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2013-11-17 (Sun)
『高機能自閉症とおっしゃられていますけど、
現在のお子さんは,ブログで見る限りは,
友人関係も部活も学習もさほど支障はきたしてないように
見受けられるのですが。
日常生活に困難をきたすことが
少なくなったのならそれは障害とは言わないのでは。』


というコメントを頂きました。



『発達障害は風邪が治るように
治ることはない』

と、ご存じない方からのコメントかと思われますが。



以前も、記事にしましたが
私は息子の出来事の全てを
書いてる訳ではありません。

中学生になり、
それもかなりピンポイントな中学に
在籍していることもあり、
出来事を記事にすると
個人を特定される可能性があり、
なかなか記事に出来ない事がたくさんあります。

他の発達障害のお母さんのブログでも
中学入学を期に
ブログをやめてしまうかたも
たくさんいるくらいですから。

それくらいちょっとの想像力で
解りませんかね?

それともこのコメントのかたも
発達障害で想像力が乏しいのなら仕方ないですが。


でも、やはり知的な遅れのない自閉症の
周囲の理解不足というのは
このコメント主さんのように
表面的な事柄だけ見て
本人の困り感を理解してもらえないことが
一番の『障害』です。

自分の意志や行動が少数派であることを
自覚出来てしまうがために
周りに紛れて目立たぬよう
どれ程努力をし、我慢し、
自己嫌悪におちいりながらも
自分の環境の中で生きるための術を
あれこれ模索しつつ
あがいて失敗して頑張ってるのに

これは『障害ではない』のであれば
この子たちは何処に助けを求めればいいのですか?



今までもそうでしたが、腹立たしいのは
このような記事や障害や私の考えを
否定するコメントに限って
必ず『unknown』『名無し』『匿名』であること。


否定するなら正々堂々と
身元を明らかにすべきでは?

こういう人がいる限り
発達障害への理解はまだまだ進まないのです。


がっかりですね。
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| 世間の目 | コメント(1) |
2011-11-09 (Wed)
えっと、誤解を招くかもしれませんが、
発達障害のASである、ちょっと普通の思考とは
もしかしたらかけ離れているかもしれない人間の
戯言だと思って読んでほしいのですがね・・・



私は、「病気」やら「障害」やらに
あまり驚かない人らしい。

っていうか、他人がそういうものに
どれほど驚いたりショックを受けるのか
自分と比べて計れないでしょ?

だから、あくまで他人に指摘されて考えたこと、
なんだけどね。


「え?この話聞いて
 どうしてそんなに冷静でいられるの?」

って、非難される事、多いんです、私。



この年になると、結構、周囲で
生死に関わる病気を患っている方も多く、

こういう病気だった
こういう手術で、こういう治療で、
こういう入院生活で、
こういう通院してる、とか、

耳にしたりする割合が多くなっている。


でもね、それがどんなに近い人でも親しい人でも
私は「ふう~ん」ってしか思えないんだよね。

とてもショックで・・・とか、
考えると涙が・・・とか、

あまりそんな風にならないんだよね。

もちろん、親しい人が命に関わる病だとしたら
それはとても悲しいけれど、
それは「もう会えなくなる」時期が近づいている、
という悲しみであって、
病気そのものに対してではない、というか。



まあ、自分自身も結構な病気を患ってきたし、
今でも治療し続けてる事もあるし、
そのせいかな?

と、思ってみたけど、私って小さい頃からなんだよね。



私が小学生の時、同級生の妹が6歳で病気で亡くなった。

いなくなったことは悲しかったけど、
同級生の気持ちを思うと切なかったけど、

でも、「そうか、そういう運命なんだ。仕方ないよね」

と思っていた。




いつかはみんな、死ぬでしょ。

その時期が早いか遅いか、人それぞれ。

もちろん、あまりに早すぎたり不慮の事故は
悲しすぎると思うけど、
病気とかは、人間なんだもん、誰だってかかるでしょ、

って。







それから、「障害」と言うものに対しても、そう。

あの人のお子さん、障害があるんだって、
って言われても、別に「へえ~そう」としか思えない。


特別気の毒にも思わないし、
何故、そんなにみんなが興味本位で
話のネタにして盛り上がるのかも理解できない。








障害だって別に衝撃的なことなんて思わないんだよね。

ああ、そうなんだ、

じゃあ、何か出来る事があったら言って欲しい、

私はどうしてあげればあなたは楽ですか?

と言う風にしか、思わないのよね。


周りの家族も大変だと思うけど
それはそこで出来る範囲でやれるだけのことを
やっていくしかないだろうし、

こんな私でよければいつでも力になるよ、
って、それだけなんだよね。





小さい頃、近所に手足の不自由で
おそらく知的な遅れもある方がいて、

うちの変わり者の母親は
「あの人が来たら目を合わせちゃダメ」
と、言われてたんだけど、
どうして目を合わせちゃいけないのか?と。

まあ、今考えても母親の対応は理解不能だけど。



障害を持つことだって、そりゃああるでしょう。

自分に降りかからなくてよかった~ってことじゃなく、
もっとフラットな気持ちで受け止めても
いいんじゃないかって思うんだけど。



一定の割合で障害を持つ人が産まれてくるのであれば
そういうハンデを背負ってきた人を
ハンデのない人間が支えてあげるべきでしょう。

それが「お互い様」ということでしょう。

ハンデのない人間の義務は支えてあげる事でしょう。

決して後ろ指差したり陰口たたいたり
必要以上に同情したりする事じゃないでしょう。





でも最近、私なりにわかってきた。

ああ、病気の話のときは一応、
必要以上に驚いたりショックな顔をした方が良いんだな、

障害の話のときは一応、
かわいそうだね~気の毒だね~
と、まわりに同調しておけば良いんだな、

ということ。





ASの私は、最近やっと、こういうとき、
リアクションを大きくしないと
冷たい人間と思われる、ということが解ってきた。


でも、まあ、そんな風に思われても平気だけどね。











| 世間の目 | コメント(8) |
2010-12-07 (Tue)
今まで4年以上、ブログを書いてきた。

のび太は知的な遅れのない高機能自閉症と診断されている。

知的な遅れはないものの、「自閉症」である。

つまり、知的な遅れがないだけで、
いわゆる自閉的なこだわりやら過敏さやら
生きていく上でのいわゆる「生きづらさ」と言われるものを
たくさん抱えて生きている。

私とのび太の会話をよく記事にしているが、
記事にすると、のび太のたどたどしい喋りが
とっても流暢に感じられる。

当たり前だ。

「えっと・・・う・・・んと、あの、あの・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・あ~・・・・・なんて言ったらいいか
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・わかんないよ」

なんて、実際の本当ののび太の言葉どおり、
考えて無言になっている空白の時間まで
いちいち記事に表現してたら、
それは大変な事になってしまうでしょうよ。


私はこのブログでのび太の多々ある「生きづらさ」というものを
100%公開しているわけではない。


本当に心から辛いことこそ、記事には書けなかったりもする。






しかし、時々、逆恨みのようなコメントやメールがある。


お勉強ができていいですね
それだけ成績が良かったら誰も障害者だなんて
認めてくれませんよ
本当に高機能自閉症なんですか
怪しいですね
だってちゃんとお母さんと会話できてるじゃないですか
そんなに流暢に喋ったら言葉の遅れがあるなんて
言えるわけないじゃないですか
本当に高機能自閉症だったら診断書を公開してください
世の中には「本当の自閉症」で
誰からも人として認めてもらえず
苦しんでいる子や親がたくさんいるんです
そういうこと考えて記事書いてください
読んでいると腹立たしいです







腹立たしいと思いつつ見ている気持ちがわからんが(笑)


要するに、自分が世界の全てだと思っているのだ。

自閉症は全て知的な遅れがある、
知的な遅れがないはずない、
知的な遅れがないなんてズルイ、
知的な遅れがなければ自閉の生きづらさもあるはずない、
だから自閉症であるはずがない

という論理だろうか。


つまり、広い意味での発達障害を全く知らないのだろう。

また、記事の表面上だけがその人の全てと
思い込んでいるのだろうか。



それとも、単なる「妬み」の塊を投げつけているだけだろうか。






私のブログを読んで腹立たしくなる方は
お願いですから決して読まないで下さい(笑)


精神衛生上、腹立たしいものに触れるのは良くないと思う。








のび太は、本当に辛い思いをたくさん経験してきた。

親の私ものび太の辛さに苦しんできた。

それは発達障害と診断された親子には共通の思いではないのか。

そこを思いやれない、想像しようとしないまま、
自分の腹立たしさだけを他人にぶつけて
気を晴らそうということだろうか。

そういうところを察しあうことが大切だと思う。

ましては同じ発達障害であればこそ。

そういうことすらできないで、
周りの人々に、子供のクラス、学校に、社会に、
理解してもらおうというのは無理な話ではないか。



こんな言葉を私に投げつけて、虚しくないのだろうか。

なんて気の毒で貧しい心をわざわざ他人に
さらけ出したりするんだろう。




私ものび太も発達障害だが、
自分の心のもやもやを他人にぶつけて
傷つけたりする貧しい心だけは持ちたくないと思う。







のび太は何もしないでいい成績をとっているわけではない。

親の私が見ていても気持ち悪くなるほど勉強している。

走り高跳びだって、全く運動オンチののび太が
努力せずに入賞したわけではない。

今、クラスで平穏に過ごせているのも
壮絶ないじめを経験して乗り越えて、
その環境を改善してくださった先生との出会いがあるからだ。




のび太はただ漫然と生きているわけではない。

心もボロボロにささくれて枯れるほど泣いて、
とんでもないほどの努力を続けて
今を生きているのだ。




のび太の今までを否定する人を、
私は絶対に許さない。







| 世間の目 | コメント(19) |
2010-11-12 (Fri)
私は何かの集まりとかに加わるのが苦手だ。


よく、言われるのがコレ。


「あら、お仕事もしてないんだったら、
 何かサークルとかに入ってるでしょ?」


ってヤツ。




あら?

仕事しない専業主婦って
何かのサークルに入らなきゃいけないの?

って、逆に聞き返したくなる(笑)



またしても実母の話だが(笑)
専業主婦だったが昼間は家にいなかった。

例のサークル活動で多忙だった。

それはいいのだ。

楽しく集って楽しい時間を過ごせればいいのだ。

しかし、違う。


サークル活動から帰ってくると、
息つく暇もなくサークル仲間に電話をかけ始める。

電話で何を話すかと思えば、
○○さんが~~って言ったのはどういうこと?
△△さんって○○さんを~~って言ってたよ!
とかいう、くだらない悪口やら噂話やらを
延々と喋り続ける。


実母はとあるスポーツのサークルを仕切っていた。

ある日、

「ちょっと聞いて!
 今度入ってきた○さんって言う人、
 『私は勝敗はこだわらないし、
  日曜日に遠征までして試合はしたくない。
  楽しく運動できればいい』って言うんだよ!
 スポーツって、勝たなきゃやってる意味ないのに!」

と力説する母。

私は、

「え?だって、主婦の集まりのサークルでしょ?
 そういう考えの人だっているでしょ?
 日曜日は家族とゆっくりしたい、
 楽しく汗を流せればいい、って言う人がいても
 不思議じゃないと思うけど」

と返すと、

「アンタにわかるわけない!」

と、逆切れ(笑)


つまり、何度も書くが実母はAS色の濃い人なので
仕方なかろう・・・と今は思う。

こんな母に育てられたので、
ASな私のAS色が薄まった(笑・・・そんなわけない)




こんな人を見て育ったので、
主婦の集まりのサークルが楽しそうなんて思えないワタシ。

もちろん、平和的に友好的なサークル活動もあるだろう。

それでも、10人集まれば最低ひとりくらいは
ちょっとおかしな人がいるもので(笑)
それも、自己主張の強い主婦達が10人集まって、
友好的な空気だけを漂わせていられるわけがないと思うのだ(笑)





それに、私はひとりであれこれ手を動かして
ものづくりするのが趣味。

と言っても、女性らしい手芸とか編み物とか
そういうのは全くダメで、
棚を作ったり、愛犬ロックが和室に入らないように
板を組み合わせてゲートを作ったり、
壁にレンガ風のタイルを張ったり・・・

という、実に男らしい趣味がある(笑)

別に、誰かと一緒じゃないと出来ない事ではない。

充分、家でひとりで楽しく有意義に誰に気を使うことなく
過ごせているのだ。




世の中には、ひとりでは行動できない人が結構いる。

以前、記事にもしたが、
何故、一緒にトイレに行ったり、
一緒に帰るために何分も待っていたりするのか、
学生の頃から疑問だった。

そういう人は成人してからも
一人では何も出来ない人が多い(ような気がする)



買い物、病院などに行くのも必ず母親と行く人が
近所にいる。

のび太と同い年で生まれ月も一緒だったので
乳幼児健診や予防接種も一緒になることが多かったが、
必ず、母親と自分の子供たちと連れ立ってきて
狭い場所で大勢で大騒ぎして非常にはた迷惑だった。

母親に上の子たちをあずけてくれば
こんなに迷惑にならないものを、
とにかく母親と共に行動するのが常らしい。

しかし、こういう人は結構、世間でも多いらしい。

結婚して家庭を持っても
毎日、実家に通う人も多いとか。

ひとりで育児をするのも辛いし、
暇をもてあますのも寂しいし、
親の方も子供が来てくれる事が嬉しいから受け入れる。


以前も記事にしたが、
イマドキの大学生は友達がいないと思われるのが嫌で
ひとりで学食で食事ができず、
トイレで食事をするものもいるらしい(笑)

とにかく「友達がいない」と見られる、
ということが、何よりも恥ずかしい事、なのだとか。


そんな風にいつまでたっても精神的に自立できない大人。






誰かと関わらなければもちろん、
人間は社会で生きては行けないと思うが、
ひとりで過ごす事も出来ない、
ひとりで行動する事すら出来ないというのは
どんなもんだろうなあ、と思う。





そして、ひとりで過ごす事が非難されるような社会も
歪んでいるように思うこの頃だ。










| 世間の目 | コメント(0) |
2010-11-09 (Tue)
のび太が1.2歳の頃。

旦那は仕事が忙しく10時前に帰る事はなかったので、
一日中、ひとりで育児していた。

だから、というか、自分なりのスケジュールをこなすので
毎日精一杯だった。


夕食は6時頃からのび太に食べさせるが
グダグダダラダラなのび太は1時間くらいかかる。

片づけやら何やらして8時にはお風呂に入れる。

そして、9時には寝かしつける。

そんな生活をこなすことだけで1日回っていた。



ある日、お風呂から上がりのび太の体を拭いていた時、
玄関のチャイムが鳴った。

「え?こんな時間に、誰?」


まだ、のび太も私も服を着ていなかったので、
このまま出ないでいれば、相手も帰るだろう・・・

と、思って、そのまま静かに体を拭いていた。


しかし、しばらくしたらチャイムが連続で鳴り出した。

誰だ?こんな時間に何度もチャイムを鳴らすなんて?!

それにまだ着替えてもいないしどうしようもない。

でも、当時は狭い貸家で、玄関からも、
部屋に明かりがついているのがわかるだろうし、
私たちの気配もわかるのだろう。

何度も何度も連続でチャイムを鳴らされるので、
のび太が驚いてパニクって泣き出してしまった。


ああ、どうしよう。

とにかく急いで着替えて出なきゃいけないよね・・・



焦りつつ、着替えていると、

「のび太~のび太~!!!」

と、玄関からのび太を呼ぶ声。



・・・・・来客は実母だった。




当時、私は実母とは絶縁状態だった。

しかし、私の気持ちなどお構いなしの実母は
私たちの生活にズカズカと自分勝手に介入してきていた。


「ああ・・・またか・・・」と思いつつ玄関を開けた。



「こんな遅い時間に何?
 電話くらいしてから来てくれる?」

と、思わず、不快感丸出しで母に言った。


すると、実母は、


「遅い時間?まだ9時前でしょ?
 全然、遅くないじゃない?!
 だって、のび太に会いたいんだもん!
 のび太にこれ、あげようと思って・・・」

と、何だか忘れてしまったが何かを差し出した。


「ちょっと!小さい子供がいればこの時間は
 もう、寝せたりしている時間だよ!
 ちょっと考えれば察しがつくことでしょう?」


私は元々、実母とは反りが合わないので絶縁状態だった。

再び、こんな感じに私の領域にズカズカと入り込もうとするので
腹が立ってきつく言い返した。


すると、実母は、


「何言ってるの?!9時過ぎてたら来ないよ!
 9時前は普通は常識的に考えて遅い時間とは言わないんだよ
 気を使って9時前に来てやったのに!」







長い前置きでしたが・・・(汗)





過去記事を読んで下さっている方はお分かりかと思うが、
実母はいかにもASの色濃い人間だ。

(今回の記事は実母とのゴタゴタが主題ではないので(笑)
 詳しくは割愛しますが・・・)


「9時前は『普通は』『常識的に考えて』遅い時間とは言わない」

と、自信満々で言い放った実母だが、

「普通は常識的に考えて9時前は遅い時間ではない」
と言ってのける段階で
もはや、「普通」でも「常識的」でもない(笑)



生活時間というものは、人それぞれであり、
家庭によっても様々なのだ。

私が仕事をしていた時、
遅い時は9時まで仕事が入っていたので
もちろん、9時が「遅い時間」なんていう感覚はなかった。

しかし、子供が1.2歳になると生活スケジュールが一変する。


冒頭に書いた当時のスケジュールは小さい子がいれば
おそらくよくあるスケジュールのパターンだと思う。

また、小さい子がいたとしても
共働きしていて子供を保育園に預けていたりすると、
7時頃、やっと家に帰ってそれから夕飯の支度、
8時頃にやっと食べ初めて、お風呂に入れて、
10時頃に寝せたくても保育園でたっぷりお昼寝しているため、
11時過ぎてもなかなか寝てくれない・・・なんてよく聞く。

そうなると、同じような小さい子がいても、
確かに9時前が遅い時間とも言えないかも知れない。



ところが、のび太は入学すると
8時には起きている限界になったので
「寝る時間は8時」になった。

そうなると8時はもう充分、「遅い時間」だった。


つまり、人そろぞれ、家庭によって、
都合の悪い時間、というのは様々なのだ。

もちろん、それは「時間」に関してのことだけではない。

ものの見方、考え方など人それぞれだ。








のび太の同級生のお母さんが、

「うちはまだ、子供と一緒にお風呂に入ってるんだよ。
 『普通は』ありえないことでしょ?」

なんて言っていたが、別にどっちでもいいことだ(笑)

それぞれの家族で考えて決めればいいことだし、
こういうことだって一体「普通」の基準はどこにあるのか。





学生の頃、ある同級生に

「まっぷーみたいな人、私、大っキライなの。
 陰でコソコソ言うと悪口になるし
 常識的に考えると私が嫌な人みたいでしょ。
 だから面と向かって言っておくから」

と、言われた事がある(笑)


陰口は言ってしまっている自分自身に罪悪感があるし、
世間の「常識」では悪口を言ってはいけないことになっている。

だから「非常識」な人って思われないように?
堂々と面と向かって相手に伝えて、
公言した方が自分自身がスッキリする、
だから、言っちゃうね!


と言う事で、相手に不快な思いをさせる。

そのこと自体には罪悪感はない、
という自分の考えの歪みに気づかない。







人としての当たり前の道徳観、倫理観ですら
「常識」と言えることですら、人それぞれの時代だ。

それを、「『普通は』~~なんだ!」とか
「~~は常識的なことだ」などと
相手に自分勝手な「普通」感や「常識」感を押し付けて、
自分を正当化する事は「異常」なのである。




つまり、相手の気持ちを察する、とか
相手のことを思いやる、とか

その部分が欠落した状態で「普通」やら「常識」やらを
ごり押しして、相手を傷つけたり、
周りに不快な思いをさせたりする、

ということに考えが至らないのだ。




「普通」や「常識」がたとえ正論だとしても
そういう理屈を振りかざすより、
もっと大切な事を忘れちゃいませんか?
ってことだよね、って思うけど。




だから、その押し付ける「私の中での常識」や
「普通は~~だ」というものに限って、
限りなく「非常識」で「異常」なことが多いのが
実に不思議である。





まあ、ASな私が偉そうに言う事じゃないだろうけど(笑)


















| 世間の目 | コメント(4) |
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