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2011-04-21 (Thu)
お久しぶりです。

まずはじめに、コメントやメッセージ、メールなど下さった方々、
どうもありがとうございます。

いつもとっても心強く勇気付けられています。

申し訳ありませんが、ひとりずつへのお返事を書けるような
心の余裕はありません。

すべてとてもありがたく嬉しく読ませていただいておりますが
そのような状態であり、お返事は出来ません。

ごめんなさい。どうぞご理解下さい。




のび太の成長記録として、とにかくたくさんたくさん、
記事にして残したい出来事があるのですが、
私の精神状態の方がついていかないまま
時間だけが過ぎていっている感じです。

コメント欄は開けておきます。

でも、私からおひとりおひとりへのお返事はないものと
思っていただければありがたいです。

それでもかまわないよ、と言う方だけ
コメントしてくだされば幸いです。









毎日毎日、震災のニュースばかりだ。

他の地区はわからないが、こちらではテレビコマーシャルさえ
AC関係ばかり。

「日本の力を信じてる」って、
一体、誰がどこに向けて言っている言葉なのか、
上から目線で被災者へ向けての言葉ではないことだけは
どう見ても明らかだよね。

個人的には、もう、津波の映像を何度も流すのだけは
止めて欲しいと思ってる。

あの波の中にたくさんの命が思い出が飲み込まれている、
と、解っていて映像を流しているのだとしたら
日本のテレビ業界って最低だな、と思う。

目にするニュースは、お涙ちょうだい的なものばかり。

感動秘話や美談ばかりを探しまわされる避難所は気の毒だ。

実際はもっとシビアで現実的で残酷なのだが。








さて、のび太地域は津波被害がないだけで
地震被害は最悪な場所だ。

ニュースはより映像として衝撃的な方を求めるので
この辺の被害など地元紙も地元局も殆ど取り上げない。

そればかりか、これだけ道路も公共施設も店舗も民家も
かなりの被害がありながら、
津波被害地に近く沿岸への交通拠点であると言うことで
被災地でありながら被災者支援を求められている地域である。




毎日、少しずつ形を変える陥没や亀裂のある道路を
のび太は30分以上かけて自転車で中学へ通い始めた。


「被災地支援」とか「緊急車両」と記された
自衛隊の車両や遠方の県外ナンバーの大型車両が行き交う。

一人で歩く事さえ危なっかしいくらい
危険察知度が低いのび太(笑)

そんなヤツが自転車で30分・・・(汗)

初めの日は帰ってくるまで胃が痛かった(笑)




そんなのび太が連日の震災関連のニュースを見て、

「こんな大変な事が起きているのにボクは無力だ」

と、終始、つぶやいていた。


自分より幼い子たちが避難所を回って物資を配っていたり、
両親を亡くした子が笑顔で頑張る姿に
衝撃を受けたらしい。

「じゃあ、のび太は何が出来る?
 何か支援できるの?」

と、聞いてみた。


「う~ん・・・」


あるはずない。


「『自分に出来る事を頑張ろう』って言うけど、
 どーゆーことかわかんない」


そうそう。

最近、「自分に出来ることを精一杯頑張ろう」って
当たり前のことをこんな緊急事態に言われても
なんのこっちゃ?って感じだよね。



のび太が入学したP中学は県内から選抜された子たちが
通う学校だ。

都会ではよくあるのかもしれないが
片道2時間の通学までして通う子もいる、なんて
数年前まではありえなかったのだ。

県内で選ばれし生徒が通う中学に
この時期に入学するのび太たちは何か意味があるんじゃないのか?

そんなことを言ってみた。


「のび太、津波でたくさんの子供たちも亡くなったよね。
 きっと、のび太みたいに勉強が大好きで
 もっともっと勉強したかったって思いながら
 亡くなってしまった子はたくさんいるんだよ。

 のび太はそんな子供たちの分も頑張って勉強すればいいんだよ。
 そうすれば、のび太が停電の時でもろうそくの灯りで
 数学の勉強してたことが、もしかしたら未来に、
 津波や地震の研究に繋がっていくかもしれない。
 大好きな地図のことが津波被害に遭った町の復興に
 繋がっていくかもしれないよね。

 この県内から選ばれたのび太たちは
 ここを復興していく選ばれし者たちなんじゃないのかな?

 今は無力かもしれないけど『今、自分に出来る事』って
 のび太たちは誰よりも勉強することなんじゃないのかな?」






遠い未来を想像する事の苦手なASタイプののび太には
ちょっと難しい話だろう、と思ったけど、
これが腑に落ちたみたいで。



「なるほど!それだったら、ボクは出来る!
 じゃあ、ますます勉強、頑張る。
 でも、この関数とかって復興にどうやって繋がるんだろう?」



確かにね(笑)








そう言って始まった新しい生活。

今はまだ、緊張と疲労の毎日。

とにかく、スタートしました。












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| 発達障害児・被災地に生きる | コメント(1) |
2011-04-12 (Tue)
ご無沙汰しておりました。

こちら、7日の余震で恐怖再び・・・でした。


余震のあと、心配してコメント下さった
ふわりんさん、秘密コメのKさん、

メールを下さったCさん、Aさん、Wさん、
今日までコメントもメールも気がつかなくてごめんなさい。

本当にありがとうございます。
とても心強く、そして何より励みになります。

心配していただける、ということって、
なんて心強いのだろう、幸せなことだろう、と
実感しています。

申し訳ありませんが、ひとりずつにお返事が出来る状態ではありません。
この記事をお返事に変えさせてください。
本当にごめんなさい。





さて、その余震で停電、断水、情報なしの世界に逆戻り。
(現在は復旧しました)

せっかく片付けた本棚やらクローゼットは
3月11日より酷い事になっています。


ハッキリ言って、のび太地方は3・11より
4月7日の被害の方が深刻で、
(おそらく3月11日で弱くなったところに
 追い討ちをかけられた感じでしょう)
半壊、全壊などで住めない家も続出。

私の実家は階段の手すりが崩落しヤバイです。


そういう我が家も基礎部分も欠け、壁もひびだらけ。

サッシは吹っ飛び、隣家のサッシは飛んだ勢いで割れました。

近所では2階のサッシが落下し、車のフロントガラスを直撃。

我が家のアンテナは落ちて未だにぶら下がった状態です。
(でも何故か映る地デジ・・・スゴイ)

道路の亀裂、陥没、凹凸などもさらに酷くなっていて、
いつもの景色、見慣れた私の街はどこへやら・・・

近所の家は敷地内が大きく陥没して家も傾き、
そこの脇を通る道路もろとも「危険区域」「通行止め」で
小中学校の通学路が遮断されています。

のび太小学校の入学式もさらに延期・・・。

始業式だけしたのにすぐに休校になっています。


市内の学校でも「使用不可」の校舎や施設が増え、
この先どうなってしまうのやら・・・



やっと開通した電車や新幹線も再び不通に。

高校生達も通学困難になっています。




毎日毎日、引っ切り無しの余震。

地震酔いも悪化していまして慢性の吐き気、頭痛が続きます。

洗濯機の震動すら地震か?!と身構えるほど。

風が吹いても揺れている感じさえしてしまいます。


おそらく、誰もが毎日、おびえていて心配で、
精神的に不安定なのだろうと思います。

私だけではないのですが・・・




もちろん、津波や原発の被害は深刻ですが
地震そのものの被害で言ったら
のび太地方はおそらく一番ひどいのではないか、

それなのに、何故、メディアで取り上げないのだろう、
と、市内の住人はみんな思っています。






のび太のこともいろいろ記録したいのですが
とてもそういう精神状態にはなれない毎日です。

また、4月7日クラスの余震が起こるとも言われていて、
散乱した部屋の片付けもする気になれず、
足の踏み場もない部屋ふたつを放置しています(笑)





落ち着いたら・・・って言っても、一体いつ落ち着くのか
皆目検討もつきませんが、

気持ちの余裕が出来たら、少しずつ記録していきたいと思っています。










コメント欄はあけておきますが、
お返事は出来ないと思います。

それでもいい、と言う方だけ、コメントいただけたら嬉しいです。

何よりの心の支えになりますので・・・






| 発達障害児・被災地に生きる | コメント(10) |
2011-03-29 (Tue)
毎朝、愛犬ロックと散歩する道。

この前まではなかった大きな亀裂が
幾重にも入っている道を歩く。

歩道もうねってデコボコに隆起している。

つまづきながら、歩く。


近くの公民館は外壁がほとんど落ちてしまって
むき出しの鉄骨が痛々しい。

石碑は土台から落ちて砕けている。


うちのすぐ前の国道には「通行止め」の看板がある。

この先の道路ががけ崩れで通り抜け出来ないらしく
迂回路を示す看板もある。

でも、通行止めの向こうものび太小学校の学区。

この先を行っても友達には会えない。




全国チェーンの大きいデパートの看板が傾いた。

外壁も崩れて自転車置き場の屋根を貫いて
落下したままの状態になっている。

2階の損傷が激しく1階のみの営業。


このデパートにのび太の制服を注文していたので
受け取りに行ったら「職員通用口」に回された。

長い時間待って、若い店員さんが
とても大事そうに宝物でも運ぶかのように
のび太の制服が入った箱を抱えてきてくれた。


「スミマセン。暖房もなく寒いところで長い時間、
 お待たせしました」

と、また大事そうに箱を開けて確認してくださった。

寒さに凍える手で領収書を書いてくださり、

「お家は大丈夫でしたか?」と気遣う言葉をかけてくれる。

「お品は大丈夫です。大事に保管しておきましたので。
 でも、何か不備がありましたら遠慮なくお申し付け下さい」

と言って下さる。




その脇のミスドもガラスが全部割れて
ブルーシートに覆われている。



ユニク○も本屋も営業できないまま。

その店の前をガソリンスタンドの給油を待つ
車の列が、どこまでもどこまでも連なっている。


自宅も外壁にも亀裂が入っている。

中の壁などはひびだらけ。
壁の奥のものが飛び出してきている。

階段のきしみは怖い。

余震があるとギシギシいう柱。



食器棚の食器は半分以上のものを失った。

急須がないのでティーポットで淹れている(笑)

カレー皿も全滅。小皿も全くなくなった。



押入れやクローゼットをなぎ倒して出てきた荷物は
何とか元の位置に収めたけど、
大きな余震でもあったら同じ事の繰り返しだろう。








この街は内陸なので津波の被害は皆無だが
地震での被害はかなり大きいらしい。



未だにかなり大きい余震が頻繁に起きる。

私はいわゆる「地震酔い」という症状で体調不良だ。

常に揺れている感覚。

吐き気、頭痛、めまい、そして強い不安感が
いつもいつも心の中にある。

ちょっとしたことですぐ泣いてしまう。

音楽を聴いても本を読んでも、震災関係のニュースなんか
号泣せずには見ていられない。


そして、ちょっとした優しい言葉とかに
簡単に泣いてしまうのだ。




まだ、電気も水道も不通で町中の店が閉まっていた時、
店頭でのみ、少量、販売してくれる店が
チラホラ出てきた。

私とのび太はロックのフードを求めて
ホームセンターの列に並んだ。

店の中は危険なので、外で店員さんが注文を聞いて、
店内から持ってきてくれてそれを外で会計するのだ。

と言っても、店員さんたちだって被災者だ。

自宅はきっとうちのように壊れたものが散乱しているだろう。

ガソリンがないのに何とか出勤して
私たちのためにお店を開けてくださっていることに
のび太と感動しながら並んでいた。

みんな懐中電灯、電池など求めて並んでも
既にそれらは売り切れていた。

寒かった。
吹雪の中、1時間くらい並んだだろうか。

やっと、順番になった。


「寒い中、大変お待たせいたしました。」

と、深々と頭を下げた。


「いえいえ、大丈夫です。かえってすみません」

と腰の低い客の私たちは頭を下げた。


そして、ロックのアレルギー用のフードを手に入れ、
会計を済ませると、

「寒い中、大変お待たせいたしました。
 どうかお気をつけてお帰りください」

と、客の帰り道まで案じてくださる店員さんに
私は泣いた。




この街はスゴイ、と。

なんて優しすぎるんだ。









電気、水道が復旧して実家から家に戻った。

しかし、電気水道はあるが、食料が何もない。

ガソリンもないので簡単に買い物にも行けない。

近所に小さい店がある。

普段は子供たちがお菓子を買うくらい、
タバコやビールが売ってるくらいの小さな店。

そこに
「豚肉細切れ、ブタばら肉、鶏ササミ入荷」
の張り紙が出た。

普段は肉なんか売っていないのに。


肉!!!

もう、何日も肉を食べてないのでこれはありがたい。

のび太は「肉~~~肉食べないと力が入らない~」
なんておどけていたが。


入ってみると丁寧に包装されたお肉が
100グラムに分けられて売っていた。

でも、あと、二つしかなかった。


「えっと、じゃあ、ひとつで良いです。
 豚肉細切れの方、下さい」

というと、

「え?ふたつあるんだからふたつとも買ってくださいよ」

と言われた。


「え~でも、お肉って今、どこにも出てないから
 貴重だし、次の方のためにひとつ残しますよ」

と、いうと、

「そうなんだよね~
 みんなそう言って、『ひとつでいい』って言うし、
 一種類ずつ3袋買って良いよ、って言っても、
 『他の人も欲しいだろうから』って
 みんな遠慮がちに買っていくんだよね。

 でもね、もう、ふたつしかないし、
 もう店も閉めるからふたつ買ってってくれた方が
 ありがたいので、ふたつ、買って下さい」

と、言われて2袋のお肉を手にした。


みんな、誰が買いにくるかもわからない、
次に買いに来る人のために、
たった100グラムずつのお肉を少しずつ買っていく。





そんな街が、この街だ。



津波の被害にあった街などは年配の方々が多く住む、
昔からの代々の土地を守って
つつましく真面目にそこに生きてきた方々が多い。


自分の痛みを大声で叫ぶ事なんてしない、

誰かの痛みを思いやってばかりいる
優しい人々の住む街だ。






のび太は今、6年間使ってきた
ランドセルを磨いている。

津波でランドセルをなくした小学生に
使ってもらうためだ。

「ああ、こんな事になるんだったら
 もっと大事に傷つけないように使うんだったな」

なんて今更ながら後悔している(笑)



全校児童の3割しか安否確認できていないという
小学校もある。

波に消えた尊い命も悔しいが、
残された子供たちの心の傷を思うと苦しくて仕方がない。



大人でさえ辛くて辛くてたまらない出来事に
立ち向かっていく小さな心を思うと
本当に神様と言うものを恨んでしまいたくなる。


だけど、困難と言うものは
乗り越えられる人にしか与えられない試練らしい。

だとしたら、小さな子供たちの歩く未来に
優しいこの土地の思いやりがきっと
子供たちを笑顔にしてくれるんだろうと思う。







瓦礫の山、亀裂の入った道、崩れ落ちそうな建物

その中でも、誰かをいたわる「思い」は
絶対にゆるがない。







 
| 発達障害児・被災地に生きる | コメント(12) |
2011-03-24 (Thu)
~~~追記~~~

これまでたくさん勇気付けられるコメントをいただいてきたのに
お返事できずにいました。

ごめんなさい。

本当にありがとうございます。

この記事のコメントからお返事をさせていただく事にしました。

それ以前のコメントの一人一人へのお返事は
勝手ながらこれまでの記事に代えさせていただきたいと
思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



とにかく、今の気持ちのまま記録したくて
おかしな文章のままでアップしています。

それでもいいや、と思いつつ。

単なる自分の覚書になってる感がありますが
それでも記録して残しておかねばと思うのです。


いろんな考えがあって否定的にごらんになっている方も
あるとは思います。


でも、ここに否定コメントだったら残さないで下さい。

否定的な方は読まれないで下さい。


ぐっちゃグチャな精神状態でおります。

それでもいいという方だけ読んで下さると嬉しいです。








いつもだったらこのくらいの時期は沿岸は暖かくて
一足先に花が咲いた・・・なんてニュースがあるくらいなのに
どうして今年に限ってこんなに寒いのだろう。

私は神様を恨んでしまう。


のび太地方も寒い。


延期になった卒業式の日も吹雪いていた。


「暖房が復旧していません。
 寒いのでコートを羽織ったままで結構です。
 暖かくしてお座りください」

との言葉に甘えてコートを着ていても
体の芯から冷える。

でも、避難所の方たちはもっともっと寒いだろう。



この地方の学校の体育館は暖房設備がある。

もちろん、普段の体育の授業ではつけないが、
式典の時などは広い体育館は外気と変わらない寒さだ。

だから、学校の体育館を避難所にされているといっても
それは寒さをしのげる場所ではない。

灯油もなく毛布も少ない避難所の寒さは
どれだけ寒いのだろう、と案じてしまう。







はじめにこの災害で命を落とした方々の冥福を祈り
黙祷からはじまった卒業式。

前の記事にも書いたとおり、
予定していた式次第は出来なくなり、
簡素でシンプルな式。

でも、のび太が係りでみんなからアンケートを取って
まとめた文章の呼びかけはしっかり行いました。



そして、式は終了。



そのあと校長先生から改めてお話がありました。


あの地震の日、最高学年として落ち着いて
立派に行動した6年生の姿は
下級生達のお手本となっていたこと、

余震も続く中、在校生の出席は見送ってしまったけど
6年生の素晴らしい活動やこれまでのことは
下級生にしっかり受け継がれていること、


来賓の方々にお越しいただくのは困難なので
こちらからお断りした事、

その方々からたくさんの祝電が来ているので
貼ってありますので見て下さい、


今日、みんな笑顔で卒業できた事が
心から尊いことであること、

そして、同じ地方のたくさんの人々が
命を落としている災害から日も浅く、
どうしても紅白の幕を張る気持ちになれず、
あなた方の晴れの日なのに申し訳なかったということ、

だけど、どうしてもお祝いの気持ちを表したくて、
先生方で桜の花の飾りをたくさん作って
飾らせていただきました、と

紅白の幕のように全面に飾れないけれども
本物の花も手に入らないので
とにかくたくさんの花を作って飾りました・・・



涙ながらにおっしゃった校長先生。






私は自分の卒業式で感動した事などなかった。

涙を流すなんて事もなかった。

でも、今回ののび太の卒業式は素敵だった。

あったかくて心に響く式だった。




陸上の指導をしてくださった先生は
のび太の隠れた才能?を引き出してくださった。

そして、

「努力した人が必ず結果を出せるわけではないが
 結果を出している人はみんな努力している」

という、のび太の心に残る言葉を下さった。

のび太はこの言葉を何度も言いながら、
陸上も受験勉強も頑張ったのだ。




そして、担任のC先生。

私はC先生の顔を見ただけで号泣してしまった。

「のび太が今日、笑って卒業できるのは
 C先生だったからです」

と、言ったつもりだったけど、
きっと何言ってるかわからなかっただろう(笑)


「のび太くん、立派になりましたよ。
 もう、のび太くんは大丈夫ですよ!」


のび太は照れつつもC先生とツーショット写真を撮った。





そして、家に帰るとのび太はC先生からの手紙を取り出した。


「これ、先生がみんなに書いてくれた」


それは、封筒に「のび太さんへ」と書かれた手紙。

中味は手書きで便箋2枚。


「5年生のクラス替えで出会って、
 まもなく持ち上がった問題。

 それは4年生からのび太さんが辛い思いをしてきた事。

 自分からは話さないのび太さんに代わり、
 それをどうする事も出来なかったみんなが
 反省と謝罪の言葉を口にしました。

 聞いていても辛くて言葉もありませんでした。

 でも、のび太さんはその日から前向きになりましたね。

 係りの仕事、役割に真剣で一生懸命な姿に
 みんなの信頼が厚くなって来ました。

 また大きく変わったのは陸上を始めたことですね。
 高いバーをかるがる跳ぶ姿に陸上を勧めて、
 元々、こつこつ努力するのび太さんはめきめき力をつけ
 好成績を残し、それは様々な事への自信に繋がりました。

 自分の考えをハッキリ述べ、クラスに考えるきっかけを
 与えてくれました。

 この2年間ののび太さんの努力する姿は感動でした。

 誠実で真剣なのび太さんの姿に励まされました。

 この先も大きな夢に向かって突き進んでください。」

(本文はもっと長くてもっと素晴らしい文章です。
 簡単に書かせていただきました)





私は声を上げて泣いた。

「えーんえーん」と泣いていたらしい(笑)


のび太はお年頃の男子なので「へっへ~」って風だったけど
ウルウルしていた。





のび太はきっと、大丈夫です。

C先生、これからもひっそり見守ってくださいね。



そして、のび太小学校、ありがとう。




たくさんの思い出と、
たくさんの笑顔と、
涙を、
ありがとう。



こんな時なのに、これだけの卒業式をしていただけて
感激で胸がいっぱいです。




| 発達障害児・被災地に生きる | コメント(17) |
2011-03-23 (Wed)
今日、ふたつ目の記事です。

昨日の記事、そしてその次の記事と
続けて読んで下さい。







携帯の充電はとっくに切れていて、
誰とも連絡が出来ない。

固定電話だって繋がらない。


3日経ち、やっと電気が復旧し、携帯を充電すると、
今までたまっていたメールが一気に入ってきた。

当日に心配な人たちに「大丈夫?」といったメールをしたり、
また、逆に相手から「大丈夫?」メールを
もらっていたままになっていた。

大学時代の長野、新潟、神奈川の友人から、
また福島にいる友人、
そしてメールボックスにはブログを通じて知り合った、
たくさんの方々からのメールに
どれだけ励まされた事か。
(メールボックスのメールには失礼ながら
 お返事は控えさせていただきました。
 ごめんなさい。)

携帯メールにのび太の同級生ママから、
写メールが入っていた。


「○○の給水所に貼ってありました。
 他にも学区内のあちこちに貼ってあります。
 詳細を知りたい方は見てください」


学校の連絡だ。

電話が繋がらない状況で先生方は動かれていた。

「14~16日は休校。
 卒業式は○日に延期です。」などなど。


「6年生宛てに学年通信も貼ってある。
 写メじゃわかりづらいからその目で見よ!
 見に来られないときは連絡してください。
 詳細を教えます」


これは絶対に確認しに行かねば。


ガソリンが底をつきそうなので零下の気温でも
車のエアコンはつけないで、ゆっくり走る。



あったあった!


学年通信だ!


卒業式は延期、来賓も在校生の出席もなし、
教室にはまだ入れないので体育館に直行、
保護者はホールで待機、
予定していた式次第どおりは出来ない、
暖房もつかない、トイレも使用不可、
とにかく出来る限りの礼服で、
でも寒くないように防寒して出席してください、
卒業式後の「卒業を祝う会」も出来なくなりました、

せっかく卒業式に向けて全員が式を作り上げようと
係りの仕事に一生懸命頑張っていたのに
真剣に練習も重ねていたのに、ごめんなさい。

今、学校で出来る事の精一杯がこのような状況です。


そして、最後に6年生の先生お二人の
手書きのメッセージがありました。


「皆さん、ご家族はご無事でしょうか。
 こんな時だからこそ、周りの人と手をつないで
 心をつないで、前を向いていきましょう。
 君たちはこんな事くらいじゃへこたれないさ!
 
 卒業式で会うときは笑顔で会いましょう!」



学区内のあちこちに、全体への連絡事項と、
この「6年生の学級通信」が貼られている。



私はあの日からとにかく気持ちが弱っている。


すべてのことに涙が出てしまう。



こんな風に貼られた学級通信を見たら号泣だ。






人とつながる・・・って、なんてすごい事なんだろう。

なんてあたたかいことなんだろう。





実際に顔を見なくても手を触れなくても、
心を抱きしめてくれるのが
「人とつながる」ということなのだと実感したのだ。





| 発達障害児・被災地に生きる | コメント(0) |
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