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2010-02-15 (Mon)
幼い頃はしょっちゅう吐いてました。

新しい環境、特別な行事、遠くへ出かける、
厳しく叱られたあと・・・

などの前後は意味も無く吐いたり高熱を出したり。


風邪でもないためかかりつけの小児科では

「自家中毒」とか
「自律神経失調症」とか言われていました。


子供の頃はそれがどういうものか、わかりませんでした。

要するに「風邪」とか「肺炎」とかと同じような
内臓疾患的な病名だと思っていましたし、

私の中では「自家中毒」でも「自律神経失調症」でもなく


「じかちゅうどく」であり、
「じりつしんけいしっちょうしょう」
というイメージだったので

漢字で記された文字を成長してから見たときは
漢字表記の生々しさに
かえって我ながら衝撃を受けたのを覚えています。



「じかちゅうどく」とか「じりつしんけいしっちょうしょう」と
しょっちゅう診断されていても
それが自分の関わり方のせいかもしれない、と
親は感じたのか否かは今となってはわからないけど、

うちの親は我が子が幼いながらも
精神的にダメージを受けていることについて
どう思っていたのだろうか?

と、考えると、
自分の(親の)関わり方のせいで我が子が
不安定になって吐いたり熱を出す、
という風には考えてもいなかったのだろう、と
改めて思います。

何故かと言うと、病院から帰ると大抵、
「おまえは本当に気が小さい」とか
「気持ちが弱い子」とか
「神経質過ぎて手がかかる」とか
そんな風に言われていました。


つまり、私は気持ちが弱いから
すぐに吐いたり熱を出したりする

神経質だから親に迷惑をかけている


という風に言われていたのです。







今思えば、そういう私の弱さと言う点も
もちろんあるとは思うのです。
(持って生まれた性質ですから)

だけど、やはり親の言葉や接し方が
私の中では大きなダメージになっていたのは
間違いない事実だったな、と思うのです。

それは、今、私も親になって初めて気が付けたことで、
親と言う立場にならなければ
一生「自分がすべて悪いのだ」と
自己否定したまま死んだのでしょう。


しかし、のび太の存在は私に教えてくれました。


大人(親)の言葉や接し方で子供は簡単に弱くなるし
大きなダメージを受けるのだ

ということ。




のび太を育ててみて、
毎日がフラッシュバックのように
自分が母から受けた傷があぶりだされて
さらに酷く痛み出したのが自分も受診するきっかけでした。


もちろん、私が幼かった頃には
発達障害などと言うものは世間には無く、
子供は親の言うとおりにするもの、
みたいな時代であったのかもしれません。

しかし、成長と共に気づいたのは
私と母の関係と、他の友人達と母親の関係が
全く異質なものだったという事実でした。


(詳しくはカテゴリーの「私が診断に至るまで」
 お読みください)





ちょっと話が逸れてきましたが(笑)

私が言いたいことは、

大人の何気ない一言や行動が
子供の一生を左右するほどのダメージを与える事がある


と言う事です。



また、大人の目線から見たら
「ちっぽけ」で「他愛もなくて」
「そんなの大したことではない」と思えても
子供にとってはどうしようもない位に辛くて
その辛さを理解してもらえない事が
一生消えない傷にもなりうるということです。


前の記事をはじめ、
最近、私は幼い頃の辛かった出来事を
記事にして書き、吐き出すことで
少しだけ慰められている様な気持ちになっています。

そして、コメントで「私もそうでした」とか、
「うちの子も~~です」と言っていただく事で
幼かった自分の孤独感が埋められていく感じもします。

リアルにはこういうことを話せる人はいません。

ブログを続けていて本当に良かった、と
心から思っています。




自己満足かもしれませんが
のび太と私のあれこれやら、
自分の気持ちのわだかまりを受け止めてもらえる事が
今まであまり経験したことも無かったので
本当に幸せで、
ドロドロしていた自分の記憶も
浄化されていくような気さえしています。



前の記事にも記したように
私の幼少時代に親は私の味方ではありませんでした。

常に「支配」されていました。

少なくても子供の私はそう感じていました。


だから、のび太にとって私だけは
絶対的な「味方」でありたいと思います。

そして、私にものび太にも
「この場所」にはたくさんの「味方がいる」ことが
何よりも今、安心感を得ています。


みなさん、ありがとうございます。






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| 私の幼い頃の記憶 | コメント(12) |
2010-02-12 (Fri)
今日は私の幼い頃のことを・・・



小3になり、厳しい年配の女の先生が
担任になった。


少食でゆっくりしか給食が食べられなかった私。

しかし、厳しい担任は
時間内に絶対に残さず食べることを強要した。

絶対無理だった。


こっそりコッペパンを半分にし、
持って帰った。


今度は家で母親になじられた。

何で食べられないんだ

もたもたしてノロマで
足も遅ければ食べるのも遅いんだな



家に持ち帰るのも恐ろしかった。


給食時間が近づくにつれ吐き気がした。

給食を目の前にして何度も吐いた。



残して家に持ち帰る事も出来ず、
学校でも一人だけ遅いと叱られ、

八方塞がりになった私は、
食べきれないコッペパンを
こっそり学校の机の中に押し込んだ。


それを繰り返し、何とか時間内に食べられるようになった。




しかし、ある日、登校すると、
クラスメートが私の机を囲んでいた。


机の奥に押し込んでいたコッペパンが見つかってしまった。





やだー

きたなーい

ウワー


と、口々に非難する。



担任が来て誰かが私の机の中のコッペパンの事を
鬼の首でも取ったかのように言いつける。







でも、何故、私がそんなことをしたのか、
担任も親もわかったはずだ。

それでも、
「給食を食べるのが遅い事」
「パンを机に押し込んでいた事」
が、悪いことだと非難するだけだった。


誰も理由を聞かない。

それは、理由を知っているから。

その理由は自分達が追い詰めているから、と
解っているから。




・・・・・で、そのあと、どうなったんだっけ?

私はコッペパンを残さずに時間内に食べられたのか?

それとも、やっぱり、残していたのか?





記憶にない。



その後の事は全く覚えていない。





覚えているのは、

「大人はずるい」

と、悟ったことだけだ。









だから、私はのび太が給食を食べられなかった時も

「食べなくていい」
「堂々と『食べられない』と残していい」
「お母さんに『残していいって言われた』って
 言って残しなさい」

と、言った。


のび太の担任とも闘った。






せめて、母親だけは自分の味方だった

と、信じて欲しかったのだ。







今では、キライなものでも何でも給食では
全部食べる事を決意して実行しているのび太。



「給食食べられなかった時、大変だったよね。
 先生には『残さず時間内に食べろ』って言われるし
 お母さんは『キライなものは残せ』って言うし、
 のび太も困ったでしょ?」

と、聞いてみたら、


「へへ・・・まあ。
 でも、『残していいよ』って言われるのは
 嬉しかった」






私は、のび太にそう思ってもらうために、
あの小3の給食時間を過ごしたのかもしれない。



そう、思うことで、
やるせなかった幼い自分の傷ついた心を
慰めているのかも知れないけど。










| 私の幼い頃の記憶 | コメント(13) |
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