2011-03-10 (Thu)
「お母さん!○日にYくんの家に遊びに行っていい?」

帰ってくるなり満面の笑みで尋ねるのび太。


「え?え?Yくん?」


Yくんとは同じP中学校に進学する子。

同じクラスの男子ではのび太とYくんだけだ。



「あのね、スーパーの前でTくんと待ち合わせして
 Yくんちに行くんだ」


のび太は今まで、放課後誰かと遊んだ事は
皆無だといっていい。

誘われなかったのか、誘われても断っていたのか、
そういえば「ぼく、放課後、遊ぶ暇なんてないもん」
と言ってた事があった。

多趣味で家で暇がないくらい興味のあることが多々あるのび太。

算数の問題を自分なりにアレンジしてみたり、
歴史の本を読んだり、
漢検1級の漢字を書きなぐったり、
競馬や宝くじの当選確率の計算をしてみたり・・・

家に一人でいても暇だから友達とゲームをする、
という、多数派の子にありがちな余暇は過ごさない。

ひとりで楽しめる趣味がたくさんあって
時間が足りないくらいらしい(笑)



というか、おそらくどうやって友達とアポをとり、
どういうことをして遊ぶのか
そういうことも想像できなかったろうし、

まあ、多分誘われなかったんだろうな…


小学校生活もあと少しで終わるというこの時期に
初めての「お友達と約束して遊ぶ」体験だ。






「いいよ。とにかく自転車気をつけて行くんだよ。
 それから4時にはお友達の家を出るんだよ。
 あ、あとね、お友達の家に行ったら
 ちゃんと『お邪魔します』って挨拶して、
 靴をそろえて、大騒ぎしたり迷惑になるようなこと
 しちゃダメだよ!
 
 ・・・あ!それからね・・・」



「わかってるってば!大丈夫!」



なにせ、「お友達の家に行く」というスキルは
未経験だし経験値はゼロだから、
攻略法(笑)をある程度、伝授しておかねば、と、
思ってしまうワタシ。







しかし、その日は「4時には家を出ること」と言っておいたが
4時には家についていた(笑)

この辺がASタイプなのか?!










そして、またある日、

「お母さん!今からYくんとTくんとKくんと
 のび太地区を自転車で探検してくる!」

と(笑)



「はいはい。気をつけて行っておいでよ。
 交通ルールはちゃんと守ってよ~」


嬉々として飛び出していったのび太。




実は、先日、小学校最後の参観日に
「今、思うこと」をひとりずつ1分間スピーチする授業だった。

小学校生活を振り返り、思い出や感謝の気持ちを
伝え合おうという内容。


みんな、家族や友達、先生への思いや、将来の夢、
心に残った思い出、頑張った事、楽しかった事、
それぞれ思いのままに綴ったものを読んだ。

他人の子の文章でも胸が熱くなるのだ。

みんな成長したなぁ~・・・



その中で、Kくんのスピーチ。

「ボクは入学した時は引っ越してきたばかりで
 友達もいませんでした。
 友達が出来るか心配でドキドキしていました。
 でも、すぐにのび太くんと友達になりました。
 それから、ずっと同じクラスだったので
 ずっと友達でした。
 のび太くんがいてくれてよかったです」

といったような内容のスピーチだった。



そういえば、入学式の日、のび太の前に並んだKくんに
のび太は抱きついたりふざけて声をかけたりして

「ああ・・・早速、のび太のしつこいまとわりつきが
 はじまっちゃったな~
 Kくん、嫌がってないかな~」

と、心配してみていたのだった。



Kくんが引っ越してきたばかりだった事も知らなかった。

それより何より、他の子のスピーチに
のび太が登場するなんて驚き!と共に、
なんだかとても嬉しかった。





そして、Tくんのスピーチ。

「ボクは、入学してもなかなか友達が出来なくて
 休み時間もいつも一人でいました。
 でも2年生になってのび太くんと同じクラスになって
 仲良くなって、やっと休み時間も遊ぶようになりました。
 のび太くんと出会わなければ、ボクはずっと、
 ひとりで休み時間を過ごしていたかもしれません」


えええ?Tくんの文章にものび太登場?!


そうか、そうだったのか。


確かに、2,3年担任だったKP先生(懐かしい愛称・・・笑)が
「いつもKくんとTくんと遊んでいますよ」

って、連絡してくださった記憶がある。



のび太が誰かの「思い出の人」になってるんだ。

それも、KくんとTくん、ふたりも。



私は、のび太はいつも誰かに、
遊んでもらう、一緒にいてくれる、助けてくれる・・・
そんな風に受け身に思っていた。

しかし、違った。

のび太は、「誰かのために」も存在していたのだ。


当たり前だけど。




でも、のび太のようにいつもクラス替えのたび、
「配慮」を担任にお願いしたりしていると、
どうしても「遊んでくれる」「助けてくれる」といった、
「~してもらう側」目線になってしまっているのだ。


ごめんよ、のび太。


のび太はこの小学校で、確実にKくんとTくんの
「最初の友達」として二人の心に刻まれてるんだね。









のび太地区探検から帰ったのび太は
それは楽しそうだった。




「そういえばさ、KくんもTくんも
 参観日のスピーチで、のび太のこと、書いてたよね。
 二人とも、のび太のこと『初めての友達』って
 言ってたよね」


「うん。ビックリした。
 あんな風に言ってくれるなんて思ってなかったし。

 いろんなことがあったけど、
 KくんもTくんもボクに嫌な事は一回もしなかった」


「そっかぁ~。いい人だね。
 そういう友達は中学校は違っても
 絶対にずっと大切にしなきゃダメだよ」


「うん。やっぱ、こういう人が『友達』って言うんだよね?」


「そうだね。」






「初・放課後友達と遊ぶ」体験は
「初めての友達」と、だった。



小学校生活も終わりに近づいた今、
「初めて」に、あったかい気持ちにさせられるのだ。

こちらはまだまだ吹雪いてるけど、
心はちょっと、春、なのだ。











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2010-11-01 (Mon)
また、いじめによる自殺者が出た。

のび太と同級生の女の子。




散々いじめを経験したのび太のことを
学校に相談しても1年以上、改善されずに
放置された経験を持つものから、発信したい事がある。




いじめがわかったら、小さいことでも全て学校に報告して欲しい。

「いじめ」などという軽い言い回しでごまかされてはいけない。

「いじめ」と言うものは、
「恐喝罪」であり「侮辱罪」であり、 
時には「暴行罪」「傷害罪」「器物破損罪」「窃盗罪」にあたる
れっきとした「犯罪」として成立すると言う事。

こちらが被害届けを出せば
「犯罪」として捜査されるのだということを
こちら側も、学校側、いじめる側にも認識してもらう事が必要である。


担任でダメなら教頭、それでダメなら校長、
それでダメなら教育委員会、それでダメなら、
警察に相談するしかない。

担任でダメだった時点で、子供は学校を休ませるべきだ。

校長でもダメだったら、絶対に学校に行かせてはいけない。

校長でもいじめを改善されない学校は、
子供にとって武器も防具もない状態の戦場でしかない。

人間の尊厳を大切にすることを教育できない学校に
勉強を教える資格はない。

子供の命より、自分達の立場を守る事で
言い訳を繰り返すような学校はもはや「教育の場」ではない。







この学校側は、「いじめの認識はなかった」と言うが、
女の子は一年以上も前から作文や日記などでSOSを発信していた。

ご両親も何度も学校側にいじめの相談をしていた。

学校もしばらく休んでいたと言う。



これだけSOSを発信しておきながら
それでも「いじめの認識はない」と言い切る学校。


このニュースを一緒に見ていたのび太が、

「この先生たち、命より自分の立場の方が大事なんだ」

と言った。



健全な思考が出来るなら、
おそらく100%のび太と同じように思うだろう。




悲しいかな、子供達にとって担任と言うのは
「当たりハズレ」がある、バクチと言っても過言ではない。

身を持って経験してきた私ものび太も
残念ながら心からそれを感じている。
(過去記事に記してあります。
 4年生2008秋~2009春あたりに詳細記事あり)

自分ではどうする事もできず、「学級崩壊」と噂され、
それでも「自分は懸命に指導していても、
今の子供達はゲーム世代だからどうかしている」と、
全てを子供達の質のせいにして、
責任逃ればかりを言っていた4年の担任。

のび太が心を壊してしまいそうになっていると言うのに、
「いじめはない。小さないざこざは毎日あるけど」
と、軽く言ってのけた。

その、意識の軽さに愕然とした。

自分ではのび太へのいじめを対処しきれず、
校長、教頭、隣の担任へと助けを求める始末。

「のび太くんへの嫌がらせ(決して「いじめ」とは言わない)が
 何度言っても収まらないので教頭先生に叱ってもらいました」

と、平気で言ってのけた。

自分の指導力のなさを恥じる事もなく。



担任が変わったら、新学期3日でのび太へのいじめを
解決してくださったC先生。

4年生の担任が、のび太へのいじめは
ゲームばかりしている子供のせいにして、
言い訳ばかりを繰り返して、改善できなかったのに、
一喝して反省させて
「不公平不平等嫌がらせは絶対に許しません!」と
宣言した事で、あっという間になくなった。




つまり、教師の指導で、いじめはなくなるのが当たり前なのだ。

子供達のやり取りの中では、
どうしてもいじめや仲間はずれのようなことは起きる。

未熟な子供達ではそういうことが起きても仕方がない。

しかし、それを叱って正しい方向に導く、
大人の存在が不可欠なのだ。

それを放置する事で、子供達はいじめが否定されないことで
どんどん加速してどんどん残虐さを増す。

「いけないこと」と心のどこかで感じつつ、
それを修整されない事が「間違いではない」と勘違いする。

さらに多数で少数をいじめることで、
罪悪感はますます薄れていく。

正しく指導されないでいる「いじめる側」の子供達も
ある意味、被害者である。

少女の命を自分達の言動、行動で追い詰めた、
という苦しみは一生背負っていかなければいけないのだ。

正しく指導してもらっていたらこの子たちも、
心に負う傷はこれほど深くはなかったはずだ。

つまり、「いじめ」というのはある意味、
直接手を下さない「殺人」でもある。

命を絶たないまでも、心をメチャクチャにしてしまえるいじめは
「殺人未遂罪」でもある。

それを阻止できない大人は同罪だ。

いや、もしくはもっと罪深いといっていい。






私たちは担任の指導力の力量の差を
まざまざと実感してきた。

担任には残念ながら「当たり外れ」がある。


もし、「いじめ」で苦しんでいる子供達、
我が子が「いじめ」で悩んでいる親たちが、
たまたまこれを読んで下さっているのなら、
もう一度、上記の赤文字部分を
読み返して欲しいと思う。



亡くなった女の子が命をかけて私たちに訴えていることを
絶対に無駄にしてはいけない。




絶対に、命を守らなければいけない。

人間の尊厳を守ってくれない学校には
命をあずけてはいけない。















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2010-08-31 (Tue)



「お母さん!またまた大変な事が起きたんだよ!」


と、C先生が毎週書いてくださる学級通信を出した。





簡単に言えば「いじめ」だ。

「なあんだ。そんなのよくあることでしょ?!」

と、思うだろう。


のび太も4年生までいじめられる側の人間だった。

だからといってクラスでそれを議題にして
話し合ってくれたり、
学級通信で問題にしてくれる担任は
それまでひとりもいなかった。

「子供同士ではよくあること」

「いざこざの中から学ぶ事もある」

「お母さんの心配し過ぎですよ」

「子供達はのび太くんのいじめのことも
 それほど意識していませんから」

「そういういざこざなんてあまりにも多すぎて
 一つ一つ対処していくなんて出来ません」

「子供同士のいざこざは『ケンカ両成敗』です。
 いじめる側もいじめられる側も悪いんです」


こんな風に言われ続けていた。

いじめられて傷つけられる側の心の傷に
ちゃんと向き合ってくれた担任はいなかった。



しかし、5年生になりC先生の担任になったとたん、
のび太へのいじめはなくなった。

詳しくは過去にも記事にしたので割愛するが

(一応、過去記事リンクしておきます
         →①こちらをクリック
          ②こちらもクリック  興味のある方はどうぞ)
C先生は小さないじめも嫌がらせも不公平な接し方も
絶対に許しません!と、
のび太のいじめを一掃してくれたのだ。



しかし、その後も何度かいじめは発覚した。

でも、そのたびにC先生は当事者だけの問題ではなく
学級としての問題として取り上げ、
クラス全体で話し合い、
それらを包み隠さず学級通信で報告してくださる。

というか、これが教育として当たり前のことなのだろうが
こういう事をしてくれる教師は、
残念ながら余りいない。

だから、とても新鮮に心に響いてしまうし、
いじめで心がボロボロになったことのあるのび太を
安心して送り出せるのだ。



学級通信によると、



①不平等な接し方をされる側

②不平等な接し方をする側

③気づかない・見て見ぬ振り・わかっているが何もできない



3つの中から正直に自分の位置を明確にして話し合った。

「どんなことが起きていたのか」を明らかにしたことで
それが確実に「いじめ」であることを確認し、

さらに、再びこのような事が起きないように
自分はどうして行くのかをひとりずつ確認しました。

ということである。



実際の学級通信の内容はもっと詳細に渡って
「どんないじめが起きていたのか」
「今後、自分はどうするか」について出た発言が
たくさん明記されていました。






読んでいて悲しくなった。

のび太のいじめがフラッシュバックされてきた。

涙が出てきた。


のび太の話によると今回のいじめの対象になった子は
女の子だったが、
いじめる側に女の子がたくさんいた、とのこと。

のび太はそれが驚いたらしい。




「のび太は①②③のどこの位置?」

「ボクは③」

「③の中でもいろいろあるけどどれ?」

「ボクは『気づかない』」

「(笑)・・・だろうね~・・・」

「ボクさ、ホントにそういうことが起きてたなんて
 全然、わかんなかったんだよね」

「そうだろうね~のび太は自分の事で精一杯でしょ?」

「そうかも。」



のび太は本当に周りの事はほとんど気づいていないのだろう。

ASならではだがそれはそれで考えものだ。




「のび太は②の不平等な接し方をする側になった事はないよね?」

「ないよ~」

「そうだよね。お母さんはのび太を信じてるから
 ②の側になる事はないと思ってるよ。
 のび太は①の側でずっとつらい思いをしてきたんだから
 絶対に②の方になってはいけないんだからね。
 いじめられている人の気持ちが一番わかるでしょ?
 そういう人の見方になってあげないといけないんだよ」

「うん、だけど、気が付かないんだよ」

「気づいたらでいいよ。
 自分がされて嫌だったことを他の人に向けたら
 お母さん、絶対に絶対に許さないからね」

「わかってるよ。でも、気づかないんだよ。
 どうしてみんな周りの人のことも気づくんだろう?」


「う~ん・・・意識するかしないかの差かな~?」




なぁ~んて言ってみたけど、のび太に周りの様子も意識しろ!
というのはなかなか難しいかもしれない。






まあ、のび太が周りの事は意識できない事はさておき、
「いじめへの担任としての対処方法」として
記録しておきたいと思って記事にした。



発達障害があるとかないとかそういうことは無関係だ。

どんな場合も「いじめ」「嫌がらせ」は許さない!
という大人側(担任)の一貫した毅然とした態度が
一番大事なのだ。

のび太が4年生まで教師達から言われてきた、
上記の「面倒な事からのかわし文句」を
同じように言われてきた人たちはたくさんいるだろう。

だけど絶対に解決にはならない。

大人が当たり障りのない変な大人目線で見ているから
いじめられる側の子供達はますます傷を深くするだけだ。

そしてその傷は一生消えない。

いじめている側はもちろん「加害者」だが
そういう大人たちも「加害者」だ。

子供達より罪は大きいのだ。





こういうことは子供達の間では良くある事だろう。

しかし、明らかになるたびにC先生の対処で
100%改善されているのだ。





事なかれ対処で傷ついた子供の心を放置している大人に
是非、伝えたいと思う。



あなたはいじめの加害者だ。

解決できる教師もいるのに解決できない、
しようとしないこと自体が
いじめている子供より大きな罪を犯している。

傷ついた心の傷は一生消えない。

そして、何もしてくれなかった大人のことを
一生、忘れない。













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2010-08-10 (Tue)
先日、担任のC先生と面談がありました。



「のび太くんはとても明るくてみんなから信頼されています。
 仕事に対する責任感が本当に強くて
 みんな、一目置いていますよ。」


以前から言われていたが相変わらずなのび太。

これもASタイプならではの
「決まりきった事はしっかりやらねば気がすまない」
部分だろうが、そればかりではないだろうとも思う。



「それに、お友達関係も大分、いい感じです。
 ひとりで過ごす事もありますが、
 誘ったり誘われたりして休み時間に遊んだり、
 お友達に『ドッヂボール、うまくなったね』って
 言われたりして、近すぎず遠からずの
 いい関係を保っているようです」



のび太は相変わらず、放課後遊ぶ事はない。

しかし、学校生活で友達関係がうまくいっていることは
想像できる。

本当に安心して学校に送り出せている。


それもこれもC先生の配慮のおかげだと思う。







「それから、P中学(のび太の志望校)受験の件ですが、
 のび太くんは学校の成績から言えば
 全く問題ありません。
 自信を持っていいと思います。
 ただ、中高一貫校は入試問題が独特なので
 その傾向に慣れていかなければ、と思います。
 先日やったテストが中高一貫校入試問題に近い内容でしたが
 (聞き取り問題と資料を見て答える問題)
 のび太くんにしては『あらら?』って点数で(笑)
 だからそこを頑張っていけばいいかな、と思います」



そうそう。

記事にもしたけどのび太はあのふたつのテストで
結構ガックリきて、でも、そのおかげで
ヤル気にもなったのだ。





「塾に行かせているだけで安心して自分の子がどの程度なのか、
 全くわからない親御さんもいますから、
 家でお父さんお母さんと勉強するというのは
 とても良い事だと思いますよ。
 お母さん方は大変だと思いますけど(笑)」


そうなのだ。

はっきり言って私が毎日、勉強のノルマを決めて
丸付けして間違いを解説してもう一度させる、
というのは、ツライ(笑)


でも、のび太本人が 塾には行かないで家で勉強したい、
と言うので、無理矢理いかせるわけにも行かないし。








「ただ心配なのは面接ですね~
 面接だけは傾向とかもあるし、
 家とか学校では経験できないし、
 のび太くんはやっぱり『こういう面接がある』っていう
 経験をちょっとでもしておいたほうが良いから
 少しの間だけでも塾に行ってみるといいかもね~
 面接だけでも塾で経験させてくれないのかしらね」







・・・・・ホントにそうである。




忘れていたわけではないが、
面接については頭の中で後回しになっていた。










面接・・・・・



想像しただけでも笑える(爆笑)










おおお・・・やっぱり、経験しておいた方がよかろう・・・









面接・・・・・






爆笑の渦にしてしまいかねないよな・・・(笑)









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2010-07-08 (Thu)
クラス便りに、


「遊びプロジェクト始動」という記事があった。


6年生として学校全体のリーダーとして
いかにリーダーシップを発揮していくか

と言う事らしい。



普段、あまりしていない部分の掃除を率先してやる、
という掃除プロジェクトと、

学年の枠を超えてみんなで楽しく遊ぶために
リーダーとなって下級生と休み時間を
遊んで過ごす遊びプロジェクト。



昼休みなど、低学年のクラスにお知らせして
「一緒に○○をして遊びましょう」
というものらしい。




「これって、全員が同じ遊びをする、っていうこと?」

と、のび太に聞いた。


「そう。
 今日はコロコロドッジボールだった。」




「これって、全員、参加しなくちゃいけないの?」


「うん、クラスで決まった事だもん」


「へえ~。
 でもさ、休み時間くらい、ひとりで自由に
 過ごしたい人だっているんじゃないの?」

「うん、まあ、ボクもそうだけどさ~
 でも、決まった事だからしかたないし」

「1、2年生の子も全員、参加しなきゃいけないの?」

「しなきゃいけない、っていうか、
 一応、そんな感じみたい」

「なんで?」

「6年生のリーダーシップを発揮するため」

「そのために1,2年生が無理に遊ばされるんだ」

「無理矢理には誘わないけどね。
 でも、嫌な子もいるみたい」

「そりゃあそうでしょう。
 のび太だってひとりで居たい時だって
 あるでしょ?」

「あるけど、決まっちゃったし。」

「だよね~集団生活って辛いね。」

「辛い(笑)」

「1,2年の子、無理に誘っちゃダメだよ。」

「解ってるって」







学校生活の中で唯一、自由になれる(可能性のある)
休み時間まで管理されちゃうのか・・・


みんなで何かすることがそんなに素晴らしい事なのか?




私が小学生だったら、タマラナイ・・・







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