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2009-11-06 (Fri)
ふと、思い出したことがある。


のび太は幼稚園に入園するまで
絵本を見る(読む)ということが出来なかった。

出来なかった、というか、「絵本」というものを
「見る」ということの意味がわからなかったのかもしれない。




「情操教育のためにも読み聞かせをしましょう」
なぁ~んて言われるし、

同い年の子たちを見ると、

「ママァ~この絵本、読んで~」と絵本を持ってきてねだる。

で、ちゃんと最後まで聞いて、さらに、

「~~したの?」「これ、かわいいね」なんて感想まで話してる!






へえ、どれどれ、やってみようかな~なんて、

のび太を膝に乗せて絵本を開こうとしても・・・

もちろん座っちゃいないし、本をぐちゃぐちゃにめくろうとして
破いちゃったり、本を投げ捨てたり・・・


ああ、やっぱりのび太には無理だよね・・・



ところが幼稚園に入園して数週間、
園経由で毎月購入する絵本を持って帰ってきた。

忘れもしないチャイルドブックの「おかしなかくれんぼ」という絵本。



そして、のび太は

「お母さん、手をお膝にして静かに聞いてね」

と言い、絵本を私に向けて読み始めた。


「きょうは みんなで かくれんぼ
 じゃんけんぽん くまさんが おに」


たどたどしいけど迷いなく流暢に読むのび太。


いや、「読んだ」のではなく「覚えてきた文を言い出した」のだ。



のび太は当時、すでに文字を読めていた。

しかし、のび太にとっての文字はその頃は「記号」で、
「あ」は「あ」という発音をする記号でしかなかった。

文章を読む、というよりは、記号を当てる、といった感じ。

「かくれんぼ」も「かくれんぼ」と読むのではなく、

他の子のように「か、く、れ、ん、ぼ」と、一文字ずつ読むのでもなく、

「か・く・れ・ん・ぼ」といったイメージでしかなかった。


それを、スラスラと、ところどころ、確認するように
絵本に目をやることはあったが
ほぼ、一気に読み聞かせをしてくれたのだ!!!




「・・・おしまい・・・」


と、まるで先生の読み聞かせの抑揚まで真似るように
やさしい言い回しで終わった、初めての読み聞かせ。




「すごいね~のび太!上手に読めたね~
 とっても面白い本だったよ~
 のび太に絵本を読んでもらってうれしいなぁ~!!!」

泣きそうになりながら拍手をした。



「先生が、『お母さんに読んでね』って言ったの」




???「お母さんに読んでね」?って???

幼稚園からもらってきたお手紙を見ると、

「今日、チャイルドブックを渡しました。
 おうちでもお子さんに読み聞かせをしてあげてください」




のび太らしい。

先生はおそらく、いや、絶対に

「お母さんにも絵本を読んでもらってね」と言ったはずだ。


でも、のび太には「お母さんに読んでね」に
変換されて入力されたのだ(笑)



しかし、スゴイ!!!

たった一度、先生に読み聞かせしてもらった本を、
ほぼ丸暗記で覚えて、読み聞かせをしてくれたのび太。


今考えると、驚異だ。


これまで私には一度も読み聞かせをさせてくれなかったのび太。

だから、この時が人生初の読み聞かせ体験だったはず。


よほど、印象的だったに違いない。






「じゃあ、今度はお母さんが読み聞かせしてあげるね」

と、念願の読み聞かせをした。


嬉しかったよ。



それ以来、「これ読んで」「次はこれ読んで」・・・

と、家で読まれることなく埃をかぶっていた絵本たちが
やっと日の目を見ることになった。

それも、しつこいくらい、何度も何度も・・・



私も家にある全ての本を暗記してしまうくらい、
寝言でも読めるかも知れないくらい(笑)
たくさんの絵本を読み聞かせた。


小学校2年生くらいまでは、寝る前に必ず一冊、
読み聞かせをしてから寝せていた。


正直、だんだんめんどくさくなっていった(笑)



だけど、読み聞かせって、いいよね。

今でも「はらぺこあおむし」とか、暗唱できるし(笑)





もう、「この本、読んで~」なんて言ってくれなくなっちゃったのが
何だか、寂しいのだ。
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| 幼稚園の頃 | コメント(2) |
2008-04-04 (Fri)

片付けをしていたら、のび太が幼稚園時代の連絡帳が出てきた。

3年間で8冊・・・。

おそらく他の子たちは3年間でも1,2冊だろうに・・・。

ただでさえ忙しい保育時間の合間、
ほとんど、その日のうちに連絡帳の親の心配事に
お返事を書いてくださった先生方・・・。



パラパラめくっては、当時の気持ちがよみがえってきてウルウルしてしまった。


初めての参観日の時、のび太の泣いてパニクってばかりいる姿に
わかってはいたけどショックだった私は、
連絡帳に書いた。

「いつもあんなふうに大騒ぎして、お手間をかけているのでしょうか?
なかなか会話もままならないので、
何がイヤなのか、理由もわかりませんし、
家でも幼稚園の様子など尋ねたところで答えはありません。
心配です・・・・」

と言った内容の私の心配に対して、


「のび太くんは確かに泣くことは多いです。
でも、泣く、ということは、のび太くんの表現方法です。
私たちは泣くことを、困ったこと、いけないこととは捉えていません。
いっぱい泣いて、自分を表現できることは素晴らしいことです。

幼稚園3年間でビックリするほど成長しますから安心してください。」



まだ、診断される前の年少の頃のことだ。

どこに行ってもパニくるのび太を抱えた私は
白い目で見られた(気がしていた)。
自分の親さえ、私の子育てを否定し、私をも否定していた。

あちこち相談に行っても「心配しすぎ」で片付けられていたけど、
この子は特別な子かもしれないことは、
私は気づいていながらもどうすることも出来ないでいた頃。   
 

認めてくれる人がいる、ということは、何よりも心強い。


のび太を認めてくださったことは、
親としての私も認めていただいたような気持ちになった。





私と対して変わらない年齢の、
どちらかと言えば中学校の数学の先生タイプの
しゃきしゃきしたN先生。


のび太たちが卒園して、入学した後も、
小学校の授業参観のたびにのぞきに来ていた。
(なにせ、のび太幼稚園(市立なので)とのび太小学校はお隣、
 と言ってもいい場所にあるのだ)

「のび太くん、すごいね~頑張ってるね~」

と、耳打ちしていくN先生。




すべてのことが、のび太と私の「今」に繋がってる。






幼稚園の連絡帳は私の宝物である。

のび太と私を支えてきたもののひとつと言ってもいい。


ああ・・・

また、連絡帳ネタ、記事にしちゃうかもなぁ~


| 幼稚園の頃 | コメント(6) |
2008-03-12 (Wed)
愛犬ロックの散歩で、初めてのび太も卒園した幼稚園の方へ行った。


久しぶりにゆっくり眺める、のび太幼稚園。

一クラス30人、1学年1クラスのこじんまりした園。

でも、園庭で運動会が出来るほどの広い園庭。
ここでのび太は育ててもらった。


入学して気が付いた。

のび太幼稚園の出身の子は学年の半分いるのだが、
他の園から来た子と比べるとみんなおっとりゆったりしている。

もちろん、子供らしく元気だけれど、
大騒ぎする子も、大喧嘩するような子もいない。



のび太幼稚園は自由で伸び伸びした園だった。

卒園アルバムを作る係だった私は、
時々、素の子供たちの姿を写真に収めようと、
園に通った。

私立幼稚園のように英語や体操やお勉強に
力を入れているような特徴もなく(市立幼稚園なので)
毎日、ほとんどを園庭で遊び、
子供同士の喧嘩があっても、ちゃんと謝ること、許すことを教えられ、
親同士もおっとりゆっくり関わり合っているせいか、
変に子供のいざこざに介入する親もない。

発表会の役やクラスの係を決めるときも、
順番やじゃんけんなどはない。
ちゃんと自分の意思を言わせ、お互いの気持ちを理解しあい、
譲ったり、譲られたりして、
「じゃあ、君がこれをやって。僕はこっちで頑張るから」
などと、言える子供たちに成長していった。

第一、年少の時、みんなと遊べずパニックの連続で泣いてばかりいて、
職員室のカレンダーにかじりついていたのび太に、
クラスの黒板に、○月○日と、毎日書かせてくれて、
わざと、「先生はすぐ、日にちを忘れるんだよね~」と言い、
クラスのお友達に、
「のび太くんって、数字も漢字も書くんだ!すごい!」
という意識を植え付けてくださった先生。

そのうち、折り紙、あやとりは大人以上に上達したのび太を、
「折り紙先生」として、みんなでのび太の指導で?
折り紙をしたこともあった。


発表会などの時は、必ずのび太の隣には、
しっかりした子を並ばせてくれた。

我が家では「のび太シフト」と呼んでいたが、
段取りを忘れてぼーっとしているのび太を、
さりげなく誘導したり、お世話してくれるのだ。


もちろん、のび太だけではない。

ひとりひとりの良いところをみんなで誉めて認め合い、
ひとりひとりの苦手なところをみんなで助け合って成長した。

先生方の100%子供を愛してくれる気持ちと、
ひとりひとりを認めてくださる広い心・・・。


元々、のび太はパニックはあっても穏やかな子だった。
叩かれても叩き返すことはない子だった。

そして幼稚園生活が、
さらにのび太を穏やかで温和な性格にしていった。

同じ園出身ののび太の友達を見ても、
このくらいの年齢で見られる荒っぽさもズル賢さもない。

みんなのび太と同じように穏やかで温和な空気をかもし出す。




のび太は今でも嫌いな人がいないらしい。

イジワルされても「キライ」と言った事はない。

愛されて育つ、というのは、こういうことなのだ、と思う。
(ちなみに、旦那も「嫌いな人」はいないらしい)



私が幼い頃は幼稚園の頃からすでに、
「自分はひとりだ」
「誰も助けてくれないんだ」
と、悟った冷めた子供だった。

キライな子はいっぱいいた。

・・・というか、遊ぶ子はいても好きな友達はいなかった。
遊んでいても友達の心の裏ばかりを探っていた。
誰も信じられる人はいなかった。



親以外の人たちからも無条件に愛されて認められて育ったのび太。

親は自分本位の愛情?で私の心をがんじがらめにし、
世の中は恐ろしいことしかないと、
4歳で生きることの孤独感を知った私。

きっと、同じ性質を持って生まれた(と思う)私とのび太は、
環境の差で(愛情の差?)、これだけ違った性格を形成したのだ。




幼稚園のホールではどうやら卒園式の練習らしい。

懐かしい歌が聞こえてきた。

そうそう。

のび太も歌った・・・。
この曲を思い出しただけでも、涙がこみ上げる。 





      ♪はじめの一歩


   小さな鳥が 歌っているよ 

   ぼくらに朝が おとずれたよ、と

   昨日と違う 朝日が昇る

   川の流れも 輝いている

   はじめの一歩

   明日に一歩

   今日から 何もかもが 新しい

   はじめの一歩 明日に一歩

   勇気を持って大きく 一歩 歩き出せ




愛情あふれる幼稚園で育ったのび太。

この、幼稚園がのび太の原点。

のび太にとっては、この幼稚園が「はじめの一歩」だった。

| 幼稚園の頃 | コメント(12) |
2007-10-04 (Thu)
のび太小学校は、のび太幼稚園、中学校と隣同士にある。

これはいいもんです。

幼稚園の時は、小学校の校庭に「お散歩」に行き、
体育の授業を見たり、プールを見たりして、
「次はここに来るんだよ」という、憧れの場所になる。

のび太のような子にとっては、
「幼稚園の次の場所、姿」が見えて、「予告」にもなった。

中学生は授業の一環で、幼稚園に遊びに来てくれる。
大きいお兄ちゃんお姉ちゃんが、さらに憧れの的になる。



のび太が1年生のころ、1年間、通学路の整備のため、
幼稚園の前を通るコースが仮通学路だった。

これがまたよかった。

「幼稚園の前を通るとき、ここに先生がいるな、
 って思うと、ホッとするんだよ」

1年生ののび太は精神的にも不安定だった。

学校でも何度もパニックを起こしていた。

わけのわからない独り言をつぶやくのび太に、
幼稚園から仲良しだった子が
「お前何言ってるか、わかんね~気持ちわりぃ~」
などと言われていたころだ。

幼稚園の頃もいろいろあったけど、
のび太を認めて受け入れてくれた幼稚園が恋しくなったりしたのかな?


幼稚園の時、年中・年長と担任だったT先生に、
偶然、スーパーで会ったときに話してくださった。

「のび太くん、時々、私を呼んでくれるんだよね。
 うれしくってね、金網越しにいろいろお話してくれて・・・」

下校時、園庭の金網越しに先生の名前を叫んでいたらしい。

きっと、ココロの中で助けを求めていたのかもしれない。



2年生になって本来の通学路も整備され、
通学時、幼稚園の前を通ることはなくなってしまった。

「幼稚園の前は通れないんだよ。
 通学路じゃないから。さびしいなあ。」

ホントにさびしいね。

でも、いつものび太のそばにいるでしょ?
いつも近くで見ていてくれるでしょ?



先日、久しぶりに車で幼稚園の前を通ったとき、
突然、のび太が言った。

「幼稚園の時、しょっちゅう、職員室に行ってたんだ」

のび太はこうして、時々、昔のことを思い出しては教えてくれる。

「そうなんだ。どうして?」

「時々、頭の中が
 もやもやしたりグルグルしたりしたから
 そういう時、職員室に行って、
 カレンダーを見たり、新聞読んだりしたの。
 そうすると、気持ちがよくなるんだ。」

「そうだったんだ。
 職員室に行ってたのは知ってたけど
 理由はわからなかったからね~。
 そうか~もやもやグルグルしてたんだ~。」



公立ののび太幼稚園は、今では知っている先生も一人しかいない。

でも、あの場所はのび太のスタートラインだったね。

のび太みたいに、「記憶」が薄れない人にとって、
幼稚園は大切な場所。

辛くて悲しいことも、いやなこともたくさんあったけど、
受け入れてくれる人がいて、落ち着く場所があった、
家以外の最初の場所。

時々、気持ちが「ここ」に帰るらしいです。






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| 幼稚園の頃 | コメント(6) | TB(0) |
2007-09-03 (Mon)
昔の日記を読み返していて、「そうそう!こんなことあった!!」
と、思い出し、再びムカついたワタシ・・・



それは、のび太、幼稚園年中のころ。

人として許せない園長に、暴言を吐かれました。
(園長暴言事件はこちらを見てね~→ここだよ


それで、来年から加配をつけたいがそれを私に了解してほしいために、

のび太くんは、手がかかって大変、パニクったらT先生じゃないと嫌だって大騒ぎ、ほかの子供の保育が手薄になる、お友達とかかわって遊べない、親が障害があるからって甘やかしてるからじゃないのか、職員室のカレンダーばっかりに噛り付いている・・・

・・・などと、いわれ、確かにそうなのだろうが、
その言い方が、本当に嫌味たっぷりでホトホト困って手を焼いていて、いい迷惑よ・・・

・・・みたいなニュアンスの言い方・・・



信頼していた近所のNくん(のび太と同級生)のママに、
事の顛末を話し、のび太の事も診断名は言わなかったが、
「発達障害があるんだ~」って話しました。

彼女は、園長から何故か気に入られ、お兄ちゃんもいたので
毎年、ムリヤリPTA役員さんにさせられ続けているので、
イヤイヤでも、園長と顔をあわせる機会が多いのです。

私が園長に言われたのび太の大変さを彼女に話すと、

「ちょっと、ひどすぎない?!アイツ、ホント、許せないよ!
 実はさ、あまりにもひどい言い方、って思ったし、
 何で私に言うの?って思って、のび太くんママにも
 言えなかった事があるんだよ。

 運動会のとき、役員でゲート前にいた時、
 並んでたのび太君と私『イエ~イ!』ってハイタッチしてたの。
 それを見ていた園長が
 『あら~のび太くん、Nくんママと仲良しなのね~
 この子はホントに手がかかって毎日大変なのよ~
 あなた、来て、この子の保育してくれない?』
って・・・

 それも、のび太くんがいる前でだよ!
 のび太君だけじゃない、ほかの子もいっぱいいたんだから!」


え?!
なんですと?

あんた、私には

「ほかの父兄に話す、なんてとんでもない!
 昔はこういう子は『たたられた』って言われたんだからね!」

なんてこと言っといて、
自分は愚痴をこぼすかのように、軽々しく、ほかの子の親に
そんなこと、言っちゃうんだ!!!


Nくんママは園長に言われたときに

「のび太君、近所で遊んでいるときはいい子ですよ!
 きっと、園長先生のことが苦手なんじゃないですか?!」


と、暴言には暴言返しで、切り替えしてその場を去った、という
かっこいいNくんママ。


ありがとう。

のび太も私も、本当にお友達に恵まれている。




それから1年半、時は流れ、卒園式の後、謝恩会で盛り上がり、
子供たち&親が手をつないで作るアーチの中を、
先生方が通ってお別れする・・・

というとき、誰もが嫌なんだけど、園長も通ります。

私とのび太の前を通るとき、園長はここでもこれ見よがしに

「のび太君!お母さん!これからが大変よ!頑張ってね!」

と、私の肩をぽんと叩きました。


ムカッときたワタシ。

でも、オトナですから・・・落ち着いて・・・

「のび太もワタシも精一杯 頑張ってます!
 これ以上は、頑張れません。」


と言って、頭を下げ、次の先生と早々に握手しました。


園長には記事にしていないことも、まだまだたくさんびっくりするようなことを言われ続けました。

せめて、最後に、ワタシだって嫌味たっぷりに返してやっちゃいました。

これくらいは、神様も許してくれるだろうさ・・・




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