
 ただ、普通に会話している内容から行くと
 あなたにはアスペルガーの雰囲気が感じられない。
 ところどころにあなたが『会話』というものに対して
 緊張感を持っている感じが見受けられて、
 その緊張感は確かにアスペ特有のものを感じることはありますが
 おそらくあなたは普段、他人と接する時に
 アスペ特有の、健常者が感じる「不思議さ」や「違和感」を
 発することはないのでしょう。
 それは、あなたのこれまでの生い立ちが
 そうさせているのだと思います。
 自分の本来の姿を押し殺して人と接することが当たり前、
 そうしなければいけない、という自己否定の上に
 今のあなたが成り立っている。
 だけど、それは決して「本来のあなたではない」ということではなく
 そうして生きてきたあなたの歴史は間違っていませんよ。
 これがあなたの「生き方」です。
 生まれる前から決まっている「宿命」とは違う、
 自分で歩いて築いてきた「自己」です。
 人として決して間違いではないし、今のあなたは素敵ですよ。」

 



私は、「自分は人間として間違った考えのダメな人間」と
思い続けていた。

しかし、この主治医の言葉で、
生まれてからこれまでの自己否定感が
洗い流されてゆくようだった。



そして、主治医は続けた。


「この後のあなたの人生の課題は『受け入れる』ことです。
 精神的に辛い幼少時代だった、
 お母さんと気持ちの上では縁を切った、
 だけど、あなたがのび太くんから絶縁宣言されることを
 想像してみてください。
 
 そして、もうひとつ、想像して欲しいことがあります。

 あなたもアスペルガー、のび太くんもアスペルガー、
 ・・・ということは、あなたのお母さんもアスペルガーである、
 ということが想像できませんか?

 そして、あなたのお母さんも、その親から
 あなたと同じように精神的に抑圧されて育てられてきた、

 ・・・これは、あくまでも私の想像ですが。

 あなたの話を聞いていると、あなたのお母さんも
 アスペルガーにとても近い方のように感じるからです。

 そして、まだ、医学的には解明されてはいませんが
 発達障害は遺伝率が高いのも事実です。

 そして、昔はこういう性格のゆがみを障害とは
 誰も捉えていなかったために、
 あなたの家族のように精神的虐待が世代間連鎖される、
 というケースは今、とても多く見受けられます。

 悲しいことですが、現代、やっと
 発達障害が解明されてきたということは
 こういう悲しい連鎖を、早く断ち切ってあげねばならない、
 という、医学とはまた別の何か大きな運命的な流れも
 きっとあると思うんです。

 だから、私は、今更・・・と、思う方もいらっしゃるけど、
 私のところに診察に来た子の親で
 精神的に不安定感を感じる方には検査を進めているんです。

 それは親を否定するわけでもなく、遺伝を恨むためでもなく、
 
 『誰も間違っていない、
 ただ、辛い出来事は後世に伝えてはいけない
 親だって愛されたい、じゃあ自分がして欲しかったように
 我が子を愛していきましょう』

 ということを、伝えたいだけです。」




といったようなことを、おっしゃってくださった。





目からうろこだった。

そして、やはり、想像力の欠如したアスペであった。


母親もアスペ・・・


なるほど、そう考えればなんだか全てのことが
理解できるし、辻褄が合う。


確かに、母方の祖父はアスペ色が濃い。





やっと、この年齢になっていろんなことが見えてきた。

自分に疑問を持ったら行動してみるべきなのだ。



そして、「受け入れる」ことがこれからの私の課題、
と、主治医がおっしゃったことは、

確かに私の課題だと思っている。


それは、我が子ののび太に対する「受け入れ」だけではなく、

母親に対するものでもあるのだろう。





正直言って、精神的にハードルが高い課題だ。

しかし、絶対にクリアしなければいけない課題なのかもしれない。








こんな、お恥ずかしい過去をさらしていいものか・・・?

と、思いつつ記事にしてしまいました。



書くことで、改めて自分を知ることにもなり、
正直言って、書いて見なければ自分の反応もわからない、

と思って、恐る恐るアップしてみました。







私のように幼い頃の記憶で苦しんでいる方の
参考になれば、とも思っております。







個人的で重い内容の長い連載に
お付き合いいただき、ありがとうございました。



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| 私が診断に至るまで |
2009-10-28 (Wed)
のび太の検査結果を聞きに
一人で児童精神科に出向いたある日、

私は、検査結果を聞いたあと、

のび太の子育ての不安を早口で饒舌に大声で喋りだしたらしい。
(後から、主治医にこのときのことを、そう言われた。
 自分では記憶にないのだ)

「自分が、自分の母親と同じようにのび太に
 接してしまうのが恐ろしい。
 ふとした時に、自分がされて嫌だったこと、
 言われて傷ついたことなどを、平気でしてしまう。
 自分は意思を持って生きることを否定されて育てられた。
 それと同じことをしてしまうかもしれない。
 私にのび太は育てられない。」

と、言うようなことを話した(のは何となく覚えている)





おそらく、そのときの私の行動、言動は異常だったのだろう。



「○月○日○時、予約を入れてあげるから、
 その時に、もっと詳しく話して欲しい」

と、のび太の主治医は私の診断の予約を入れた。

今思えば、のび太の主治医はあくまでも児童精神科医で、
予約待ち半年で県内外から受診者が来る、多忙な医者だ。

それなのに、2週間後の午後の1時間を取ってくださったのは
きっと、それほど私にただならぬ「何か」を感じたのだろう。




そして、私は?~?で書いたようなことを話した。

時には号泣しながら、時には怒りに震えながら。



そして、一通り、話し終えると、主治医は静かに言った。


「今まで、よく耐えてきましたね。
 あなたは、何も間違っていませんよ。
 これまでも、そして、
 これからも、あなたに間違いはないはずです。」



私は、初めて他人に自分の生き方を認めてもらった。

今まで旦那だけが唯一、私を認めてくれる人だったが、

否定され続けた過去を、そして、
不安で踏み出せないでいた見えないはずの未来も
丸ごと認めてもらって、

私は、再び号泣した。
| 私が診断に至るまで |
2009-10-28 (Wed)
そして、のび太は
「アスペルガー症候群」「高機能自閉症」「広汎性発達障害」と
診断されるのだ。


それは、のび太の特性を知るのと同時に
自分自身の特性もそこに見えてきた。



それは絡まって団子状態になった糸を
ゆっくりほぐしていくことで、やっとそれが
一本のしっかりした糸であったことを証明するかのようだ。

一本の糸は色あせてもいない、よれてもいない、
間違いなくそこに存在する糸である。

私ものび太も確かな一本の糸だった。




しかし、「孫に障害がある」ということは
自分のシナリオにない私の母親は、絶対に信じなかった。


「障害じゃないよ。私の知っている子供とのび太は
 何も変わらない。子供なんてみんなこういうもの。
 絶対に障害なんてありえないから大丈夫」

と言い張り、接し方は余計におかしなことになっていった。



その様子は書けない。怖い。

つまり、のび太のこだわりなどを許さないものだ。

またある時は、逆にこだわりを余計に刺激させるように
仕向けたり、

じっと座っていることを強要したり、

私にとってものび太にとっても恐ろしいものへと変貌していくのだ。



私はのび太の障害についての文献や
わかりやすく書いた文書や
のび太の特長と対処法を記したものを母親に渡した。

しかし、受け入れるということは、ない。

あくまでも自分の理想どおり、行動して話して生きて欲しい、
という自分のシナリオを押し付けることを止めなかった。



自分だけならまだしも、
のび太に私と同じ思いをさせることは絶対に許せない。



私は、母親に対して絶縁状を書いた。





「もう、私たち家族に対して、関わらないで欲しい。
 私たち家族は、あなたの思い通りには絶対にならない。
 もう、顔も見ることもない、声を聞くことも無いでしょう。」





しかし、私はこれまでの経験で知っている。

こういうことを私が主張すれば
母親は狂ってしまうことを。




だけど、それでもいい。





しかし、その絶縁状を出してから、
私の精神の歯車が狂ってきた。



| 私が診断に至るまで |
2009-10-28 (Wed)
私は、もう、母親とは縁を切ろうと思った。

電話をナンバーディスプレイに変えて、
実家からの電話には極力、出ないようにした。


そんなことはお構いなしだった。

急に尋ねてきては、私の子育て、生活に関して
あれこれ難癖をつけた。




インフルエンザで40度の熱を出し寝ているのび太を
ムリヤリ揺すり起こして、

「せっかく、おばあちゃんが来たんだから起きて~」




家の前の砂利道で転んで額に傷を作った時も

「ママがちゃんと見てないからこんなことになったのよ。
 ママに傷つけられたのと同じよ」


「おばあちゃんちの子になったらいいのに。
 こんな生活してたらダメな子になる」




また、多動で落ち着いているはずのないのび太を
ムリヤリ自分の傍らに座らせようとして

「ねえ、おばあちゃんとゆっくりお話しよう。
 おばあちゃんがお話聞かせてあげるからね~」

と、夢みたいなことを言うが、
のび太はお構いなしに走り回ると

「ちょっと、どうしてのび太は落ち着きないの?
 やっぱり3ヶ月で保育園に預けて働いたりしたから
 気持ちが落ち着かない子になっちゃんたんだね。
 取り返しの付かないことを私の大事な孫に
 してくれたよね、あなたは・・・」






まあ、ここに記したことはまだ笑い話程度だ。



母親は私が幼かった時の様に、
いや、それ以上に、のび太に自分の気持ちや
自分の勝手な理想を押し付けて
思い通りの孫に育て上げようと接した。

それは、私にフラッシュバックを起こさせた。


私が幼かった時、「精神的な死」を覚悟したあの頃、

そこまで覚悟させた母親の勝手な思い込みの刷り込みが
今度はのび太に矛先が向けられた。


ダメ!のび太にだけは絶対にそんなことはさせない!
という気持ちと、

自分の幼い頃の「精神的な死」に至るまでのフラッシュバックとで
私は狂いかけていた。




その頃、のび太の発達の疑問を調べるうちに
「発達障害」「アスペルガー症候群」というものに
自分のルーツが見えてきたのだ。








| 私が診断に至るまで |
2009-10-27 (Tue)
結婚したらしたで、

「子供はまだか」と、急かす母親。

結婚一年で子宮内膜症が原因の卵巣膿腫の手術をした。


「孫は授からないんだ」と泣く母親。


私の体をいたわることなく、
「自分の」孫が出来ないかもしれないことにショックを受けていた。



その後も、とにかく「孫が欲しい」という自分の欲求だけを
ガンガンぶつけてくる母親。



母親から分厚い手紙が届いた。

そこには、友人達はみんな孫が出来て、
会えば必ず孫の話で盛り上がる。
私だけその会話についていけない。
羨ましい。どうして私には孫がいないの?
早く孫が欲しい・・・云々・・・

と、自分の「孫が欲しい」気持ちだけを
延々と綴っていた。


電話がくれば「ちゃんと子作りはしているのか?」

などと、自分の娘に聞く母親。



子宮内膜症で卵巣膿腫の手術をし、
子供は出来づらいと言われた娘に対して、
ここまでしつこく子供を要求する母親が他にいたら教えて欲しい。




そうこうしているうちに、妊娠した。

電話で母親に妊娠したことを伝えると、母親は絶句した。

「嬉しい。やっと孫が出来るんだね。
 だって、私だけなんだよ、孫がいないのは。
 本当に今までどんな思いでいたと思う?」

ここまで来ても、「自分」の気持ちだけだった。




出産してからというものはもっと、「自分の気持ち」を
主張してくるようになるのだ。


ある日、母親から電話。

電話に出ると「お母さんです」と言ったきり、黙ったままだ。

???あれ?どうしたの?

「もしもし」と言うと「はい」と言う母親。

そしてまた沈黙が続く。


「ねえ、どうしたの?何?」と私が言うと、

「せっかくこちらが電話かけてやってるのに!
 子育てしている若い母親って、親が電話かけると
 いっぱい話したいことがあるらしいのに、
 どうしてあなたは話してくれないのよっ!!!」

すごい剣幕で怒鳴られ、受話器を激しく切られた。


え?え?どういうこと?

だって電話をかけてきたのは母親の方だから
そちらが何か用事があるんじゃないのか?

かけてもらった私のほうが
何か話題を振らなければいけないものなのか?

子育て中の母親は自分の母親から電話がかかってきたら
何かを話さなくてはいけないものなのか?




この電話の一件は私と母親の間では、まだ普通の出来事だ。

記事にして残したら私は狂ってしまいそうな出来事が
まだまだ山ほどある。

私に対する自分勝手な思い込みと
「こうして欲しい」「こうするらしい」というおかしな妄想なのか

母親のシナリオ通りに行動したり会話したり出来ない私は
再び罵倒され続け、

再び「異常だ」「間違っている」などと人間として否定され、
「人間失格」とまで言われて、

ついには、

「そんな人間に子育てできるはずない。
 私の大事な孫をこんな非常識な人に育てられては困る」

とまで、言われてしまった。







| 私が診断に至るまで |
2009-10-27 (Tue)
縁があり、高校の同級生だった旦那と結婚することになる。

「同級生と結婚するなら○くんがよかったのに」

と、自分のお気に入りの私の同級生の男子の名を出して、
訳のわからないことを言う母親。


旦那は高校生の頃からの印象だが
真っ直ぐで、精神的に自由に生きている感じがした。

きっと、私にはないものへの憧れのようなものを感じたのかもしれない。



結納の席で、何気ない一言に私は
親と自分の関係を改めて突きつけられてショックを受ける。


義母が、

「高校生の時は、しょっちゅう自転車がパンクしてね~
 そのたびに『修理代500円』って言われて、
 ほんとにパンクなの?って思いながらも、
 でも、まあ、この子がそういうならそうなんだろうって、
 500円渡してたけどね~」


つまり、義母は100%息子を信じて育ててきた。


私などは本当にパンクしても「パンクしたから500円」なんて
とてもじゃないけど親に請求できなかった。

「嘘。そうやってお金を騙し取ろうとしてるんでしょ?」

といわれるのが目に見えていた。


私はとにかく全てにおいて疑われていた。

部活の練習試合に行く交通費が欲しいと言えば、

「学校からの文書とかなければあげない」

「練習試合とか言って、本当はどこかの男と
 会ったりしてるんじゃないの?」



部活の用具を買うときも、

「本当に○○部でやってるの?
 お金ばっかりかかって、○○部で食っていくの?」

面倒くさくなって、部活は止めた。


こんなやり取りを3年間、続ける気力はなかった。



部活、金銭面だけではない。

全てにおいて私は信じてもらえなかった。

全ての言動、行動は疑いの対象でしかなかった。


そんな風な親子関係しか知らなかった私にとって、

「嘘かもしれないけど息子が言うなら本当だろう」

と、信じて疑わない親子関係にショックを受けた。



ああ、だから、旦那は誰かを疑うこともないんだ、

信じられて育てられた人は、疑うことをしないのだ。



それに引き換え、嘘をついたことすらないのに
親に何でもかんでも疑われて何一つ信じてもらえず
育てられてきた私は

あらゆる人を疑って、心の裏ばかりを考えて
本心を見せないように生きている。



この差に私は改めてショックを受けた。






 
| 私が診断に至るまで |
2009-10-27 (Tue)
自分の「精神的な死」を受け入れた私だが、
母親が願書を取り寄せ、
私の意思などと無関係に入学させられた短大で
私は耐えられなくなっていった。

高校生の時は、家では自分の意思を殺して生きていたものの
その反動で、学校では自分の個性丸出しでいられた。

家で押し殺している本当の自分の姿を
受け入れてくれる友人がいたのだ。


しかし、私の意思の全くない興味のない短大で
ここでも「精神的な死」を強いられなければならないのだ。


つまり、私はどこへ行っても「死」なのだ。

生きている意味も価値も全く感じられなくなった。



私は一世一代の勇気と、
万が一の時は自らの肉体の死を選ぶことを決心し、
母親に短大を辞めたいこと、
そして、音楽の道に進みたいことを話した。


以外にも、母親は認めてくれた。



それは、母親が想像できる未来だったから、のようだ。

音大進学→教師、を勝手に想像したらしい。

教師になるなら、いい、と。



高校生の時、私は社会福祉士を夢見ていた。

養護施設や福祉施設で働くこと、
社会的弱者の味方になる人間になりたいと
某福祉大の進学を希望していた。

しかし、母親は許さなかった。

何故、許さないか、と聞いた時、

「社会福祉士って一体、なんなの?」
「福祉では食べてはいけない」
「あなたがやらなくても他の人がやればいい仕事」

という言い分だった。


つまり、自分には理解できない仕事だから許さない、

ということだった。



担任は

「某福祉大に行きたいなら成績は充分だから推薦書を書く」

と、言ってもらったのだが、親は許さなかったのだ。





まあ、結果的に音大進学という
自分としても予想外の道に進むことになったのだが、

それは、一度は「精神的な死」を受容したはずの自分が
「精神の再生」を呼び覚ますことになった。


私は中学1年までしかピアノを習っていなかったので
技術的には周りから比べればかなり劣っていたし、
自信もなかったのだが、

音感だけは死んでいなかった。

聴音やソルフェージュ関係はほぼ100%満点だった。


持って生まれた「絶対音感」が生き残っていたおかげで
私は何とか音大でやってこれた。


音楽とは、自己表現だ。

音楽とは自己主張しなければ何も伝わらない。

「精神的な死」を遂げていたはずの私の心が
音楽でどんどん生き返っていくのだ。



私は、まだ、死にたくない。


まだまだ、自分を生きたい。



学校ではクラッシック漬け、
学外ではふたつのロックバンドを掛け持ちし、
まさに、音楽によって生かされている生活を続けた。


そして、私は、卒業時、母親の意思に反して

教員試験をわざと勉強せずに不合格になり、
某音楽教室の講師採用試験に重点を置いて勉強し、合格した。



音楽教室講師の仕事は、やりがいがあった。

大好きな音楽で生きている

そして、関わる子供たちは私に素晴らしいものを与えてくれた。

自分の大好きな仕事を持って自立した私は
これまでの人生で一番、自由だった。





| 私が診断に至るまで |
2009-10-26 (Mon)
さて、予告したとおり、私の診断について、
記事を書いてみた。


実は10日くらい前から書き始めていたのだ。

しかし、やはり肝心な部分は書けない。

書いた部分もあとで読み返すことが出来ない。



つまり、私の中で、まだ、消化されてはいないらしいのだ。





で、予告どおりには書けないかも知れないが、
出来る範囲で記録しておきたいと思う。



まず、それには私の生い立ちを避けては通れないので
記しておく。



具体的には書けない。

書いたあとの自分が怖いから。

だから、大まかにざっくりとだけ書く。









自分と母親の関係は、簡単に言えば
親の思い通りに生き続けなければいけない操り人形だ。

それは、学校生活、家庭生活、遊び方、趣味、
話す言葉、髪型、服装・・・

全てにおいて、親の思い通りを強いられた。



私の自己主張は

「異常だ」「普通じゃない」「変な人間だ」と言われ続けた。


しかし、成長と共に、何故、私の考えが否定されるのか疑問に思った。

どう考えても、私は間違っていない、
ということも、次第に感じるようになってきた。

私は同級生を見てもなんら、異常じゃない。

他の、ほとんどの友人も、私と同じように考えて、
同じように表現しているのに、
何故、私はこうまで親に否定され、自分の「意思」を持つことを
否定されなければいけないのか。


しかし、私が強い意志で、強行に感情通りに行動することは
母親を狂わせるのだった。

それは、幼い私にとって、
この世のものとは思えないほどの恐怖感だ。



今までの私と母親の関係は
もう、母親にとっては当たり前の主従関係なのだ。




自分の意思を貫くには、

自らが命を絶つか、母親の命を絶つか、

その二択しかないと思った。


しかし、そんな大それたことなど、できるほどの
勇気も気力も失っていた。



結局、どこまで行っても、家では母親の言いなりになるしかない。



それは、ある意味、「精神的な死」を意味する。



私は、自分の「精神的な死」を受け入れてしまった。






もう、自分の意思を貫こうなんて思わないことにしよう。

というか、そういう気力は皆無だ。

自分は「心」を捨ててしまうしか、ない。





~~~つづく~~~







| 私が診断に至るまで |
2009-10-25 (Sun)
ここはあくまでも、のび太のために書いているブログなので
このことをわざわざ記事にする必要はない

と、思って、私自身のAS診断の経緯については
「診断されました」という報告のみであった。

が、私の歴史はのび太の歴史でもある、

つまり、自分の痛みをのび太にさせないためにも、
書いておこうかな~・・・

なんて、思い始めたわけで。



というか、診断された当初は、正直言って、
私の精神状態が不安定でした。

診断されたことに対する不安定、ではなく、
診断に至る経緯と、診断のための問診等で、
過去のもやもやしたもの達を吐き出したことによるストレスと、
それによるフラッシュバックと、
自分のこれまでの諸々の原因が解明されたことの安堵とで、

なんだか、訳のわからない精神状態でした。


「不安定」といっても、マイナスな不安定さだけではなく、

それまでの自分のあり方の謎が解けたかのような
妙な開放感とで、

気持ちが浮き足立っていたような、なんとも言えない感覚です。



そんなわけで、勝手ながら、
この先、数回にわたって、自分のことについて
記していきたいと思っています。




なお、これらの記事に関しては、とても私的なことでして、

コメント欄は閉じさせていただきます。



どんなコメントでも対応に困ると思うからです。




私の勝手な独り言と思って、
読みたい方だけ流し読みしてくだされば、と思っております。
| 私が診断に至るまで |
2009-10-23 (Fri)
「お母さんが神経質に育ててるからじゃないの?」


声を荒げて言われた言葉にたじろいだ。



のび太がまだ診断されておらず、
保健センターの発達相談を半年毎に受けていた。


発達相談を受ける直前に発達相談を迅速かつスムーズに行うため
保健士が自宅を訪問して相談内容などの聞き取りをかねて
尋ねてくるのだ。

この保健士、というのは、特に子供の発達に携わっている人ではなく、
あくまでも地域担当者である。


この点がまず、間違いなのでは?と思うのだが。


で、この日は3度目の訪問。

のび太は幼稚園に入園したばかりだった。



その尋ねてきた保健士が、唐突に言ったのが最初の言葉だ。


そして、


「いつ来てもきちんときれいに掃除されて片付いてる。
 このくらいの子がいる家は、
 普通、こんなにきれいにされていないもの」

らしい。


いやいや、アンタが来るっていうから、
一応、掃除して片づけくらいするでしょう~?

言っておくが私は整理整頓は得意ではない。

掃除機はかけるが何でもゴチャゴチャ置く場所、
というコーナーがあって、そこは一応、表向きは
見えないようにして置いたりする、
「なんちゃって片付け」なのだ。

お客さんが来る!というときは、
見えないところに全てをぶち込む!という、整頓方法。


あ、まあ、そんなことはどーでもいい。


つまり、私が神経質に掃除などもしているようだし、
きっと、のび太にも、神経質に接しているために
言葉が遅く、余計な心配をしているんじゃないの~?


ということらしい。



そして極め点けに

「それにしても、○○幼稚園(のび太が通っている園)とかの
 市立幼稚園って月額8千円なんだってね~
 うちの近所の子なんか、市立幼稚園のある地区じゃないから
 嫌でも私立に入れなくちゃいけないでしょ?
 私立なんてなんだかんだで毎月3万以上かかるのよ。
 ちょっと、不公平だよね」


と、まるで、市立幼稚園に通っているのび太が
ずるいことでもしているかのような言い草を
延々と語って帰って言った。




のび太の言葉が遅いのは、母親が神経質だから

市立幼稚園に通っている子はズルイ



これを言いに来て、帰っていった保健士。




また半年後、そいつ(失礼)から電話があり、
「明日、訪問する」という。

なんという、間際の連絡(怒)


また、なんだかんだ我が家の生活を覗かれて
難癖言われるのが嫌で、

「都合が悪いのでこちらから伺います」

ということにしてもらい、保健センターで面談した。



今度はこうだ。

「のび太くんは幼稚園ではなく保育園に入れるべきだった。
 特に市立幼稚園は放任主義だし(はぁ???)
 保育園できっちり見てもらったほうがよかったはずだよ」



保健士がそこまで言うのか?



まあ、だいぶ前の話ですから、もう、忘れていたんだけど、

先日、スーパーで

「この人、見たことがある、おまけに嫌な人だった気がする・・・」

と、記憶を辿っていったら、その保健士だったので

嫌な出来事を思い出したのでした。



| 母のグチ | コメント(6) |
2009-10-21 (Wed)
「私は私、誰になんと非難されようと、
 私は自分の思ったように行動するし、
 誰にも頼らず、誰にも文句を言わせず、
 自分の好きなように生きていく」


と、強い信念を持っている強靭な精神力の方は
それでいいさ、

と、思うのだが、


私たちは絶対に誰かと関わって、誰かに支えられ、
誰かと共に生きていくのだ。


だから、


「私はアスペルガーという障害があるんです

 だから、多数派の気持ちが理解できない

 思っていることを正直に言えないなんて、
 人の目を意識してばかり、
 心にもないお世辞まがいの言葉で
 上っ面をごまかして人と接するなんて
 そんなこと、出来ません

 正直に話しただけで、どうしてそんな風に非難されるのか、

 全く理解できません」




と言うのは、いかがなものか?と思う。





「発達障害を知ってほしい、理解して欲しい

 私はアスペなんだから、

 お世辞が言えなくて誰かを傷つけたとしても
 許されるでしょ

 だって、障害なんだから

 どうして私ばかり非難されなくちゃいけないの?

 どうして障害を理解してくれないの?」



という風な話は、たまに耳にしたり目にしたりする。



じゃあ、あなたは多数派の世界を理解しようとしましたか?



どうやら、多数派は、
こういうとき、本心を言わないらしい、

こういうときは、○○するらしい、


という分析は出来ていても、



「だからといって、そんなことはできない
 だって、私、アスペルガーなんだもの」


という。


私には傲慢にしか思えない。




そして、



「私は一人でいることは平気
 
 だって昔からそうだった、誰にも理解してなどもらえないんだ

 やっぱりこの世の中、どうかしてる」



と、開き直る。



郷に入っては郷に従え、だよね。


アメリカに行って

「どうして箸を使わないんだ!どうして日本語が通じないんだ」

って一人で憤慨しているのと同じにしか見えない。




私たちを理解してほしかったら、

まず、私たちが誤解されないように生きていかないと、

と思うのだ。



ここの社会の中で生きていく以上、
面倒でも、不文律のルールやマナーや気遣いなどを
知って実行していかなければいけないんじゃないか~

なんて、私は思います。





だって、私はいろんな人と関わりたいし、

そうでなければ生きていけないことも知っているから。





ま、人それぞれ、だから、

他の人がどう考えようと勝手だけどね。















| 自閉症について思う | コメント(6) |
2009-10-20 (Tue)
学習発表会があった。

舞台発表は2,4,6、年で、1,3,5、年は作品展示のみ。



舞台発表がないと親は気楽なもので、


「舞台発表は見ないでのび太の作品見たら帰ってくるよ。」


・・・ってな感じで・・・汗






しかし、5年生ともなると係の仕事があるのだ。


自分の事で精一杯なのび太にとっては
係の仕事はかなりの負担・・・



「ボクは、1年生の作品展示の監視係なんだ」

以前、小さい子が走り回って展示物を落としてしまったり
展示物が壊されたりしたためだ。





前日・・・



「お母さん、小さい子に注意する時って
 どんな風に言えばいいのかな?」


「え?ああ、監視係ね。
 まあ、小さい子には優しく注意した方がいいと思うよ。
 触ったりするのはいけないことだけど、
 小さい子はいけないことってわかんないで
 触ってしまったりするし。」


「優しくか~・・・
 どういう言葉で言えばいいの?
 係の打ち合わせの時は、どんな風に注意するか、
 教えてくれなかったんだよね」



う~ん・・・

なんてASらしい疑問なんだ・・・!!!




そう。

具体的に「セリフ」として教えて欲しいよね。


ましてや、一人っ子ののび太、小さい子と接する機会もないし、
どんな風に話しかければいいか、
わかんないだろうね~


「優しい声で『触らないで見てね』って
 言えばいいんだよ」


「なるほど。やってみるから見てて。
 (膝をかがめて小さい声で)『触らないで見てね』
 ・・・こんな感じでいい?」


・・・監視係のリハーサルが始まった(爆)


「・・・う、うん、いいんじゃない。
 あとは小さい子の親に言えばいいんだよ」



「でも、どの人が小さい子の親かわかんないかも知れないし
 やっぱり、小さい子に言うよ。
 『触らないで見てね~』って感じかな?
 『触らないで見てね~』・・・で、いいかな?」




んぷぷぷぷ・・・



リハーサルは続いた(笑)



でも、こういうこ風に先のことを予測して
自分の行動やセリフの準備をしておく、ということは
私たちAS圏の人間にとっては大切なことだ。

いろんな場合を想定して
そのときの自分を予定しておければ
混乱することも少ないはず。






当日、帰ってきて・・・


「監視係、なんとかちゃんとできたよ。」


「小さい子にちゃんと注意できたの?」


「なんかさ~人がいっぱいでゴチャゴチャしてて、
 騒がしくて触ってる人がいるかどうかもわからなくて、

 『手を触れないで見てください!小さい子を連れている方は 
  作品に触れさせないように気をつけてください!!』

 って、○くんと一緒に大きな声で呼びかけたんだ」




おおお~!!!

なんという臨機応変さ!!!

ASらしからぬ機転の利かせ方じゃん!



○くんと考えた「セリフ」だそうで、

こうやって、いろんな人と関わることでその場に即した対応を
何となくでいいから覚えていくんだろうな。




リハーサルも無駄ではなかったろう・・・ハハハ・・・






| 自閉症について思う | コメント(2) |
2009-10-16 (Fri)
なんか気がついたら
3年経ってた。


ブログはじめて。


日記も家計簿も続かないワタシが

よくまあ、3年も…


と、感心しちゃった。




それもこれも、
現実には顔も素性も謎なワタシの
自己満足的な言葉に

真剣に寄り添って下さった皆さんが

パソコン画面の向こうにいてくれたからでした。


本当にありがとう。





のび太とダメ母のつぶやきブログは
まだまだ続く予定です。


そして、きっと、今までと同じように

泣いて笑って悩んでは這い上がって…

そんなこんなを何度も繰り返すのでしょう。



よかったら、時々、お付き合い下さると

嬉しいなあ~って思ってます。





そして、ズーッと以前の私とのび太みたいに

暗闇の中でもがいている親子が

たまたまここに辿り着いた時に


「なぁーんだ、笑っていても
大丈夫なんだ~」


なんて、思ってもらえたらいいなぁ…


と、思っています。



これからも私達親子を見守ってやって下さいね~
| 母のつぶやき | コメント(14) |
2009-10-14 (Wed)
「○○と△△、どっちがいい?」

とか、

「○○するか、△△するか、のび太はどうする?」

とか、


そういう「選ぶ」とか「決める」とかが
なかなか出来ないのび太。




小さい時は、のび太と同い年の子が

「ママ、○よりこっちの方がいいと思うよ」

なんて言う言葉に、腰が抜けるほど驚いたことがあった。



のび太にも聞いてみた。


「ねえ、のび太、これ、赤と青とどっち・・・」

「#&%$*!?*%~~~~~!!!」


質問も終わらないうちに、
意味不明な言葉を発してどこかへ走り出すのび太・・・



当時は、言葉が通じないから、言葉が伝われば・・・
と思っていた。




しかし・・・



入学する時に、いろいろ文房具やら何やら揃える時も

「のび太、この中でどれがいい?」

と聞いても、

「・・・・・う~~~~~!!わかんないよ~~~!!!」



と、パニくる。



まるで、尋ねた私が悪者みたいだ。





登校する時に霧雨が・・・

「雨降ってるからね、傘差して行くんだよ」

というと、

「え・・・でも・・・みんなも傘差してくるのかな?」

「雨だからみんなもさして来るよ」


と、傘を差させて登校させた。


と、しばらくすると・・・走って戻ってくるのび太。


「○くん、傘差してなかったから、ボクもいらない!」


と・・・(爆)





まあ、仕方がない。

「みんなと同じ」がこだわりだから。




だけど、学校生活は自己決定を迫られる場面が多々ある。

その時に、ボーゼンとしていたり、選べなくて戸惑っていたり、
結局、最後に残ってしまってハズレ的なものをあてがわれたり、
決定できなくて自分でパニクッたり・・・







「選ぶ」とか「決める」という思考は
決定後のことを想像出来ないと出来ないのかもしれない。


つまり、「想像力の欠如」を特徴とする自閉圏ののび太には
「選ぶ」「決める」という行為は、
想像できない未来に進むということ。

それはおそらく、真っ暗闇の部屋に足を踏み入れるような
恐怖感があるに違いない。


たかが「赤か青か」だとしても。





「大きくなったら何になりたい」の質問に
答えられなかった幼稚園卒園時のアルバムに

「じゃあ、『折り紙とあや取りの名人』ね~」

と、幼稚園時代、大人顔負けだった折り紙とあや取りの腕前に
先生がつけてくれた称号そのまま書いた。

その気になってくれたからよかったけど(汗)




その後、1年生の七夕の短冊に、
みんなは「将来なりたいもの」を書いている中で、のび太は

「雲の上で寝てみたい」

と、書いていた(笑)



これはこれでナイスなんだけど(笑)
先生はそういう意味で書かせてはいないだろうけどね。




その後、

「大きくなったらFMのDJになりたい」

と、何を思ったか、何がのび太の中で変化したかわからないけど
そういう想像力が出来るようになったことにビックリした。




未来を想像する、ということは、夢を見ることが出来る、ということ。


夢を見る、ということは、ある意味、幸せなことだと思う。




その後、妄想族と化したのび太(笑)

地図を見ては妄想旅行。

歴史の本を読んでは妄想タイムトリップ。



こういうことが出来るようになってからか、

「選ぶ」「決める」ということが、
いくらか、スムーズに出来るようになった気がするなぁ。




こういうところにも、自閉症でありながら、
苦手部分を克服しようとする、のび太の成長を感じたりする、
今日この頃なのだ・・・

















| 自閉症について思う | コメント(4) |
2009-10-13 (Tue)
5年生になり、春に出た定額なんたら金のおかげで

のび太にベッドを購入し、
部屋で独りで寝るようになり半年。


朝起きたら、私の足元に転がって寝てたりした
アクティブな寝相ののび太。


夏の間はどんなにタオルケットを蹴飛ばして寝てもいいが

のび太地方はめっきり寒くなり、
朝の最低気温も一桁…


さすがに心配で、夜中、
布団チェックに行く。



まあ、50%の確率で、何も掛けずに寝てる(爆)



ある夜、布団チェックに部屋のドアを開けたら、




「うわああああー!!
ビックリしたよお!」


と、飛び起きた。


たまたま眠りが浅い時だったらしい。



夜中の2時にドアが開いたら
そりゃあ、かなりビックリするわな…


「ゴメンゴメン!
布団剥いでないかなって
見に来ただけだよ~」


と、言っても、ビビりと寝ぼけが交錯するのび太は
パニクって泣くだけ。



朝起きてから、

いつも布団を蹴飛ばして寝てるから
風邪引かないように布団チェックに毎晩行ってることを話した。



「でも、夜中にドアが開くなんて怖すぎる」



そうだよね~





次の夜、また布団チェックへ…



起こさないようにいつも以上に細心の注意を払い、

部屋へ侵入…



案の定、団子状態の布団をほぐして、
そっと、掛けた…




すると、うつ伏せで寝てたのび太が
ちょっとだけ首をこちらに向けて、






「ども」(どうも)






と、一言、つぶやいて、寝た。





半年間、布団チェックし続けて、初めて。








「ども」







と、一応、感謝してくれたのか?!





ちと、嬉しかった。








翌朝、嬉しかった旨をのび太に伝えたら、




「知らない!僕、言ってないよ!」




と、一刀両断。





でも、まあ、いいや。






「ども」


って、のび太らしくて。





~~~本日は携帯より~~~
| のび太のあれこれ | コメント(0) |
2009-10-09 (Fri)
のび太はお笑いの番組が大好き。

夜10時以降のお笑い番組は録画してまでも見る。

そして、ツボにはまったお笑いネタなどは
お風呂に入りながら「ひとり漫才」で
ひとりでボケと突っ込みし、一人芝居状態で楽しんでいるほど。



そんなのび太だが、家族でテレビを見ていて

明らかに、無理して笑っていることがある。



私と旦那が大爆笑しているのに合わせてか、
明らかにとってつけたように、笑う。


そして後から、

「○○ってどういうこと?」などと、

さっきの大爆笑のオチについて、疑問を投げかける。



む・・・無理して笑わなくてもいいのだよ。



のび太としては空気を読んで私たちの笑いに合わせて
共に笑いを楽しみたくて、笑っているのか、

などと、あれこれ推測すると、ちょっと切なくなる。



だけど、意味は分からなくても周りの雰囲気に合わせて
頑張って笑っているのかな?

家ではそこまでしなくていいのだよ~

などと、母は不憫に思ったりするのだが・・・



だけど、そういう周りの状況に自分を合わせようと
気を使うことを覚えた高機能自閉症ののび太は
やっぱり、スゴイんでない?






| のび太のあれこれ | コメント(4) |
2009-10-08 (Thu)
昨日、のび太地方ニュースで特別支援教育に関して
特集レポートをしていた。

特別支援学校だけではなく地域の小中学校の
普通クラスでの発達障害の生徒を受け入れが
のび太県では今年度から本格的に始まった・・・

と言うことで、通常クラスの教師達の
特別支援教育研修が行われている・・・

といったもの。





のび太県では明らかに特別支援教育は遅れている。

制度の遅れは、理解の遅れでもあるのだ。

どんなに制度や周りの理解が遅れていても
この子たちの時間はどんどん過ぎてゆく。

成長は待っていてはくれない。



のび太が入学する時、療育の先生に、

「でも、皆さんは特別支援教育が始まりつつあって
 多少、理解が進んできていて幸せですよ。

 これが5年前、10年前の子供たちは
 本当に入学しても先生方の理解がなくて
 皆さん、苦しんだものです」

と、言われた事がある。


今からしたら10年15年前、ということか。

だとしたら、私たちが小学生だった頃も
発達障害の生徒はいたはずだから、
過去の苦しみ、辛さの犠牲と傷みの上に
やっと、「理解しよう」という動きになってきた、ということなのだ。




このレポートニュースでは、


特別支援教育は特別な教育ではなく、
全ての生徒の心に寄り添う教育である



という感じでまとめていました。





そして、そのニュースの中で特別支援学校の先生が
おっしゃっていた言葉に
涙が出そうになったので、ここに記しておきます。



「長年、特別支援教育に携わってきて思うのは
 一体、障害ってなんだろう、ということです。
 
 例えば、ADHDの子でじっとしていられない子がいて、
 『あの子は我慢が出来なくてダメな子だ』って
 言われて傷つくお子さんがたくさんいます。

 だけど、いろんな意味で一番、我慢しているのは
 そういう障害で我慢できないのに
 いろいろ言われている子なんじゃないかな、
 って思うんです








要するに、「障害があるから」ではなく、

「この子が何に困っているか」という
気持ちの寄り添いなのだ。


それって、特別なことではなく、
単に「相手を思いやる気持ち」に尽きると思う。




こんな風に思ってくださる先生が増えればいいなぁ。







| 特別支援・資料関係 | コメント(2) |
2009-10-05 (Mon)
「遊ぶのってメンドクサイことがあるから
 無理して遊ばないことにした」



「休み時間とかって、何してるの?」

と、聞いたときの、のび太の返事。





のび太は典型的な積極奇異型の高機能自閉症だ。

とにかく、自分勝手にむやみに人とかかわりを持とうとして
今までどれだけ周りに煙たがられ、

また、その「仲間に入りたい」気持ちをいいように利用され、
嫌な役目を押し付けられたり、

さらに、いじめられ嫌がらせを受けたりし、
散々傷ついてきた、のび太。






小さい頃は、一緒に遊びたい時は「まぜて」って言うこと


なんていう、初歩的なきっかけの掴み方を教えたこともある。




それも小学校低学年までは何とか
揉め事もあったりしつつも、遊ぶことは出来ても、

周りの子供たちが成長すると共に
のび太はどんどん浮いてきた。

そして、それを敏感に察知する子は
巧妙にのび太に嫌がらせをし、周りも同調していく。




それでも、担任が事あるごとに解決してくれているうちは
のび太もくじけながらも、仲間に何とか付いて行ってた。




しかし、去年の担任がのび太に対するいじめを放置し、
さらにケンカ両成敗なんて言いだし、
被害者ののび太にまで罰を与えたことにより、
いじめはどんどん拡大して、のび太を追い詰めた。





「お友達と遊ばなくたっていいんだよ。
 休み時間にひとりで本を読んだり、
 好きな漢字を書いたりして過ごした方が
 よっぽどいい気持ちの休み時間を過ごせるんだよ。
 誰かと遊んで嫌な気持ちになるなら
 ひとりで過ごす方がいいんだからね。」



何度、言い続けても、のび太は誰かと共に過ごすことを選んだ。

そして、もちろん、傷ついた。

ボロボロだった。



万が一、のび太に何かあったら、
この担任を訴えてやる!!!

とまで、思った私。






5年生になり、いじめを絶対に許さない!をモットーにしている
C先生のおかげで、クラス替えしてすぐに
いじめが無くなった。


子供は、「いけないこと」「悪いこと」と、わかっていても
誰かに軌道修正してもらわないと
止められないものなのだ。

子供と言うものはそういう点が未熟なものなのだ。

きちんと軌道修正してあげられない大人の責任は大きい。






とてもとても、辛い時期を過ごしたのび太。

できれば、こんな辛さは経験させたくなど無かった。

だけど、人生、無駄な出来事などないのだ。




のび太は、5年生の目標に

「相手の気持ちを考えられる人になりたい」

と、書いた。


他の子が「スポーツが上手くなりたい」とか
「勉強を頑張りたい」と書いている中で、


「相手の気持ちを考えられる人になりたい」と書いた、
高機能自閉症ののび太。


相手の気持ちを察することが苦手と言われる自閉症ののび太が

「相手の気持ちを考えられる人になりたい」・・・と。





そして、こうも言う。



「ひとりでゆっくりしている方が楽なんだよ。」



「そうだよね。楽だよね。
 でも、なんか、そういうのって、ちょっとオトナな感じじゃん」



「そうかな?でも、結構、一人でいる人、いるよ。
 ○くんとか、△くんとか」


「へえ~じゃあ、そういう人たちと一緒に遊べばいいじゃん」


「ダメだよ。せっかく、みんな一人を楽しんでいるんだから、
 邪魔しちゃ悪いでしょ」






なるほど。








痛みを知るのび太は、幼いながらも

「わかってる」ヤツだな。





発達障害というものは、今のところ、完治しない。


だけど、高機能自閉症であるのび太は

ワンランク、レベルアップした感じがした。




私の中で、このメロディが響いた

(チャララランチャッチャッチャ~♪「fromドラクエ・レベルアップ」)









| 自閉症について思う | コメント(6) |
2009-10-01 (Thu)
先日、宿泊学習の時の話。

「しおり」を見たら、同じ部屋に
去年、散々嫌がらせを言われたKくんと同じ部屋だった。

同じクラスにはなったことはないが、
のび太が同じクラスの子に嫌がらせをされているのを見て、
それに便乗して、嫌がらせを続けていた子だ。




「・・・Kくんと同じ部屋じゃん・・・
 大丈夫?」


思わず、聞いてしまった。



「どうして?大丈夫だよ」


「だって、去年、のび太に
 嫌なこといっぱい言ってたよね、Kくん」


「もうそんなことしないよ。普通だよ。」





のび太は決して人の悪口を言わない。

今までどれほど、いじめやら嫌がらせやらで傷ついても
その出来事については怒り心頭で話したり、
その時は「絶対に許せない!」と相手について言うけれど、


後から思い返してフラッシュバックを起こしても
その出来事を「嫌だ」「辛い」とは言うけれど、


決して嫌がらせをされた相手を非難する言葉は言わない。




クラス替えをして一番はじめに隣の席になったのが
それこそ去年、のび太をずーっといじめてきた○くんだった時も
思わず、大丈夫?と聞いてしまった私だが、



「大丈夫、○くんは一人のときはいじめたりしないよ。
 本当はいい人なんだよ」


と、言ってのけた。




なぁ~んにも考えちゃいない顔して、
行き当たりバッタリで生きてるかのようなのび太。


しかし、のび太は親の私なんかよりも鋭い洞察力と
人を見抜く力を持っていた。




仲良しだと思っていたNくんにも毎日のように嫌がらせを受け、
Nくんのことは仲良しだと思っていたがために
さすがにのび太も親にも言えず苦しんだ。

そして、その嫌がらせもしつこくのび太を傷つけて
親子共々苦しんだ。



しかし、のび太はこのNくんのことも、
何もなかったかのように「友人」として話をする。







私には、出来ない。


こだわって恨んで根に持って生きてきた私には
どう頑張っても、のび太みたいに接することは出来ない。




これが

「罪を憎んで人を憎まず」と言うことなのか?




私は、我が息子ながら、

のび太のことを実は、とても尊敬している。







世の中、えらい人に限って
誰かを陥れることでしか
自分を正当化できない人が山ほどいる。


去年の担任教師なんて
自分の指導力不足を生徒の聞き分けのなさ、
挙げ句の果てには親のせいにしたのだ。



世の中には自分の保身のためなら
嘘でも誰かのことを悪者に仕立て上げようと
策略する大人は山ほどいるのだ。





のび太を見ていると、
何故この子が「障害者」に括られてるのか
つくづく疑問に思える。





人を陥れて平気でエラそうにしている人こそ

人として異常を来しているんじゃなかろうか?




のび太はあんなに辛い時期に
喧嘩両成敗とか何とか言いくるめて
イジメる側の子と一緒に罰を受けさせた去年の担任のことも
決して悪く言うことはない。





そういうのび太を去年の担任は
今、どう思うだろう。




ちなみに…



私は絶対に許せないでいる。





のび太みたいには、なれない私。
| のび太のあれこれ | コメント(2) |
2009-10-01 (Thu)
前回の記事の続き・・・


毎朝、小さい歩幅でトロトロ歩いて登校しているのび太。




その理由を聞いてみた。



「だって、早く学校に着いても暇なんだもん」








・・・・・。







「だったら、もうちょっと遅く家を出て
 普通に歩いていけばいいんじゃないの?」


「でも!7時35分に出発することに
 決めてるんだもん!」





ああ・・・汗



そうか。






7時35分に出発するこだわり、相変わらずだ。



「でもね、お父さん、
 毎朝、のび太が通学路を歩いてるの見ると
 後ろから歩いてくる人の邪魔になっていて
 他の人の迷惑になってるんだよ。
 気が付かなかった?」



そうなのだ。

のび太の通学路は歩道が狭い。

小学生でも二人並んで歩くのはやっと、と言うくらいの
狭い歩道で、田んぼと交通量の多い道路に挟まれている。



「のび太の後ろから来る人がのび太を避けて歩くのに
 歩道に下りて歩いてるんだけどとっても危ないんだよ。」



「へえ~そうだったんだ~
 全然、気が付かなかった~」



「それにね、あんな風にチョコチョコ歩いてる姿、
 他の人が見たら『ちょっとヘンなの』って
 感じがすると思うんだよね。
 みんなのび太を追い越してから『ヘンなの』って感じで
 振り返って見てたよ。」





自分の行動が回りにどう影響しているか、わからない、
また、周りの目線を感じられない、


まさに、アスペちっく。




まだ幼い子だったら「面白い子」で済むのだが
そろそろヤバイ。



だけど、こういうことって親がはっきり教えてあげないと
なかなか気づけないだろう。





今日、のび太は7時38分に出発して

普通に歩いていきました(笑)




こだわりの35分出発を変更できるようになった柔軟性と
結構、素直に聞き入れてくれるところが




のび太のいいところなんだな~








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