いじめから不登校になったが、
赴任してきた校長先生の尽力で登校できるようになり
遅れていた勉強も頑張り高校受験も合格し、
現在は大学生の青年が
実名、顔出しで登場した。
「自分の同じ境遇の人の力になれば・・・」と。
その内容についてもいろいろ感じることはあり、
本当に苦しい思いで見ていたのだが・・・
今日、ここに残したいのは、そのあとにコメントした
某脳科学者の方の言葉。
(正確ではありませんが・・・)
「いじめられる子というのは他の人には無い
特別な何かがある子。
おとなしくしていてもどうしてもそこが目立ってしまう。
いじめる子はどうしてもそこが気になって
ちょっかいをかけてしまう。
ある種の妬み。
いじめられる子はそういう経験からどんどんたくましくなる。
いじめる子は本当は気持ちが弱い子。」
うんうん。
全く同感。
実は私は、今度、のび太が「いじめられた」と言って来たら
のび太に話そうと思っていた。
「のび太は他の大多数の人とは違う
選ばれて特別な感性を持って生まれてきたんだ。
お母さんものび太と同じ選ばれた人らしい。
絶対音感や一瞬で見たものを覚えられる力は
特別に与えられた才能なんだよ。
多数派の人たちは、
『そういうみんなが持っていない驚くような才能があるのに
どうして感じ方が違うの?』
って思うらしい。
感じ方が違う、っていう風に思うことが
本当はおかしいんだよ。
大勢の人が思うことが正しい、なんてことはないんだ。
少数派の感じ方だって正しいのに
心の狭い人たちは自分達と違うものが
おかしい、と、思ったりするんだ。
そういう心の狭い寂しい人たちが
自分達と感性が違って目立つのび太を
いじめててきたりするんだよ。
それは、間違っていることなんだ。
多数派と感じ方が違うからと言って
少数派が間違っているわけじゃない。
元々、人間は100人100通りなんだから。
それに自分達と感じ方が違うからと言って
誰かを傷つけていいはずはない。
それを教えてあげるためにも
そういういじめには『無視』が一番なんだ。
そういうことをしても誰も相手にしないよ、
ますます孤独になるだけだよ、
っていうことを『無視』という態度で
教えてあげようよ。」
・・・言えるか?!私・・・
でも、いじめを克服したあの青年が
使命を持ってテレビに出た。
私たちの使命は、
少数派であることをおそれずに
多数派の過ちに立ち向かうこと
なのかも知れない・・・
と、思ったりしたのだった。
中学不登校、高校中退、今、バイト生活の
長男を見てる私にすると、
とても複雑な気持ちで見てましたが・・
脳科学者のコメントは、的を得てる気もしました。
世間と感性が違う、協調性がない、社交性がない、意欲がない、
といわれることが「社会適応できない」
という結果になったりするのだけど・・・
それをすべて「自分が合わせられなくてダメだ」と
思う必要はないのかもしれないですね。
息子も少数派の特性があるので、それって社会では損だなと
思ってしまうけど・・
まっぷーさんの「絶対的な肯定感」を与える言葉は
のび太くんの大きな支えですね。
私、そこまで、息子を絶対的肯定してたかな・・と
考え直しました。ありがとうね~。
少数派であることに誇りを持とう!って
おっしゃられてる気がしました。
コメントありがとうございます。
私もあの番組見てて、ムスカリさんのこと
思い出していました。
私もいじめの渦中にいる息子とダブって
見てて切なかったです。
あの脳科学者の方はいつもフラットな目線で
言葉を選んでいらっしゃって、
考え方もとても好きな方なんです。
「脳」の専門家なのできっと私たちに近い目線で
見てくださるのかもしれません。
「絶対的な肯定」・・・に感じますか?
だったら嬉しいです。
日頃、私はのび太に対して
絶対的肯定で話をしていないような気がして
だからこそ、いざと言う時には
私たち両親はあなたの全てを信じている、
と言う風に守ってあげたいと思っています。
私自身が幼い時に親にそう思って欲しかった。
そんな私だからこその「使命」のような
気もしています。
少数派であることを誰も望んで生まれたわけじゃない。
そして少数派であることに
何も後ろめたいことはないのですから。
その中のひとつに「友達の良いところボード」があります。
本人の顔写真の周りに班で一緒の子どもたちが良いところを一言で褒めて書いてあるカードが貼ってあります。
全員の分が教室の後ろに張り出されているので、それはそれは壮観な眺めなのですが、席替えや班替えがある都度、そのカードが更新されます。
参観日などに息子の顔写真を見つけますが、クラスメート曰く「◎◎くんは、勉強ができるんだね!驚きました」とか、「私の知らない難しいことをたくさん教えてくれます」とか「□□のことにとても詳しい人」など、普段集団行動のダメダメな息子でも他にもスペシャルなところがあるんだ!ということを気付いてくれたクラスメートからメッセージをもらっています。
これは良い言葉に言い換えると「何かに秀でた人」になるのではないかと。
今の時代、「みんなと同じでなければおかしい」と考える人が多いのですが、きっと「そうではない」と思えるときがくるはず。
「発達障害」ではなく、「発達がスペシャル」って言いたいですよね。
コメントありがとうございます。
どこの国だったか、外国では障害のある人を
「スペシャルチャレンジャー」と呼んでいるとか。
特別なことに挑んでいる素晴らしい人、と
称えている言葉らしいです。
息子さんの担任の先生はなんて素晴らしいんでしょう!
学校、というか先生ってともすれば
悪い部分ばかりを指摘しがちですからね。
いい部分を子供達同士で見つけあう、
というのは本当に素敵なこと。
知らず知らずのうちに相手のいいところを探してあげよう、
という見方になりますよね。
私はいじめがあった時にもちろん、
被害者の子のケアも大事だけど
加害者側の子の心の闇に目を向けなければ
いけないのでは?と、思っています。
だからこそ、こういう「友達のいいところ」を
探しあうことで、心に闇を抱えた子も
自分の中の「いいところ」に気が付いて、
いじめなんて人が嫌がることなんかしないよ~
なんていう風になるかもしれませんよね。
はぁぁぁ・・・本当にため息が出るほど羨ましいです。
僕も見ましたよ。
僕もあそこまで酷くはありませんが、中学高校は不登校になった時期があったので、色々と胸に去来するものを感じながら番組を見ていました。
やっぱり良い先生はちゃんといて、見てくれている人はちゃんと見てくれているんだなと思いましたね。
そして何よりも、脳科学者の先生の言葉は本当に良かったですね。
いじめる人間は弱い人間で、いじめられる人間は特別な何かを持っている人間。
とても心強いメッセージだったと思います。
自分自身が受けてきたいじめも、何か前向きに解釈できそうな気がしました。
コメントありがとうございます。
刈人さんもつらい学生時代を経験されてきたのですね。
本当に頑張ってこられたのですね。
だからこそ、今の素敵な刈人さんがあるのでしょう。
人間ってやっぱり傷ついてきた人ほど
ものの見方が柔軟で人の痛みも感じる力が
あるのだな、と改めて思います。
あの脳科学者の言葉にもあるように
そn特別な何か、と言うものは
持っていない人たちにはまぶしいくらい羨ましいものかも知れませんね。
人として痛みを知らない人より
ずっと価値のある生き方のような気がします。
最近は自閉症やアスぺ、知的障害のある幼児のいる施設に訪問することがあります。
全く知らない場所だったのですが、やっぱり違いというのは幼児の場合、違う。。そのへんで構わずに寝そべる子供、それを普通に踏みつけていく子供。。それは診断名があって悪気のない行動なんだけど、普通はそんなことしないよね、というような行動。そのママさんたちは、見た目にはわからない。っていうけれど、やっぱりちょっとみていれば行動が全然、、。
特別とかそういうことはまた良い面なんだろうけれど、やっぱり違う。。と思わざるを得ない部分、
そして良い面を見てくれない・見ようとしない世間、良い面の活かし方、
そんな悩みに挟まれて、ときどき自分の自信を失ったり、どうすればよいのか分からなくなったり、ちょっとした先生方やママさんたちの発言に戸惑ったり心のなかで反発したり・・そんな毎日を過ごしている者です。
どうも失礼いたしました。
コメントありがとうございます。
>最近は自閉症やアスぺ、知的障害のある幼児のいる施設に訪問することがあります
どういう関係でそういう施設に訪問されているのでしょうか?
そういうお仕事をされている方なのでしょうか?
>そのへんで構わずに寝そべる子供、それを普通に踏みつけていく子供。
確かにその子たちには悪気はないことですが
それは社会的に良い事ではないので
たとえ障害のある子でも「いけないこと」と
注意して教えてあげなければいけないことです。
どういう状況か、わかりませんが、
親や療育者、先生が「善悪」を教える事が絶対的な義務です。
障害があるから、と、そういう事を許されたまま、
社会に出て行ってしまう場合があるから
障害者が後ろ指を指されてしまうことがあるのです。
どういう施設なのか、どういう状況での様子なのか、
わからないのですが、
少なくても私が経験している療育や幼稚園では
そういうことをほったらかしにしたり見てみぬフリをしたり
なんてことはありえませんでしたよ。
障害者といえども絶対に社会と関わって生きていくのですから
小さいうちに、正しいこと、間違っている事を
教えていくのが「療育」です。
でも、子供達は悪くありません。
それを障害があるから、と野放しにしている、
大人側がダメだと思います。